要するにクラシックの発声方法は、恋心の綾やメランコリーな気分など、ポップスでシンガーたちが多種多彩に表現している情感や味わいを表現するのには不向きであり、逆にハンニガンの十八番であるリゲティのアリアのような、「楽器としての声」のようなアプローチのほうが断然向いていると、私は気づかされた(ちなみに、昨年亡くなった作曲家、冨田勲は、自身の交響曲の歌い手に、ボーカロイド、初音ミクの電子の「声」を選んだ)。

 そう、オペラを見慣れた人間には、「瀕死の状態なのにもかかわらず、朗々とした大声で過ぎ去りし日の思い出を歌う椿姫」に何の疑問も感じないが、クラシックを知らない人間はおいそれとその場面に没入することはできない。彼女はそのあたりを冷静に見越したうえで、クラシック声楽の生き残り方を模索しているように思える。クラシック声楽の表現のある意味、狭く、それゆえにワン&オンリーな魅力を、ハンニガンは見事に現代に生かしていると言っていいだろう。サイモン・ラトルのような、現代の第一線指揮者が彼女のファンなのも頷ける。

 オペラは、演劇的な演出要素も魅力の一部である総合芸術。オペラというジャンルを歴史物とするのではなく、現代の観客の心に届く現在進行形の芸術にしようとする試みは、たとえば、登場人物の出で立ちが、オフィスビルで働くスーツ姿の男女による、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」など、自由自在に突っ走っているようだが、斬新なのは演出面だけの話。音楽そのものは楽譜に書かれたオペラの古典のままなのだ。

 もし、オペラをその伝統に従って、革新していくのだったら、現代の様々なメディア表現、コンピューターを使ったサンプリングや電子音などは、その表現ツールの一部として入ってきてもおかしくはないだろう。02年に32歳の若さで、作曲と視覚演出双方の総合プロデューサーとしてソプラノ、ビデオ、サウンドトラックのための室内オペラ「ワン」を発表し、業界を仰天させたのが、オランダ出身のミシェル・ファン・デル・アー。ハーグ王立音楽院で録音技術を学び、ニューヨーク・フィルム・アカデミーで映画監督のカリキュラムを習得した彼は、クラシックの作曲科出自ではない異色の存在ながら、欧米の権威ある作曲賞を総なめにし、11年には伝統ある管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウの「座付き作曲家」に就任してもいる。

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