『LIVE AT THE TOUBADOUR』CAROLE KING & JAMES TAYLOR
『LIVE AT THE TOUBADOUR』CAROLE KING & JAMES TAYLOR

 ロサンゼルスを代表する道の一つ、サンタモニカ・ブールヴァード。一部がカリフォルニア・ステイト・ハイウェイ2号線とも呼ばれているこの道は、太平洋に面したサンタモニカを起点に、まずしばらくは北東の方角に進んでいく。インターステイト・ハイウェイ405線を越えたあとも北東方向を目指し、センチュリー・シティーやビヴァリィヒルズのエリアを抜けて、ラシエネガ・ブールヴァードとの交差点を過ぎたあと、ほぼ直線で東西に伸びる道となる。このあたりがウェスト・ハリウッド。さらにしばらく走って、国道101号線と交差したあと、イースト・ハリウッドの先でサンセット・ブルーヴァードと合流するまでの、約35キロ、ほぼ全線片側4車線の幹線道路だ。ちなみに、サンタモニカ・フリーウェイは、同じエリアを起点として東に伸びていくインターステイト・ハイウェイ10号線の西側一部分を指すものだ。

 さて、サンタモニカ・ブールヴァードに話を戻すと、ちょうどその中間あたり、ドヒニー・ドライヴとの交差点に、トルヴァドゥールという、クラシックな佇まいのクラブがある。と、「さて」と書いておきながら、ここで少し脱線してしまうのだが、ドヒニーという名前は、20世紀初頭、ロサンゼルス地区での石油採掘で莫大な資産を築き上げたエドワード・ローレンス・ドヒニーの功績を称えてつけられたものだという。ここでピンときた方もいるだろう。そう。アルバム『ハード・キャンディ』などによってとりわけ日本で高い人気を集めてきたLA系シンガー・ソングライター、ネッド・ドヒニーはその一族の一人なのだ。

 トルヴァドゥールは、1957年ごろ、すぐ近くの別の場所にオープンしたコーヒー・ハウスがその前身。そして数年後には、詰めてもキャパ500人前後という現在の建物に移り、60年代半ば以降は、新しい音楽の波の拠点となっていった。その要因は、ローレルキャニオンと近かったことに加えて、コーヒー・ハウスのイメージを残していたことも大きかったのではないかと思う。自由な音楽表現の場、若いアーティストにとっての登竜門としての意味を持っていたことはもちろんだが、同時に、トルヴァドゥールは彼らの出会いの場であったのだ。

 たとえば、リンダ・ロンシュタットはそこでグレン・フライやドン・ヘンリーを知り、それがイーグルスに発展していったといわれているが、リンダはもっと踏み込んで「あの店のバーで彼らと会った」と語っている。前回のコラムで取り上げたキャロル・キングとジェイムス・テイラーもそう。ほかにも、ジャクソン・ブラウン、ネッド・ドヒニー、トム・ウェイツ、リッキー・リー・ジョーンズ、ジョニ・ミッチェル、ボニー・レイットなど数えきれないほどのアーティストがトルヴァドゥールを愛し、そこに集い、それぞれのキャリア初期の段階で、しばしばそのステージに立っている。

 アメリカのシンガー・ソングライター・ムーヴメントから強い刺激を受けていたエルトン・ジョンも、1970年の初渡米時、まずトルヴァドゥールで歌ったという。74年には、いわゆる「失われた週末」を過ごしていたジョン・レノンがハリー・ニルソンとともに泥酔状態でトルヴァドゥールを訪れ、追い出されたという伝説も残されている。

 2007年11月、キャロル・キングとジェイムス・テイラーは、ほぼ40年の歳月をへてふたたびトルヴァドゥールのステージに立った。あの当時からの音楽仲間、ダニー・クーチ、ラッセル・カンケル、リー・スクラーの3人をバックにそれぞれの代表曲の数々と《君の友だち》などを歌ったライヴは、2010年春、つまり彼らの来日公演と同時期にリリースされた。その柔らかな手触りの音からは、トルヴァドゥールに漂うインティメイトな空気も伝わってくるはずだ。 [次回3/16(水)更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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