八重野さんは何十回となく長者久保の山中の調査を行い、昨年末もテレビのバラエティー番組と組んで一帯を発掘したが大法馬金は出てこなかった。

「本命地点はさらに絞られました。あとは自力で掘るのみです」

 2位の「結城家の黄金」は、徳川埋蔵金に比べて知名度こそ低いが、埋蔵金マニアの間では徳川埋蔵金に匹敵するくらい有名だ。そのお宝は、結城家の初代朝光(ともみつ)が源頼朝に従い奥州藤原氏を滅ぼした際、恩賞としてもらった平泉の黄金。場所は栃木県小山市。

 結城家の重臣が書き残した古文書が残っている。それによると、重さ約8キロの金の延べ棒が2万5千本、30キロの砂金入りの樽108個など、黄金の総重量は約380トン(時価約1兆8千億円)。八重野さんは「お宝があるとしたらこの場所しかない」とまで断言するポイントまで絞り込んでいるが、今は国指定の史跡になっていて掘り起こすことができない。

 3位が、冒頭で紹介した「武田信玄の軍用金」。4位の「尾張徳川家の駿府御譲金(ごじょうきん)」は徳川尾張家に伝わるお宝だ。名古屋城から8キロほど南東にある興正寺(こうしょうじ/名古屋市)に、30万両(時価150億円)のお宝が眠るという。

 1615年の大坂夏の陣に勝利した徳川家康が大坂城にあった豊臣家の金銀を手に入れ、それを尾張、紀伊、水戸の御三家に配分した。これが「駿府御譲金」と言われるが、尾張家の御譲金の行方がわかっていない。

「興正寺の紋所は徳川家と同じ葵の御紋で、お堂を建てたのは尾張徳川家2代藩主光友公。お寺と尾張藩とは深い関係にあります」(八重野さん)

●日本軍財宝はあと一歩

 5位は同じく愛知県。「豪商・前野小平治(こへいじ)の隠し金」とは、江戸時代、今の南知多町で海運業に成功して莫大(ばくだい)な財産をつくった豪商・前野家のお宝だ。5代目小平治の時代、尾張藩にお家が取り潰されそうになると、小判数千枚(時価数十億円)の財宝を屋敷とその周辺に分散して隠した。明治になって8代目小平治が、蔵の中から5代目が埋めたとする目録を見つけている。

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