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さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第60回はインドのアムリツァル駅から。
* * *
ちょうど37年前、僕はこの駅で店を出す煙草屋の横に座っていた。目的は空になった煙草の箱をもらうことだった。
インドを歩いていた。
27歳──。
僕も人並みにインドにやられてしまった。それはもう病に近かった。それでもなんとか、アムリツァルの駅まではやってきた。もう一歩でパキスタンである。僕はパキスタン航空の1年オープンの航空券をもっていた。それを使えば、カラチから日本に帰ることができた。しかしアムリツァルの駅前ホテルに入り、なにもしない1週間がすぎようとしていた。いや、その日数もおぼろげだった。
日本を出発して8カ月ほどがすぎていた。
無気力……。なにもする気にならない。そう、旅もできなくなっていた。すべてが色褪せて見える。ただ、安宿に沈んでいた。ホテルの脇の食堂で食事をとる。それだけの日々だった。
これはまずいかもしれない……。軋(きし)むベッドで自問する。なにかをしなくては……。
そこで思いついたのが、煙草のパッケージを集めることだった。空になった煙草の箱を丁寧に解体し、街で買った粗末なノートに貼りつけていく。それだけのことだった。
しかし僕は救われていく。僕にはやることがある。それがうれしかった。
安い煙草の箱は次々にノートに貼られていったが、しだいに財布にこたえるようになってきた。インドには、安宿の1泊分にも相当するような高い煙草もあった。とても買うことができない。
そこで顔見知りのおじさんの脇に座ることにした。彼はアムリツァル駅の脇に店を開いていた。高い煙草はインド人も箱買いができず、1本、1本と買っていく。煙草屋の脇に座り、半日も待てば空になった煙草の箱が手に入る……。