現在、国内には81の医学部がある。その「系列」を探るには、各校がいつ設立されたかをみるのが一番だ。
日本に西洋医学が入ってきたのは19世紀半ば。医師養成を急ごうと、全国各地に公立、私立の医学校がつくられた。しかし明治政府は、国立大学の医学部を整え、そこで養成した医師を派遣する方針を採った。
最も古い歴史があるのは、旧帝国大学7大学だ。医学部の設立は、1877年の東京大学を皮切りに、京都、九州、東北、北海道、大阪、名古屋と続いた。
江戸時代のお玉ケ池種痘所を起源とする東大医学部、緒方洪庵の適塾に端を発する阪大医学部。それ以外も藩校にルーツを持つなどの伝統と実力を兼ね備え、研究・教育を重んじ、自校出身者が教授陣の多くを占めると共に、他大学にも多くの人材を送り込んだ。
戦前は、これら旧帝大が研究に力を入れた一方、臨床医は医学専門学校(医専)が担った。
医専をルーツとし、旧帝大に次ぐ伝統を誇るのが旧制医科大学のグループだ。「旧六医大(旧六)」と呼ばれる千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本の各国立大学に、公立の京都府立医科大学を加えた7校がある。いずれも1921年前後に医科大学に昇格。当初は教授の多くが旧帝大出身者で占められたが、次第に自校出身者が増え、他大学にも教授を送り出すようになった。
●私学には「御三家」が
この時代の旧制医科大学には私学もあった。その流れをくみ、戦前からの歴史を持つ私大医学部は慶應義塾大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学だけ。「御三家」と称されている。
慶應大は北里柴三郎を初代医学部長に招き、最初の私立総合大学の医学部(旧制)として設立された。そして、他2校は医専から医科の単科大学になった。
第2次世界大戦が起きると、現場の医師が不足したため多くの医専が新設された。戦後、それらの医専が新制大学に移行する。
国立では東京医科歯科、弘前、群馬、信州、鳥取、徳島、広島、鹿児島各大学が「新八医大(新八)」と呼ばれる。岐阜、三重、神戸、山口各大学は、県立医専から国立大学になった。