──「土」の部屋では「洋服と記憶」と題し、個人が所有するミナの服を、その人がつづった文章とともに展示しています。

皆川:「土」はすごく大切な部屋。ミナを立ち上げて以来、流行に左右されるのではなく、人生に寄り添い、ともに時を重ねる服を作りたいと考えてきました。生地からデザインを起こすことも、その一環です。「土」の部屋では、そんな服と人との関係を示しています。服をトルソーに着せるのではなく、透明のアクリル板で挟んで、それぞれの持ち主のニュアンスを伝えているのは、田根さんならではのアイデアです。

田根:最初に皆川さんから「いろいろな人が長く着た服を展示したい」という要望を聞いた時、「土」は後半にある部屋だから、展覧会全体がしんみりして終わってしまうんじゃないかと思って、僕はやめた方がいいと言いました。

皆川:そうだったよね。

田根:でも、持ち主が服と自分の思い出をつづった文章を拝見し、内容がポジティブで、僕の懸念は払拭(ふっしょく)されました。服と一緒に人が生きていく記憶を体験していただく、「つづく」のテーマを深く物語る部屋になりましたよね。

皆川:「種」の部屋では、服作りに欠かせない刺繍、プリント、縫製工場の映像も流しています。現代美術家の藤井光さんが撮影したもので、現場で仕事にいそしむ人たちの姿が印象的に写し取られています。

 僕はこの展覧会で「大量生産」という言葉を、再定義したいんです。大量生産というと、多くの人には、見込みで大量に作って売れなかったら捨ててしまう、という消費社会の負のイメージが先に来るでしょう。でも、本来は違うと考えました。一定の適量を長い期間にわたって生産することによって、工場は安定して同じ仕事ができて、働く人たちの仕事が続いていく。そして、生産が結果的に大量になるというのが、大量生産の正しい方向だと思うんです。

田根:僕はそのお話が印象的で、本当に衝撃を受けました。実際、以前と比べて、ミナのバッグを持っている人を見かけたり、洋服を着ている人とすれ違ったり、本屋さんにブックカバーがあったり、ミナのものを街中で見る機会が増えました。ミナのものづくりは消費されない。だから消えずに増えて、広がっていくように感じています。

(ジャーナリスト・清野由美)

AERA 2019年12月16日号