災害ごみの集積所となった校庭には大量のごみが集められていた(真備中学校)。集積所に持ち込まれるごみの量は「減っていない」という(撮影/編集部・川口穣)
災害ごみの集積所となった校庭には大量のごみが集められていた(真備中学校)。集積所に持ち込まれるごみの量は「減っていない」という(撮影/編集部・川口穣)
岡田小学校避難所に置かれたパネル。訪れたボランティアや避難者らが復興への思いを書き込んでいた(撮影/編集部・川口穣)
岡田小学校避難所に置かれたパネル。訪れたボランティアや避難者らが復興への思いを書き込んでいた(撮影/編集部・川口穣)
岡田小学校避難所の班長会議の様子。支援団体のスタッフがファシリテーターを務め、市職員らも加わる(撮影/編集部・川口穣)
岡田小学校避難所の班長会議の様子。支援団体のスタッフがファシリテーターを務め、市職員らも加わる(撮影/編集部・川口穣)

 西日本豪雨の発生から1カ月あまり。いまなお復旧作業は続けられており、避難生活の長期化も予想されている。行政からの「押しつけ」でない自主運営に取り組む避難所も出てきた。

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 岡山県倉敷市真備町の県道54号線に沿った歩道は、カピカピに乾燥した泥と、流れ着いたと思われる枝葉で覆い尽くされていた。

 ここ真備町でも復旧作業が急ピッチで進み、車での通行にはあまり支障がない。しかし、辺りを見渡すと、災害の爪痕は色濃い。いまだに片づけが手つかずの家もある。仮設住宅の建設も始まったが、先行きの見えない避難者も多く、避難生活は長期化も予想されている。

 19時半。倉敷市で最多の340人(8月6日現在)が避難生活を送る岡田小学校避難所では、夕食の配食が着々と進んでいた。この日の夕食は唐揚げ弁当。避難所内の自分のスペースで食事する人が多いが、校庭で箸を動かす人もいる。

「贅沢を言えば生野菜や温かいものが食べたいけれど、3食しっかり食べられるだけでありがたいですね」(40代・男性)

 19時前後から始まった食事の提供が終わろうとしていた頃、避難所の一室に20人ほどの避難者が集まっていた。60代、70代くらいの男性が多いが、女性や30代、40代の参加者もいる。彼らは、岡田小学校避難所の「班長」たちだ。

 岡田小学校では、避難所生活のルール作成や避難者の意見を市側に伝える場として、班長会議が7月21日から開かれている。避難している教室ごと、体育館など大教室の場合は生活するブロックごとに、避難者同士の話し合いで班長が決められた。会議では生活改善のための方策を話し合ったり、情報の共有を担ったりする。立ち上げ当初は毎日、現在は月・水・金曜日の週3回、この会議が行われている。

 これまでに、班長会議での話し合いに基づいて食事の配食方法を見直したり、重要な情報を貼り出す掲示スペースを校内5カ所に設けたりと、生活改善が進められてきた。

 班長会議は、岡田小学校に派遣されていた倉敷市の職員のひとりが提案した。倉敷市の職員は当初、12時間ごとの交代制で、同じ職員が避難所に入るのは4日に1度というシフトだった。

「現場の状況を正確に把握したり、環境を改善したりするのが難しく、起こった問題に対処するのが精いっぱいでした。ならば、何とか避難している方と一緒に運営を考えないと、と思ったんです」(市職員)

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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