「結婚に否定的だった」角田光代が河野丈洋と再婚した理由 (2/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「結婚に否定的だった」角田光代が河野丈洋と再婚した理由

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仲宇佐ゆり週刊朝日#夫婦
角田光代(かくた・みつよ)(左)/1967年、神奈川県生まれ。90年、「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、12年『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14 年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞。他に『キッドナップ・ツアー』『坂の途中の家』『拳の先』『月夜の散歩』、ネコのトトと暮らす日々をつづった『今日も一日きみを見てた』など。河野丈洋(こうの・たけひろ)/1978年、埼玉県生まれ。2001年にロックバンド「GOING UNDER GROUND」のドラマーとしてデビュー。06年に初の日本武道館公演を行う。09年からソロ活動を開始。松たか子、藤井フミヤらに楽曲を提供。15年にバンドを脱退。アーティストヘの楽曲提供、ドラマ、映画、演劇などの音楽の作曲、演奏を行う。近作はNHKのドラマ 「大江戸ロボコン」など。ギター、ピアノも演奏するマルチプレーヤー。(撮影/写真部・小原雄輝)

角田光代(かくた・みつよ)(左)/1967年、神奈川県生まれ。90年、「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、12年『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14 年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞。他に『キッドナップ・ツアー』『坂の途中の家』『拳の先』『月夜の散歩』、ネコのトトと暮らす日々をつづった『今日も一日きみを見てた』など。
河野丈洋(こうの・たけひろ)/1978年、埼玉県生まれ。2001年にロックバンド「GOING UNDER GROUND」のドラマーとしてデビュー。06年に初の日本武道館公演を行う。09年からソロ活動を開始。松たか子、藤井フミヤらに楽曲を提供。15年にバンドを脱退。アーティストヘの楽曲提供、ドラマ、映画、演劇などの音楽の作曲、演奏を行う。近作はNHKのドラマ 「大江戸ロボコン」など。ギター、ピアノも演奏するマルチプレーヤー。(撮影/写真部・小原雄輝)

■人と別れることは耐えがたくつらいこと

妻:丈くんのライブには必ず互助会のみんなで行くようになりました。そのころ、丈くんは熱烈な恋をしていたんです。

夫:相手は香港の女の子。日本が好きで何回か来ていて、新宿の居酒屋で出会ったんです。

妻:みんなで応援していて、丈がどんなにいいやつか伝えようとその子に会いに香港に行ったこともあります。06年にバンドが初めて武道館でライブをやったときは、その女の子を香港から呼びました。ステージを見れば絶対に彼に傾くと思ったから。でも結局、武道館は逆効果で。香港にはあまりロック文化がなくて、みんなが立ち上がって盛り上がっているのが、その子には怖かったみたいなんです。

夫:2年ぐらい香港に通いましたが、07年に完膚なきまでに振られました。

妻:互助会のみんなが慰めたのですが、作家なのでそれぞれの小説のような慰め方なんですよ。中村航は中村航の小説のようなカラッとした慰め方、長嶋さんは長嶋さん的なやさしいウィットで。私はそんなに深く慰めなかった。心中を思うと、かける言葉もないというか……。

夫:角ちんには「どこが好きだったの?」ときかれた。改めてきかれると、確かにどこだったんだろう、みたいな気持ちになってきて。その1年は抜け殻のようだったけど、互助会のみんなが今度は僕らをくっつけようとしたこともあり、彼女は離婚したところだったので、傷ついた二人が身を寄せ合ったわけです。

妻:何かの機会に離婚することを丈くんに言ったら、「自分も去年は本当につらかった、人と別れることは耐えがたくつらいことだと思うけど、頑張ってください」みたいなやりとりがあって、その後、もう離婚したという話をしたら、「じゃあ、こんど誘ってもいいですか」と言うから、「もう、いつでも」と。


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