大田昌秀・元沖縄県知事(c)朝日新聞社
大田昌秀・元沖縄県知事(c)朝日新聞社
2017年に亡くなった主な著名人(1月~5月)(週刊朝日 2017年12月22日号より)
2017年に亡くなった主な著名人(1月~5月)(週刊朝日 2017年12月22日号より)
2017年に亡くなった主な著名人(6月~12月)(週刊朝日 2017年12月22日号より)
2017年に亡くなった主な著名人(6月~12月)(週刊朝日 2017年12月22日号より)

 今年6月に亡くなった元沖縄県知事の大田昌秀さんへ長年の交流があった元副知事の比嘉幹郎さんが県民葬で追悼の辞を述べていた。

【追悼・2017年に亡くなった主な著名人はこちら】

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 故大田昌秀さんの県民葬にあたり謹んで追悼の辞を捧げます。六十有余年の友人としてのよしみで、いつもの通り「大田さん」と呼ばせてください。

 大田さん、去る6月12日、奇しくも92歳の誕生日に、あの世に旅立たれたことを知事時代からの長年の秘書桑高英彦さんから電話で知らされたときは、茫然自失、ショックと悲しみに堪えませんでした。「生あれば死あり」ということを十分に認識はしているものの、兄貴分を失い至極残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます。ご遺族の悲嘆に思いを馳せますと申し上げる言葉もございません。

 本日の県民葬には悲嘆に沈むご遺族ご親戚をはじめ、惜別の情に耐え難い大勢の友人や知己、教え子たちが参列しています。大田さんのご逝去は県内外で大きく報じられましたので、無数の方々が至る所で、ご冥福を祈っていることと思います。

 思い起こせば、1949年、大田さんが私の古里・名護の英語学校の先生だったころから気心が合ったせいか、私を「ミキ」と呼んで親交を深めていただきました。米国留学および琉球大学の同僚としてのご好誼や、お互い独身時代における那覇市内での同居生活、東京大学での同時研修、二人同時にフルブライト交換教授としてアリゾナ大学への派遣、知事時代、そしてその後も、変わらぬ友情とご指導など、筆舌に尽くし難い数々の思い出を残していただき、誠にありがとうございました。

 大田さんと公の場で最後に同席したのは、昨年10月末の世界のウチナーンチュ大会の一環として米留仲間が開催した米国県人会代表の歓迎会でした。その時、ご挨拶をしてもらった大田さんは感涙にむせて、言葉も出せなくなっていたことに、出席者一同感動していました。そのころから、加齢とともに平和研究所の運営や執筆、講演などのご苦労も重なったためか、あの頑丈な体の持ち主が体調不良をきたし、病院通いが多くなり、直接お会いする機会は激減してしまいました。最後にお会いしたのは偶然で、去る4月4日、大田さんが1週間の予定で通院治療なされている琉大付属病院でのことでした。

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