荒野:母には文才もありました。父の死後、母から自分が書いて父の名で出た短編があると告白された時には驚きましたけど、すぐに「あれがそうだ!」と思い当たりましたね。「眼の皮膚」とか「象のいないサーカス」とか。

寂聴:締め切りで苦しんだ時に書かせたのよ。でも井上さんは妻の才能を知っていて、小説家になられるのが嫌だったのね。旅行記みたいな随筆の話があると受けさせましたけどね。私には「彼女も相当のことが書けるけど、自分がノートに書いた作品を原稿用紙に清書させてきて、変な文章の癖が移っているからよくない」と言っていましたけれど。

荒野:書いていくうちに直ったのに。書けばよかったと思います。それは母の意思だったのか、父が止めたせいなのか。

寂聴:それはお父さんよ。書けないように仕向けるの。そういうのがうまいのよ。あんなわがままな人の面倒をみていたんだから時間もなかったでしょう。何しろ当時の編集者の間では、「井上光晴の奥さんが作家の妻の中で一番美人」「一番の料理上手」って評判だったもの。私も井上さんに「来い来い」といわれるものだから、行ってお宅でお昼をご馳走になった、奥さまお手製の(笑)。

荒野:自慢したかったんでしょうね。よく編集者に「昼飯食べていって。うどんしかないけど」と勧めていましたが、そのうどんは母が自分で打っていた(笑)。

寂聴:お父さんの作に、家庭のことや実のお母さんのことなど、とても自分で書いたとは思えない小説があることは私にもわかってた。これはあやしいと思い、「これ書いたのは奥さんね?」って言ってたの。彼、すごく怒ったけど当たっていたわね。

荒野:今でもわからないのは、母が本当は自分の名前で出したかったのかどうかということなんです。

寂聴:そりゃあ、あれだけの才能があったら書きたかったわよ。絶対自分よりも良くなるとわかっていたからお父さんが書かせなかった。ヤキモチよ。

荒野:私にはあれほど書け書けと言っていたのに。

(構成/ライター・千葉望)

AERA 2019年2月18日号より抜粋