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さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第59回はパキスタンのアッラーマ・イクバール国際空港から。
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パキスタンがずいぶん遠い国になってしまった。きっかけはタリバンだろうか。パキスタン軍の支援を受けたタリバンが、1996年にはアフガニスタンのほぼ全域を制圧。タリバン政権の記者会見はパキスタンで行われた。
アフガニスタンの政情不安は、パキスタンを含めたもののようにとらえられ、観光客の足も一気に遠のいていってしまった。
バンコクからパキスタンに向かおうとした。便は少なかった。イスラマバードとラホールに1日おきに運航しているタイ国際航空をのぞくと、クアラルンプールやドバイ、アブダビを経由していく便になってしまった。かつてはパキスタン航空が就航していたのだが。
タイ国際航空でラホールに向かった。機内は空席が目立った。人の行き来が明らかに減っていた。
はじめてラホールを“通った”のは30年以上前である。あえて“通った”のには理由があった。バックパッカーの間では、ラホールにあるといわれた泥棒宿は有名だった。スタッフが合鍵で部屋に入り、金目のものを盗む宿だった。安い宿ほど被害に遭いやすいといわれていた。インドとパキスタンの間を陸路で移動するとき、ラホールを通る。貧しい旅行者は、なんとかラホールに泊まらず、“通る”ようにしていた。
その後も何回かラホールを“通った”。街は知っているが、泊まったことはなかった。泥棒宿の話をいつも思い出していた。
しかしラホールは変わった。空港から車で市内に入った。夜の11時をまわっているというのに、ネオンが眩しいほどだった。繁華街のしゃれた店に若者が集まり、人通りも多かった。街なかでホテルを探した。中クラスの宿がどこも6000円~7000円はする。やっと5000円ほどの宿に入ったが、泥棒宿の話などすっかり忘れていた。もう、そんな街ではなかった。なんでもラホールは、カラチに注ぐ第2の都市に成長したのだという。日本人の足は遠のいてしまったが、パキスタンはそれなりの経済成長を遂げていた。