戦地に散った球児たち(4)<作家・木内昇> (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

戦地に散った球児たち(4)<作家・木内昇>

このエントリーをはてなブックマークに追加
嶋の投球フォーム (c)朝日新聞社 

嶋の投球フォーム (c)朝日新聞社 

海草中の選手たち。左端が嶋。右から2人目が古角氏 (c)朝日新聞社 

海草中の選手たち。左端が嶋。右から2人目が古角氏 (c)朝日新聞社 

 海草中野球部も時勢に鑑みて、昭和18(43)年、解散を余儀なくされた。その際、編まれた部史に、明治大学に進んだ嶋の文章が載っている。この時代の大学生は、かくも見事な文章を書いたのか、とまず驚かされる。

「満天下の愛球家を唸らせたあの全国中等野球も今や昔の夢物語となり万感我等の胸に迫り過去の追憶が走馬燈のように頭の中を駆け巡るのみである。海草野球をいついつ迄も守り、いずれの日にか生れ代った中等野球をあの名残尽きぬ懐しいスタンドの一隅から眺める時が到来するであろうことを信じて拙筆を終わろうと思う」

 嶋選手は戦争を無益に思っていたのではないか。松本氏に伺うと、「僕も詳しくは知らんのですが」と前置きして続けた。

「でもこの部史でも皆が軍国主義的なことを書いとる中、嶋だけは戦争に賛成とも反対とも言わず、野球のことのみ書いとるんです」

 本土への空襲も既にはじまっていた時期だ。国策に身を投ずべき、と勇ましい文章が散見されるのは、当時の教育において不思議ではない。が、嶋は簡単に時代に取り込まれなかった。

「周りに迎合することがなかった人やと思います。常に自分の頭で考えていたのでしょう」(松本氏)

■生還した親友 「第二の嶋」育成

 嶋清一に召集令状が届いたのは、この秋のことだった。大学を繰り上げ卒業し、和歌山に戻って慌ただしく結婚式をあげ、ひと月も待たずに広島の大竹海兵団に入営した。その直前、同じく出征する海草中野球部同期と開いた壮行会で、嶋は涙を流したという。

 通信兵だった嶋は昭和20年3月、乗り込んでいた海防艦が潜水艦の攻撃を受けて沈没。帰らぬ人となった。

 14年の優勝チームのうち嶋のほか、セカンドの田中雅治、ショートの竹尻太次が、戦争で命を落とした。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい