今でも丹波の写真は肌身離さず持ち歩いています。かけがえのない教え子が亡くなる……さすがに監督を辞めたいという気持ちになりました。丹波というと、いつも練習後に外野を走っている印象が残っています。

 勉強もできる子でね。文武両道を地でいく生徒でした。何万人にひとりという難病によって命を落としたわけですが、当然ながら私の指導にも責任があったんじゃないかと自分を責めました。彼が亡くなったことを、次世代の球児への指導に生かしていかなければ彼も報われない。以来、選手には「痛いところがあれば報告しなさい」「体調に不安があるなら包み隠さず言いなさい」と伝えました。

 もし痛みを訴えた選手がいたら、練習は部長やコーチに任せて、私は選手に付き添って病院に行くようにしました。大会が近づけばどうしても選手は頑張りすぎてしまう。ケガや病気を未然に防ぐのも指導者の役割です。監督が選手を病院につれていくんですから、他の高校野球部からすれば過保護に映るかもしれませんが、こういうことでお互いの信頼は生まれていくのではないでしょうか。

週刊朝日 2015年10月9日号より抜粋