96年(平成8年)のオークスを勝ったエアグルーヴは、翌97年に夏のG2札幌記念から天皇賞(秋)を連勝。同世代の2歳王者バブルガムフェローや1歳上の皐月賞馬ジェニュインらを抑えての堂々たる勝利で、牝馬が天皇賞を制したのは1980年のプリテイキャスト以来の快挙だった(注:1980年当時の天皇賞・秋は3200m)。
エアグルーヴは続くジャパンカップも外国馬ピルサドスキーの2着、さらに有馬記念でもシルクジャスティスの3着と牡馬相手に善戦。これらの戦績が評価され、牝馬としては史上2頭目の年度代表馬に選出されている。
2001年(平成13年)にはスイープトウショウが安田記念2着から宝塚記念を制覇。11番人気ながら前年の年度代表馬ゼンノロブロイらを下しての堂々たる勝利で、牝馬による宝塚記念勝利は39年ぶり史上2頭目だった。
2003年(平成15年)にはスティルインラブがメジロラモーヌ以来の牝馬三冠達成を果たしたが、牡馬相手だと歯が立たず。だが2004年(平成16年)になると、ともに歴史的名牝と称されるようになるウオッカとダイワスカーレットが牝馬クラシックのみならず牡馬も含めた競馬界の中心的存在となっていく。
桜花賞でダイワスカーレットの2着に敗れたウオッカは、オークスではなく牡馬相手のダービーに挑戦。見事に牝馬では史上3頭目のダービー馬に輝いた。ウオッカは4歳となった2008年には安田記念と天皇賞(秋)を制し、エアグルーヴ以来となる牝馬の年度代表馬に選出。2009年も安田記念を連覇し、天皇賞(秋)では3着に善戦すると、ジャパンカップでは前年の菊花賞馬オウケンブルースリとの接戦をハナ差で制した。日本産の牝馬がジャパンカップを勝ったのは、これが史上初めての快挙だった。
一方、ダイワスカーレットは3歳秋の秋華賞で再びウオッカを破るとエリザベス女王杯も連勝。有馬記念ではマツリダゴッホの2着に善戦する(半兄のダイワメジャーが3着)。4歳時は7カ月の休み明けで臨んだ天皇賞(秋)こそウオッカにハナ差負けしたものの、有馬記念は逃げ切りで完勝。牝馬の有馬記念制覇はトウメイ以来で37年ぶりだった。