“半年間、遺体を野ざらし”はなかった? 薩長の「埋葬禁止令」を覆す新史料

歴史

2018/03/08 07:00

 この史料によると、明治新政府は会津藩降伏の10日後の旧暦10月2日に埋葬を命令。翌3~17日、会津藩士4人が指揮する形で567人の戦死者の遺体を計64カ所に埋葬した。埋葬にかかった経費は74両(現在の相場で約450万円)。のべ384人が動員され、1人当たり1日2朱(同7500円)を支給した。家紋などが入った遺体発見時の服装も詳述され、山本八重の父・山本権八の遺体や、白虎隊士と思われる遺体も記録されていた。山本八重は、13年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で綾瀬はるかさんが主演した女傑だ。

 ではなぜ、埋葬禁止が「定説化」したのか。野口氏はこう説明する。

「会津戦争から半年後の1869年2月に、城下の阿弥陀寺に藩士たちの遺体を改葬したことが、『半年間も放置した』と誤認される要因につながったと思われます」

 埋葬禁止が流布したのは1960年代以降だと、野口氏は指摘する。

「この頃から敗者である会津側から見た歴史が注目されるようになり、阿弥陀寺への改葬に尽力した会津藩士の町野主水の奮闘を伝える小説やエッセーなどで盛んに『埋葬禁止説』が現出するようになりました。しかしこれらは、歴史的資料に裏付けられたものではありません」

 埋葬禁止の浸透と相まって、実直な会津人気質を長州への歴史的怨念と結び付けて「会津の頑固」と称し、これが会津観光のPRにも使われるようになった。こうした会津のイメージが他地域にも広まり、会津人自身の思考や振る舞いを縛っていった面もあると野口氏は解説する。

(編集部・野村昌二、渡辺豪)

AERA 2018年3月12日号

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