──2人の「なれそめ」は?

皆川:もう15年も前になるんですよ。知人から「すごい若手がいる」と名前を教えていただいて、その2年後の2006年にパリで開いた「ミナ ペルホネン」(以下、ミナ)のファッションショーで空間構成をお願いしました。その時、徹夜で会場づくりに取り組む姿勢を見て、一緒に手を使って作ることができる方だ、と信頼を深めました。

田根:当時の僕は26歳で、建築家として初の仕事になった「エストニア国立博物館」が決まったばかり。ファッションには詳しくないし、フランス語もままならないし、そんな中でショーの空間って、どうやって作ればいいんだろうと、ミナの生地をお借りして研究しました。

皆川:ファッションと建築って、「柔」と「剛」で対照的に見えますが、共通項も多いですよね。

田根:ミナの服を見ると、服は作るまでが目的ではなく、できあがった時から本当の意味が加わっていくんだな、と思います。それは建築もまったく同じです。

皆川:服も建築も一人だけではできない。分業のプロセスがあり、それぞれのプロセスに関わる人を信頼することで成り立っている。道中、みんなで話し合って、大きな目的を共有することが大切で、デザイナーとは、その目的地をどこにするか決める人のことだと考えています。

──ミナの服は自然界から着想を得たモチーフが多いです。田根さんも環境を大胆に取り入れた建築をつくっています。

皆川:僕は東京・蒲田の出身で、実は子ども時代、周囲に自然がなかったんです。代わりに町工場と青果市場という、人の暮らしの息吹を身近に感じながら過ごしました。自然の記憶がない分、自然に反応するようになったのではないかな。田根さんはどうでしたか。

田根:僕は杉並区の住宅街で育って、高校時代の3年間、毎日満員電車に揺られていました。その反動で、大学は大自然のあるところに行きたいと、専攻より前に「北海道」を決めたんです。

皆川:建築が先じゃなかったんだ。

田根:はい。とにかく大自然。それで、大学で建築を学んだら、すごく面白かった、という順番です。そういえば以前、リーマン・ショックで経済やファッションが低迷した時、皆川さんが作られたコレクション「青空に満天の星」のテーマに励まされたことを覚えています。

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