一人は04年から05年までイラクに派遣された、当時40代の衛生隊長(2佐)だ。家族の反対があったものの、医師として現地に赴き、自衛隊員の治療だけでなく、現地で病院の運営も手伝い、時には徹夜の作業が続くこともあった。

 それが、イラクから帰還した後にうつ病を発症。やがて自殺願望が出るようになった。首をくくって自殺未遂をしたこともあった。

 治療のために入院もしたが病状は改善せず、最期は自らの太ももの付け根をメスで切り、自殺した。遺書はなかったという。

 そして当時30代の警備中隊長(3佐)は、05年に妻子を残したまま、車内に練炭を持ち込み、自殺した。警備中隊長は百数十人の警備要員を束ね、指揮官を支える役割で、この中隊長の部隊はロケット弾、迫撃砲などの攻撃を数回受けたほか、市街地を車両で移動中、部下の隊員が米兵から誤射されそうになったこともあったという。

 中隊長は帰国後、日米共同訓練の最中に、「彼ら(米兵)と一緒にいると殺されてしまう」と騒ぎ出したこともあったという。

 第1次カンボジア派遣施設大隊長を務めた元東北方面総監の渡邊隆氏は言う。

「カンボジアへの派遣以降、海外に派遣された自衛隊員で自殺をした人は59人います。PTSD(心的外傷後ストレス障害)は個人個人に影響があると考えないといけない。『弱い』と言ってしまったら、そこで終わってしまうのです」

(本誌・西岡千史、長倉克枝/今西憲之、横田一)

週刊朝日 2015年8月28日号より抜粋