災害時の支援団体同士の連携や行政とのつなぎ役を担う全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVОAD)事務局長の明城徹也さんによると、避難者自身が生活改善などに携わる取り組みは、避難所運営のモデルケースだという。一方で、大きな避難所でこうした動きがスムーズに進むことは珍しいという。

「避難所で生活する避難者自身が方針を決める仕組みは、避難所運営で大切な要素です。しかし、特に大規模な避難所ではそうした仕組みを立ち上げるのは簡単ではなく、過去の災害でもうまくいかないケースが多くありました」(明城さん)

 明城さんによると、仕組みを立ち上げるのが難しい理由は大きく三つある。

「規模が大きく、リーダー的な役割の人がみつけられない」「様々な地区から住民が避難してきていて、被災前のコミュニティーが維持されていない」「昼間は不在にする人が多い」ことが挙げられるという。

 実は、岡田小学校ではこの三つすべてが当てはまる。避難者数は倉敷市最多で、空き教室がほとんどない過密状態が続いている。真備町のあらゆる地区から避難してきていて、避難所での隣人はほとんどが初対面だ。そして、日中は多くの人が仕事や自宅の片づけなどで不在にしている。

 では、班長会議の仕組みがうまく立ち上がったのはなぜか。

 前出の市職員は言う。

「『運営方針を決める』と大上段に構えると、負担感も大きいしハードルが高い。まずは情報共有も兼ねて集まりましょう、という場にしたのが大きかった」

 市職員を中心とした頑張りもあったと語るのは、会議でもファシリテーターを務めた、支援団体ピースボート災害ボランティアセンターの岩元暁子さんだ。

「当初は、班長に選ばれた人も『負担だ』と感じていたようです。班長を決めるようにお願いしに行ったときは『毎日忙しいのにリーダーまでできない』『こんな大変な生活を強いられているのに』という声が多く聞かれました。それでも、班長会議で出てきた問題点をすべて、翌日には解決できるように動きました。班長会議での提案が生活改善に直結すると、班長さん自身が感じてくれたのがポイントだと思います」

 あるいは、こんな理由もあるかもしれない。別の倉敷市職員が言う。

「倉敷市は様々な市町村が合併して今の形になりましたが、旧真備町の方々は倉敷のなかでも協力意識が強いと感じます」

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