「真田丸」という名の飲食店が30年も人気を保つ理由 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「真田丸」という名の飲食店が30年も人気を保つ理由

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真田家の家紋の「六文銭」と「結び雁金」。「三途の川の渡し賃」を意味するといわれる六文銭は真田家のシンボルで、一族が死をも恐れない集団であることを示した。蓮華定院で撮影(撮影/写真部・東川哲也)

真田家の家紋の「六文銭」と「結び雁金」。「三途の川の渡し賃」を意味するといわれる六文銭は真田家のシンボルで、一族が死をも恐れない集団であることを示した。蓮華定院で撮影(撮影/写真部・東川哲也)

 東京・中目黒のビル2階に、素材にこだわった雑炊やパスタが評判のおしゃれな飲食店がある。その名を「和伊WAI食堂 真田丸」。放映中のNHK大河ドラマにあやかり名づけたのだろうと思えば、

「そう言われるお客さんが最近多いんですけど、オープンは30年前です」

 と、。店主の久保安男さん(60)は笑う。そんじょそこらの「幸村好き」とは、年季が違うのだ。

 高校生のとき、友人に勧められて司馬遼太郎の『城塞』を読んだ。大坂の陣を題材にした小説だ。

 時は1614年。豊臣方が建立した京都・方広寺の鐘の銘文に徳川家康が言いがかりをつけ、「大坂冬の陣」を起こす。この時、幸村は豊臣秀頼の呼びかけに応じ、大坂城に入城。城の南に「真田丸」という出城を築いて、徳川軍を苦しめた。

 翌15年、今度は「大坂夏の陣」が勃発する。幸村は、大坂城近くの本陣、茶臼山から徳川軍に突撃をかける。だが、徳川方の圧倒的な力の前に、勝負の行方は九分九厘決まっていた。それでも幸村は突撃をし、あわや家康の首を取るところまで迫った。が、ぎりぎりのところで逃げられ、逆に討ち取られる。

 久保さんは、負けるとわかっていても挑んでいく幸村の姿に感動し、いっぺんに幸村が好きになった。


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