それでも仲間たちはみんな元気でしたね。病気で学校を休む者など滅多にいなかった。何を食べるのも手づかみで、手を洗いましょうなんて言う者はいなかったのに、感染症なんて話題にもなりませんでした。

 人間、やはり多少の負荷がかかっているほうが健全なのでしょう。負荷があってこそ、それに対する反発力、すなわち免疫力や自然治癒力が鍛えられていくわけです。この歳になっても仕事場では一年中、裸足で過ごしていられるのは、少年時代の負荷のおかげだと思っています。

 負荷については、神谷美恵子さんの『生きがいについて』(みすず書房、1966年)のなかに、次のような文章があります。

「ほんとうに生きている、という感じをもつためには、生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。(中略)ただしその際、時間は未来にむかって開かれていなくてはならない。いいかえれば、ひとは自分が何かにむかって前進していると感じられるときにのみ、その努力や苦しみをも目標への道程として、生命の発展の感じとしてうけとめるのである」

 あの頃の少年たちが、飢えや寒さに耐えることができたのは、新しい時代を迎える予感によって、まさに少年たちの時間は未来にむかって開かれていたのです。振り返って、いまの子どもたちの未来は開かれているのだろうかと、考えざるをえません。

週刊朝日  2018年2月16日号

著者プロフィールを見る
帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

帯津良一の記事一覧はこちら