瀬戸内寂聴さんが開いている寺院、曼陀羅山 寂庵で。対談は1時間半にも及んだ(撮影/楠本涼)
瀬戸内寂聴さんが開いている寺院、曼陀羅山 寂庵で。対談は1時間半にも及んだ(撮影/楠本涼)
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瀬戸内寂聴年表(AERA 2019年2月18日号より)
瀬戸内寂聴年表(AERA 2019年2月18日号より)
井上荒野年表(AERA 2019年2月18日号より)
井上荒野年表(AERA 2019年2月18日号より)

 この2月、作家の井上荒野が長編『あちらにいる鬼』を上梓した。モデルは戦後派作家の父・井上光晴と母・郁子、そして光晴の愛人だった瀬戸内寂聴。不思議な三角関係を女たちの視点から描いた井上が、瀬戸内と語り合った。

【写真】「瀬戸内寂聴さんと7年間つきあっていた」井上光晴さん

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井上荒野(以下荒野):『あちらにいる鬼』は編集者に「ご両親と寂聴さんとのことを書いてみませんか?」と勧められて書いたものです。最初は寂聴さんもご存命だし、とても怖くて書けないと思っていましたが、江國香織さんや角田光代さんと寂庵をお訪ねして父の話を伺ってから、「私が書かないといけない、お元気なうちに読んでいただきたい」という気持ちに変わりました。

瀬戸内寂聴(以下寂聴):私はなんでも書いていい、何を聞いてくれてもいいと思っていたので、ようやく本になってよかったわ。よく書けていましたよ。そもそも私と井上光晴さんとの関係は一緒に高松へ講演旅行をしたことがきっかけ。夜、井上さんが旅館の私の部屋に来て帰らないの。編集者が困ってね。で、何を言うかというと、「うちの嫁さんはとても美人で外を歩くとみんな振り返る」とか「料理がうまくてなんでもできる」とかそんなことばかり(笑)。

荒野:それで口説いてた(笑)。

寂聴:そのうち私の作品を見てもらうようになった。私はもう作家として立っていたから、そんな立場じゃなかったんだけど、書くものを純文学寄りに変えたいと思っていた時期で、井上さんに見てもらわないと不安だったのね。締め切り間際に書き上がると電車に乗って井上さんの家の近くへ行き、わざわざ見てもらっていた。井上さんも締め切りの時だから気の毒だったけど、見せないと機嫌が悪い。

荒野:いつ頃まで続けてたんですか? 父が病気になるまで?

寂聴:出家してからはなかったわね。そもそも出家だって井上さんとの長い関係を終わらせようと思ってしたんですよ。「出家しようかな」と言ったら井上さんが「あ、そういう手もあるな」ってホッとした顔をしたの。ああ、それしかないなって。完全に切れたわけじゃないの。中尊寺で出家した日も、奥さんが「行ってやれ」と言って来てくれましたしね。ただ、それ以来、男と女という関係じゃなくなっただけ。

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