羽生結弦=2010年10月24日撮影 (c)朝日新聞社
羽生結弦=2010年10月24日撮影 (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る
AERAの表紙に初登場した羽生結弦
AERAの表紙に初登場した羽生結弦

 フィギュアスケート男子で66年ぶりの五輪連覇を果たした羽生結弦。「世界の頂点への迫り方」を知る男だ。弱冠23歳。年若い彼は結果を残し続けるために、自らを奮い立たせる「言葉」を模索しつづけた。そのメソッドには、ビジネスを強くするヒントがちりばめられている。

【AERAの表紙に初登場したときの初々しい羽生結弦はこちら】

*  *  *

 羽生結弦(はにゅうゆづる=23)は少年時代から、「言葉」が自らに与える作用を重視し、活用してきたアスリートだ。その姿勢は、東日本大震災で被災し、アイスショーを転々としながら練習を続けていた2011年の夏、自らの心境を語ったこんな言葉に端的に表れている。

「いまはメディアに注目されているからこそ、アスリートとして『勝ちたい』という言葉を言わないといけないと感じています。考えただけじゃ、人間の脳って忘れる。でも口に出すことで、言霊じゃないけれど心に残って、絶対にやってやると思える。言葉にすれば、負けたときに屈辱も味わえるし、達成した時の喜びはまた違います。大きなことを言って、そこにグワッとぶつかるというやり方です」

 当時16歳。羽生はこれ以後、「大きなことを言ってグワッとぶつかる」というメソッドで、結果を出し続ける。

 五輪で金メダルを取りたいと明確に口にしたのは、14歳の時。08年、ジュニアの選手ながら全日本選手権に特別出場し、8位になってこう宣言した。

「日本には荒川静香さんの五輪金メダルがあるので、僕が日本で2人目の五輪金メダリストになりたいです」

 当時のメディアは「子どもの夢」だと受け取って、このセリフを報道しなかったが、当の羽生にとっては計画的な「宣言」だった。

 常に「勝ちにいきます」と宣言し、鼻息を荒くしながら試合に臨むのが当時の羽生のスタイル。10年には15歳で世界ジュニア選手権を制し、11年には大会史上男子最年少で四大陸選手権2位。そして東日本大震災を経て、12年3月、初めての世界選手権を迎える。

次のページ