また、映画公開に際してはさまざまなリスクを想定し、細心の注意を払う必要があった。
「就労シーンや入管でのやりとりが公表されると、ラマザンやオザン、その家族が不利益を被る恐れは十分にある。不安はずっと拭えません。それでも本作を世に出すべきだと思い、彼らの同意を得た。その覚悟に応えたい。いないものとされている彼らに、光の当たる場所に出てきてほしい」
先ごろ来日したサッカー・ミャンマー代表のピエリアンアウン選手が難民申請をし、日本の難民への対応が大きく注目されている。だが監督はやりきれない思いを話す。
「ネットを見ると『軍事政権が終わったらミャンマーに帰るんだろ』『帰れよな』などとコメントがあり絶望的な気持ちになります。もう少し寛容に、優しくなれないのか」
外国人が増えると治安が悪くなるのでは──そんな排他的な空気が根強く日本を覆っている。
「知らない人は怖いという気持ちはわからなくもない。でも在留資格の種類で人間の善良さが決まるわけではない。難民申請者=不法滞在、不法就労=悪という誤ったつなげ方をしてほしくない」
そんな日本で、何度夢をくじかれても、ラマザンやオザンは生きていく。
「彼らは不自由な状況でも懸命に幸せを掴もうとしている。自分がなりたいものに少しでも近づきたいという彼らの願いは日本の10代と何も変わらない。そのなかで出会った人からかけられる言葉や、人との関係、誰かに認めてもらうことが、彼らの原動力につながっているのかなと思います」
難民支援団体への寄付、日本語の学習や通院のサポート活動など支援の方法はさまざまにある。だが、まずは彼らが「いる」ことを知るのが第一だ。そのうえで何ができるのか。観る者一人ひとりの心に大きな問いが刺さる。(フリーランス記者・中村千晶)
※週刊朝日 2021年7月16日号