大田さん、これまで大田さんのお伴をして多くの著名な友人、たとえば、ノーベル賞作家の大江健三郎さんや沖縄をマスメディアで全国にPRしてくれた故筑紫哲也さん、『JAPANAS No.1』の著者でハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授、鉄血勤皇隊員として九死に一生を得た故東江康治琉球大学・名桜大学元学長らと飲食、懇談し、楽しく過ごしたことも私の脳裏に深く刻まれています。もうこれから二人でステーキやマグロの中トロを食べたり、シーバスリーガル十八年もののソーダ割りを飲んだりして夜の那覇市内を歩き回れないのだと思うと寂しくてなりません。

 ここで、後輩としておこがましいかもしれませんが、私なりにあえて、先輩を評価させていただきます。大田さんは、ご自身の悲惨な沖縄戦体験を基に、孤独で自由に教育、研究に没頭し続けた学者、そして、その成果を踏まえて、県庁や国会で沖縄問題解決を目指して政策決定に関与した政治家であり、同時にまた県立公文書館や平和の礎などを建立し、目に見える形で戦争の愚かさと平和の尊さを訴え続けた反戦平和の使徒でした。ひとことで表現すれば「反戦平和の学者政治家」だったと思います。

 大田さんは、個性的で我が強く、好き嫌いも激しかったとも言われますが、もともと義理堅く人情味豊かであり、特に晩年はますます寛大で円満なお人柄になったように見受けられました。でも、大田さんもやはり独自の認識や感情、価値観を持った一人の人間であり、性格や思想、実施した政策、あるいは大田さんが目標とされていた100冊ほどの丹念な著作などについての評価は今後ともさまざまであり続けることでしょう。

 しかし、大田さんを敬愛する私共はご遺志を尊重して、今後とも沖縄県民に対するいかなる差別や犠牲の強要にも反対し、世界の恒久平和と沖縄県の発展のために頑張ることを誓います。

 どうぞ、大田さんがよく話しておられた、天国の友人たちとご一緒に安らかにお眠りください。

(本誌・前田伸也)

週刊朝日 2017年12月22日号