「46歳か」東尾元監督が佐々木主浩の殿堂入りに一言 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「46歳か」東尾元監督が佐々木主浩の殿堂入りに一言

連載「ときどきビーンボール」

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週刊朝日#東尾修
野球殿堂入りした佐々木主浩氏(前列中央) (c)朝日新聞社 

野球殿堂入りした佐々木主浩氏(前列中央) (c)朝日新聞社 

 12月2日、都内で佐々木主浩氏(46)の殿堂入り祝賀パーティーが行われた。西武の監督時代に敵として戦った東尾修元監督が当時を振り返る。

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 日米通算381セーブを挙げた大魔神・佐々木主浩の野球殿堂入りを祝うパーティーが12月2日、東京都内のホテルで行われた。私もパーティーに参加してきた。素晴らしい会だった。

 約800人が集まったと聞いた。そうそうたる顔ぶれだった。マリナーズ時代に同僚だったイチローや、清原和博もいた。そのほかにも各界の大物がズラリ。佐々木の人脈の豊富さ、引退した後の活動も含めて努力してきたのだと感じたよ。それだけ、野球界に大きな貢献をした選手。心から拍手を送りたい。

 佐々木と言えば、私が西武監督時代の1998年、横浜(現DeNA)との日本シリーズで対戦した。絶対的なクローザーだった佐々木に対して、チャンスがあるとすれば、先頭打者が出塁することだった。各打者においては、打者有利のボール先行のカウントになればな……と祈る思いだった。

 攻略法なんて多くは存在しない。まず、先頭打者が出れば、当時の西武は足のある走者が多かったから、かき回せると考えた。逆に2アウトだと、走者にも警戒が行くから、盗塁などの確率は下がる。先頭打者、せめて1アウトから走者を出すことがカギだと思っていた。ボール先行になれば、速球でもフォークボールでも必ずストライクを取りに来る。各打者によって狙い球は違うが、ストライクを取りに来る球をどう打つか──。それだけ攻めにくい投手だった。

 2003年12月の名球会総会で入会資格が改定され、日米通算記録を認めること、そして新たな基準として通算250セーブ以上が加えられた。高津臣吾(現ヤクルト投手コーチ)とともに、規定改定に大きく影響を与えたのが、佐々木という存在だったことは間違いない。先発至上主義の時代に生きぬいてきた名球会の投手としても、時代の流れ、そしてクローザーという分野の価値を認めるだけのインパクトのある活躍だった。

 私も10年12月に野球殿堂入りパーティーを都内のホテルで開いていただいた。山本浩二さんほか、いろんな方々にお祝いの言葉をもらった。自分のスピーチでは、用意していたフレーズが飛んでしまって頭が真っ白になった。

「感謝感激です……。ここまで来られたのは仲間のおかげ。感謝しています。監督でも、(松坂)大輔、(松井)稼頭央……頑張ってくれた仲間に感謝です」

 当時の新聞の記事を見たら、そう書いてあったが、こんなに感謝という言葉を使ったのか、と思うよ。ただ、自分の思い通りに野球をしてこられたのも、いろんな方々のサポートがあり、わがままに付き合ってくれたおかげだと思う。感謝とうれしさでいっぱいだったことだけは覚えている。

 現役時代は個人的にはタイトル、チームとしてはリーグ優勝、日本一ということを目標に戦ってきた。その積み重ねが野球殿堂だと思う。しかも、野球界に携わったベテランのマスコミの方々に投票してもらわなければ、選ばれないのが野球殿堂だ。

 私が殿堂入りしたのは4年前、60歳の年だった。選手として、監督として、野球に携われて本当に良かったという思いと、最後のご褒美をもらったなという気持ちだった。

 佐々木は今46歳か。野球殿堂入りを励みに、今後は指導者として、野球界のために貢献してもらいたいね。

週刊朝日  2014年12月19日号


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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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