西武ライオンズで監督を務めた東尾修氏は、イチローの米通算3千安打に「恐れ入る」と絶賛する。その理由とは?

*  *  *

 マーリンズのイチローが米通算3千安打を達成した。28歳になるシーズンで海を渡ったのに、こんな記録を打ち立てるなんて、本当に頭が下がる思いだ。

 私が西武の監督になったのは1995年。イチローが日本プロ野球初の年間200安打を達成して大ブレークした翌年だった。はっきり言って、イチローに良い思い出はない。とくにオリックスの本拠地の神戸ではよく打たれた。心が晴れずにホテルで沈んでいた記憶もある。

 審判に説明を求めたこともあったな。左打席に立つイチローの踏み出した右足が、ホームベースに届きそうなくらいバッターボックスからはみ出ていた。白線が消えていたから、「足が出ている」とアピールしたが、球審は「かかとがバッターボックスに残っている」と言った。それだけ強烈に踏み込んでいたわけだ。投手には「イチローのひざから下」への投球を指示した。しかし、内角低めに正確に投げ続けられるわけではないし、イチローはきわどい球を避けるのも本当にうまかった。

 ストライクゾーンは当然のこと、ストライクからボールゾーンにはずれる球も打ち返された。それでは投げる球はないよ。高めのボールからストライクに入る球でたまたま打ち取れることがあっても、それを意図して投げるわけにはいかない。

 私が投手ならどう勝負するかと考えたとき、今年、野球殿堂入りをはたした故・榎本喜八さんのことを思い出した。「安打製造機」として首位打者も獲得した榎本さんとは72年に西鉄で一緒にプレーした。フリー打撃の際、スローボールを打ち返すタイミングがずれていた。完璧な打撃フォームで打つ選手だったから「この球なら打ち取れるな」と思った。もし、私がイチローと対戦していたら「スローボール」を投じていただろうな。

 日本シリーズのような短期決戦なら、徹底した攻めも有効かもしれない。ただ、長いシーズンでは、打ち取るパターンを見いだせない選手だった。前の年に内角高めが弱点だったとしても、翌年にはそのゾーンを得意とするくらい変化していた。毎年のように弱点を克服する柔軟な対応ができるから、メジャーでも、10年にわたって連続200安打を記録できたのだと思う。

 
 あれだけの実績を残しながら、マーリンズに移籍し、バイプレーヤーとして、自分の価値を高めていることに恐れ入る。

 有力なベテラン選手の場合、実績からくるプライドが邪魔してレギュラーにこだわり、ベンチが使いにくい存在になってしまうことがよくある。しかし、イチローは第4の外野手として常に準備を怠らず、出番に備える。屈強な大リーガーも一目置くようになるよな。162試合を通じて高いパフォーマンスを出し続けることが難しくなっても、今の使われ方なら、質を落とすことなくプレーできる。

 イチロー自身はまだまだ「レギュラーで」と思っているかもしれないが、本当に素晴らしい年の重ね方をしていると感じるよ。

 日米通算でピート・ローズの4256安打を突破。米野球殿堂入りを確実とする3千安打も達成した。しかし、イチローならすぐに次のモチベーションを見つけるだろう。ここから先のイチローがつくり上げる世界は想像もつかないし、見るのが楽しみでもある。

週刊朝日 2016年8月26日号

著者プロフィールを見る
東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

東尾修の記事一覧はこちら