檜原麻希 (撮影/写真部・高野楓菜)
檜原麻希 (撮影/写真部・高野楓菜)
檜原麻希さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高野楓菜)
檜原麻希さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高野楓菜)

 学生時代から「ラジオが好きという気持ちだけは揺るがない」。根っからのラジオ好きなニッポン放送社長・檜原麻希さん。作家・林真理子さんとの対談でラジオの思い出から現在のラジオ事情を話しました。

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林:遅くなりましたが、社長ご就任おめでとうございます。檜原さんは2019年に社長にご就任されたんですよね。放送局で女性の社長というのは……。

檜原:多くはいらっしゃらないですね。ニッポン放送では初めてです。

林:私の年代はラジオの深夜放送の全盛期で、ニッポン放送の「カメ&アンコー(亀渕昭信・斉藤安弘)」(「オールナイトニッポン」)とかTBSラジオの「なっちゃんチャコちゃん(野沢那智・白石冬美)」(「パックインミュージック」)とかすごい人気でしたけど、檜原さんはどうでしたか?

檜原:「オールナイトニッポン」の思い出だと、なんといっても(笑福亭)鶴光師匠ですね。土曜日にやってたんで、中学生のときから聴いてました。

林:けっこう早熟ですね。

檜原:小学校6年生ぐらいからラジオを聴いてたんですよ。あるときふと、この小さい機械でこっそり聴けるんだと思って、そしたらおもしろくなりましたね、ラジオってものが。

林:私みたいな田舎の子は、まだ自分の部屋がなくて、シモネタなんかふすま越しに親に聞こえちゃうから、聞かれないように布団の中で音をしぼって聴いてましたけど、社長のころは個室で堂々と聴けたんですか。

檜原:親に見つからないようにですけどね。中学になると、テスト勉強しながら夜中に「オールナイトニッポン」とか「パックインミュージック」(TBSラジオ)とか「セイ!ヤング」(文化放送)を聴いて、どこまで聴いてたか、次の日にクラスで証拠を見せるみたいな。それぐらい深夜放送が盛り上がってましたね。

林:社長は帰国子女で、そのあとフランスにいらしたから、そうするとラジオを聴けなくなっちゃったわけですか。

檜原:聴けなくなったんだけど、友達にテープを送ってもらってました。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが好きで、宇崎竜童さんが「オールナイトニッポン」をやってたので、そのテープを送ってもらってたんです。

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