オザンは本来認められていない解体の仕事で、父親とともに3人の妹たちとの暮らしを支えている。ラマザンに背中を押され、夢だったタレント事務所の扉をたたくが、やはり「仮放免」では就労も活動もできない。「どうしよう、もうやりたいことがない……」とうなだれるオザン。

「学校に通うことは法律上問題ないのに、ラマザンは電話口で『不法滞在者ですよね』など心ない言葉を浴びる。オザンは一時期、気持ちがすさみだしていた。若い彼らの希望が拒絶され、絶望していくさまを近くで見るのはつらかった」(日向監督)

 衝撃的なのは、東京入管職員とオザンの面接での会話だ。働きたい、ビザがほしい、と言うオザンに職員は言い放つ。

「帰ればいいじゃない。他の国行ってよ、他の国」

 嘲笑まじりの言葉に、はらわたが煮え繰り返るが、日向監督は冷静だ。

「職員はあくまで軽口や冗談として言っているのだと思う。仮放免延長手続きの面接は2カ月に1回など定期的に行われ、職員は多くの難民と延々とあのやりとりを繰り返している。日本政府が『仮放免者の早期本国送還』を掲げている以上、現場はああいう対応しかできないのでしょう。そもそも日本人の大多数は、日本にいる難民に興味がない。入管職員の反応はある意味、日本人の外国人に対する意識を象徴したものとも感じます」

 5年にわたる取材では、さらに残酷な「長期収容」という現実も目の当たりにした。最もつらかったのは1年5カ月間、入管に収容されたラマザンのおじ・メメットの取材だ。収容中に極度の体調不良を訴え、家族が2度救急車を呼んだものの追い返された事件は、ニュースでも大きく報道された。

「ガラス越しの面会を週3回、4カ月間続けましたが、いつ終わるかもわからない収容で彼の心と人間性が壊されていく様子がありありと見て取れた。普段は温和で頭もよく優しい彼が小さなきっかけで急に怒鳴ったり、泣きだしたりするんです」

 全国難民弁護団連絡会議によると、入管収容中(送還中も含む)に亡くなった人は過去20年間で20人。自殺や自傷事件も後を絶たない。19年6月にメメットは仮放免となったが、うつ病を発症し、現在も治療中だ。

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