筒井康隆さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・小黒冴夏)
筒井康隆さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・小黒冴夏)
筒井康隆(つつい・やすたか)/1934年、大阪府生まれ。同志社大学卒業後、乃村工藝社勤務を経て、デザインスタジオを設立。その後、江戸川乱歩に才能を認められ、創作活動へ。67年『時をかける少女』発表。81年『虚人たち』で泉鏡花文学賞、87年『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、89年「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、92年『朝のガスパール』で日本SF大賞、2000年『わたしのグランパ』で読売文学賞小説賞受賞。仏シュバリエ章・パゾリーニ賞、紫綬褒章、菊池寛賞を受賞・受章。近著に『老人の美学』。 (撮影/写真部・小黒冴夏)
筒井康隆(つつい・やすたか)/1934年、大阪府生まれ。同志社大学卒業後、乃村工藝社勤務を経て、デザインスタジオを設立。その後、江戸川乱歩に才能を認められ、創作活動へ。67年『時をかける少女』発表。81年『虚人たち』で泉鏡花文学賞、87年『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、89年「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、92年『朝のガスパール』で日本SF大賞、2000年『わたしのグランパ』で読売文学賞小説賞受賞。仏シュバリエ章・パゾリーニ賞、紫綬褒章、菊池寛賞を受賞・受章。近著に『老人の美学』。 (撮影/写真部・小黒冴夏)

 85歳を迎え、新作『老人の美学』(新潮新書)を刊行した文学界の巨匠・筒井康隆さん。情報化社会の本質と大衆の愚かしさを鋭く穿ち、フィクションへと昇華させ続けてきました。作家の林真理子さんと行った対談では、パリッと着こなしたスーツ姿で、テンポ良く関西弁で語る筒井さんに、老いることとは、書き続けることとは……など、マリコさんも聞きたいことが山ほどあって──。対談の後編をお届けします。

【筒井康隆さんの写真の続きはこちら】

前編/筒井康隆が考える理想的な“老い”「死の恐怖や苦痛から逃れようとすれば、ボケなきゃ仕方がない」】より続く

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林:最近、お年寄りが書くエッセーや人生論が非常に売れてますよね。特に女性の作家が書くエッセーがブームになっていて、下重暁子さんとか、佐藤愛子さんとか。

筒井:『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子)ね。

林:100万部売れたそうです。

筒井:すごいな。僕のは、その10分の1だよ(笑)。

林:亡くなった田辺聖子さんも、『姥ざかり』とか理想の楽しい老婦人を書いてらっしゃいましたけど、晩年はずっとお体が悪くてお気の毒でした。

筒井:「カモカのおっちゃん」(夫)が亡くなってからだいぶ長いこと一人だったよね。

林:配偶者がいないと、ガタガタッとなるみたいですね。

筒井:なるんでしょうね。このあいだ死んだ眉村卓君(SF作家・2019年11月死去)も偉いよ。奥さんが亡くなってからショートショート集を出したり、自分と奥さんとのことが映画になったりね。僕と同い年なんだ。よく一人で生きたなと思ってね。あれは偉い。娘さんが一人おられて、彼女が世話してたのかな。

林:先生、この本の中で「奥さんを愛し、添い遂げろ」とおっしゃって、結婚式のときも「奥さんを愛して愛して愛し抜け」とスピーチなさるそうですね。

筒井:僕より先にカミさんが死んだら、僕、なんにもできないからね。何とか頑張って生きててもらおうと思って、だから尽くすんですよ。結局、自分のためなんです。

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