「チームの悪いところも平気で口にする。たとえば新人に覇気がないと『チャンスをつかまなきゃいけない選手が必死で戦っていない』などとズバズバ言う。それでも人なつっこい関西出身の本田が言うと、嫌みには聞こえないんです。計算ずくでなく、まっすぐに本当に思ったことを言っているからでしょうね」

 言葉は自分に跳ね返る。ただ言うだけでは信頼も得られない。そうやって自分を追い込んで、結果を出し続けるのが本田の流儀だ。

 もともと海外志向は強かった。08年1月、移籍に向けてオランダへ旅立った空港で取材を受けたとき、東京ヴェルディから18歳でイタリアのカターニアへ移籍した森本貴幸の名前を出して、本田は言った。

「森本君がうらやましい。(僕は)この年で海外に出るのは遅すぎるくらい」

 海外移籍は夏に控えていた北京五輪の後でもいいのでは、という問いには、
「五輪代表に選ばれるために国内に残るとか、そういう考えはない。ただレベルアップをしたい」

 結局、北京五輪代表にも選ばれることになる21歳の若武者は、こう言って海外へと飛び立っていった。

「男だったら誰でも高みを目指すものでしょ」

 言葉どおり、それから2年余り、世界の舞台で力を伸ばしてきた。オランダ・リーグのVVVフェンロで1部と2部を経験し、今年に入って移籍したロシアのCSKAモスクワでは、ワールドカップよりレベルが高いとも言われる欧州チャンピオンズリーグで、ベスト8進出に大きく貢献した。

 CSKAモスクワが8強を決めたセビリア(スペイン)戦を取材した内海記者は、チームでの本田の存在感に目を見張ったという。

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