企業の採用業務を手掛けながら、すぐに就活制度の歪(ゆが)みに気づいた。景気や社会環境の変化によって、1年ごとに新卒の募集人数が違う。また、個人の意思に関係なく、アルゴリズムで転勤が決まることにも疑問が湧き、個人の人生がその時の景気や会社の思惑で左右されることに強い違和感を抱いた。組織に依存しなくても自立して仕事を選べる方法はないのか。

 悶々とする石山は、たまたま手にしたレイチェル・ボッツマンの『シェア』を読み、一気に光明が射した。

「共有するという概念が新しいビジネスを生むということが書かれていたのですが、個人と個人がつながり、モノや仕事を貸し、分け合い、そして売買するという新たな社会的仕組みを知り、ストンと腹落ちしたんです」

 大学3年時に東日本大震災に遭い、コンビニから商品がごっそり消えた風景を目の当たりにしていたが、シェアの概念があれば、あの時に味わった不安も消える。社会的な枠組みにとらわれなくても幸せの形があると確信した石山は、「シェア」の概念を広めようとリクルートを3年で退職。オンラインで個人と個人が受発注できるサービスを運営する、シェアリングエコノミー分野のクラウドワークスに転職した。

 シェアリングエコノミーとは、場所、移動、モノ、スキルなどをインターネット上のプラットフォームを介し、個人間でシェア(賃借、売買、提供)する新たな経済活動で、いわゆるCtoCのビジネスモデルだ。

 だが2014~15年当時は、配車サービスの「ウーバー」や民泊の「エアビーアンドビー」が入ってきたばかりで、シェアリングエコノミーの認知度が低く受け入れ態勢も整っていなかった。

 新しいビジネス分野のため、日本では法整備が整っていない上に、障壁となる規制も山積していた。例えば、自分の車を利用した相乗りサービスの「ライドシェア」をビジネスにするには、道路運送法第4条(白タク)に引っ掛かり、自宅で食事を提供するサービス「ミールシェア」には食品衛生法が立ちふさがる。

人とつながることで
世界に平和が訪れる

 そこで石山らは普及や法整備の必要性を政府に提言するため、16年にシェアリングエコノミー協会を設立。当時の協会事務局長で現アドレス代表取締役の佐別当隆志(45)は、公共意識が強い石山に、企業ではなく協会での活動を勧めた。

「政府や官僚に提言する過程で彼女の発信力は半端なかったし、シェアリングエコノミーという概念を普及させるには、彼女のフラットな目線が重要だった」

 そんな活動が認められ、内閣官房からシェアリングエコノミー伝道師に任命。シェアリングエコノミーのビジネス手法で地方創生も支援してきた。

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ミレニアル世代の仲間とシンクタンク