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早実・荒木&池田・水野が“甲子園のむごさ”で共感

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荒木大輔(左)あらき・だいすけ/1964年生まれ。早稲田実の主戦として甲子園に春夏計5度出場。ドラフト1位でヤクルトに入団した。96年までに39勝49敗2セーブを記録。現在は野球解説者水野雄仁みずの・かつひと/1965年生まれ。池田時代に主戦、主軸として活躍。ドラフト1位で巨人に入団し、96年までに39勝29敗17セーブをあげた。現在は野球解説者(撮影/写真部・加藤夏子)

荒木大輔(左)
あらき・だいすけ/1964年生まれ。早稲田実の主戦として甲子園に春夏計5度出場。ドラフト1位でヤクルトに入団した。96年までに39勝49敗2セーブを記録。現在は野球解説者
水野雄仁
みずの・かつひと/1965年生まれ。池田時代に主戦、主軸として活躍。ドラフト1位で巨人に入団し、96年までに39勝29敗17セーブをあげた。現在は野球解説者
(撮影/写真部・加藤夏子)

 早稲田実(東東京)、池田(徳島)、PL学園(大阪)……1980年代初頭、甲子園の“主役”はこの3校だった。誰もが手に汗を握った死闘の舞台裏を荒木大輔、水野雄仁両氏が明かす。

*  *  *
──早稲田実の投手だった荒木さんは、1年生の夏に甲子園に出場し、6試合のうち4試合で完封。準優勝を果たしました。

荒木:先輩がけがして、急きょ大舞台に立たされて。

水野:初戦はどこでした?

荒木:大阪の北陽。優勝候補の強力打線でしたよ。ここで勝ったことで自分の世界が変わったかな。

──決勝では横浜に4-6で敗退。相手投手は、後にロッテ、中日で活躍する愛甲猛さんでしたね。

荒木:自信なかったですよ。僕は1年だったし、あれよあれよというまに勝ち上がってはきたけれど、みなさんに言われるほど強いチームじゃなかった。

──荒木さんは3年の夏まで5季連続で甲子園に出場し、12勝をあげました。

水野:僕は2年夏から3季。のちの桑田真澄、清原和博(ともにPL学園)も含め、5季出場している人はスーパースターですよ。とくに荒木さんは史上最大の騒がれ方だった。

──その人気ぶりは「ハンカチ王子」(斎藤佑樹=早実)の比じゃなかったですよね。

水野:全然違うでしょ。松坂大輔(横浜)と比べるならともかく。なんで僕のファンはおばちゃんか子どもなんだって思ってた(笑)。

──女の子からの手紙やプレゼントが続々と。

荒木:学校に届いた分は全部持って帰れと言われて。数え切れないくらいの段ボールでした。自宅にも部屋が埋まるくらい届きました。でも、なんだか怖くて開けられなくて……。

──その「大ちゃんフィーバー」が終わったのは、1982年夏の準々決勝の池田戦でした。強豪・早実との対戦が決まった池田は、2年生主軸だった江上光治さんと水野さん以外の3年生がお土産を買うなど帰り支度をしていたとか(笑)。

水野:僕らは荒木さんほど甲子園に出ていなかったから、自分たちが強いのか弱いのかよくわからなかった。1回戦の相手は静岡で、後に南海に入る大久保(学)さんがすごい球を投げていた。「甲子園は違うな」って。その後の日大二や都城とも接戦でした。

荒木:それを見て、早実の面々は勘違いしたんです。日大二の力を知っていたので、「二高(日大二)とこんな試合してる」って。でも、僕は変なイメージを持っちゃった。体が大きく、バットの振りも鋭くて、嫌な感じがしたんです。


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