東京蛍堂 店主稲本淳一郎さん(41)「お客さんには、『触って確かめてください』と言うんです。例えば蓄音機でも、触れば構造など何か気付くことがある」と語る(撮影/今村拓馬)
東京蛍堂 店主
稲本淳一郎さん(41)

「お客さんには、『触って確かめてください』と言うんです。例えば蓄音機でも、触れば構造など何か気付くことがある」と語る(撮影/今村拓馬)
アルバイト名幸直人さん(20)昔の学生が写った写真や骨董商などの話を手がかりに、書生が好んだ衣類を集め、日常着にする。タンスの中の7割が着物だ(撮影/今村拓馬)
アルバイト
名幸直人さん(20)

昔の学生が写った写真や骨董商などの話を手がかりに、書生が好んだ衣類を集め、日常着にする。タンスの中の7割が着物だ(撮影/今村拓馬)

 服、料理、建物、生活様式……昭和初期の文化に惹かれる人たちが増えている。便利さやスピードでは測れない何かが、そこにはあるのだ。

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 古物商店、東京蛍堂。元は食堂の従業員宿舎という店内は、いくつもの小部屋に分かれる。どの部屋にも、クラシカルなバッグや帽子、洋服、着物、装身具、食器などが並ぶ。照明が妖しく輝き、異空間に迷い込んだような錯覚を覚える。

「昭和初期のものが多いですね。地方に行って銭湯や定食屋で情報収集し、発掘するんです。タンスの隅でホコリをかぶっていた宝が、磨くと本来の美しさを取り戻す。店も磨きますよ。ガラスは毎日、床は週1回。手を掛けることが大事なんです」

 と言うのは店主の稲本淳一郎さん(41)。現代の製品にはない魅力があると、次々と商品を見せながら解説する。

「例えばこの行李トランク。イギリスのトランクは大きくて重いが、これなら小さく軽い。細かい細工を施した帯留めも美しいでしょう。明治に職を失った刀鍛冶などがこういうものを作る職人になったそうです。明治にどっと入ってきた西洋文化。昭和初期頃になると、それをアレンジし、身の丈に合う和洋折衷文化が生み出される。その製品は驚くほど丁寧に作られ、大切にされた。だから今も使えるんです」

 熱っぽい口調でそう語る。

 名幸直人さん(20)は、神奈川県で育った。高校時代、60~70年代のフォークソングが好きで、人気の背景にある学生運動を調べるうちに時代を遡り、昭和初期の書生文化に行き着く。

 声優になろうと上京したが、あるとき、一人暮らしなのだから趣味に没頭するのに気兼ねはいらないと気づいた。骨董市や古着屋で昭和初期の着物や家具を集め、売り主などに昔の話を聞くうちにのめり込んだ。

 昭和初期の香りを残す浅草に12年に古い下宿屋を見つけて転居した。現在はコンビニのアルバイトで生計を立てている。仕事中は制服の下にワイシャツにサスペンダーのモダンボーイファッション。オフは書生が着ていた絣(かすり)の着物に袴を穿き、帽子を被って過ごす。外見がかっこいい、と実践するうちに気づいたことがある。

「ゆったりした綿やウールの着物に慣れると、洋服を着るのが疲れる。合成繊維は汗も吸わないので暑いし寒い。ゴムが体を締め付けるのがしんどいので、下着はふんどしです」

 目下のところ、古着屋での就職口を探している。

 この時代にハマる人が多いのは「学校で習うのは、焼け跡から始まる現代。その前の時代に、華麗で爛熟した文化があったことに驚くのでは」と分析するのは、明治から昭和の出版美術を扱う弥生美術館の学芸員、内田静枝さんだ。

「関東大震災後、都市の景観やライフスタイルが大きく変わる。ビルディングが建って、郊外に和洋折衷の家を建てて暮らす勤め人が増える。その奥様になることが、誇らしいことだった。中流以上の人々が享受した、和洋折衷文化を示す洋服や帽子、雑誌などがタイムカプセル的に残っています。その上質さに触れて憧れる。当館の来館者も最近、若い女性が増えています」

AERA 2014年2月3日号より抜粋