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「今週の名言奇言」に関する記事一覧

限界集落株式会社
限界集落株式会社 「どんと来い、TPP。信州、東北で大大ヒット!」という帯のコピーが効いたのか、発売1週間で累計10万部の売れ行きらしい。黒野伸一『限界集落株式会社』は人口の過半数を65歳以上の高齢者が占め、戸数37戸の過疎の山村を舞台にしたエンターテインメント小説だ。  主人公の多岐川優は東京のIT企業をやめ、愛車であるBMWの7シリーズを駆って、かつて亡き祖父が住んでいた山間の止(とどめ)村にやってきた。マクドもスタバもセブン-イレブンも郵便局も学校も診療所もない村。英気を養うだけのつもりだった優は、住民のやる気のなさを見て奮起。集落営農で耕作を効率化し、JAを通さず作物を販売する農業経営に乗り出した。稲作をやめて減農薬野菜の直接販売をスタートさせ、経営は徐々に軌道に乗るが……。  有川浩『県庁おもてなし課』、真保裕一『ローカル線で行こう!』などと同じ、都会から来たヨソモノが地方の活性化に立ち上がる地域再生物語である。小説としてはおもしろかったが、ほんとにこれで「どんと来い、TPP」となりますかね。  本書から過疎の村が復活再生するための条件を考えてみると……。  〈1〉体力と気力のある若者や壮年がいる(本書では優をはじめ、農業に命をかける美穂、美穂の父の正登、元ホステスのあかねらがいる)  〈2〉体力も気力もないが能力のある若者がいる(HPを担当する三樹夫とマンガが得意な千秋がいた)  〈3〉ゆるキャラがヒットする  そう、この小説では千秋が描いた「ベジタ坊」が秋葉原で人気を博し、止村テーマパーク化計画へとつながるのだ。ううむ、アキバ頼みかぁ。「あまちゃん」もそうだけど、いまやアキバ系のオタクが地域経済活性化の鍵を握っているらしい。 〈ベジタ坊がメジャーになれば、村の知名度も上がる〉。〈ベジタ坊のおかげだよ〉。全国各地の自治体がゆるキャラの制作に血道を上げるはず。とはいえ高齢者の活躍の余地がないのが、致命的である。
福島第一原発収束作業日記
福島第一原発収束作業日記 福島第一原発で、4号機の使用済み核燃料を燃料貯蔵プールから取り出す作業が今月中にもスタートするという。燃料の数は4号機だけで1533本(1~4号機全体で約3100本)。大丈夫なんですかね。  そこで、この本。ハッピー著『福島第一原発収束作業日記』。2011年3月20日から2年余にわたるツイートをまとめた貴重な現場報告集だ。事故直後の衝撃もさることながら、著者が再三訴えるのは政府や東電の対応がいかに現場を混乱させ、作業を滞らせるかってことである。  たとえば東電がつくった机上の空論的「工程表」に対する疑問。〈東電も、政府の戦略に加担した工程を早く現実的な工程に見直して欲しいよ〉〈このままの工程じゃ、無理して必ず弊害が出てくるよ〉(11年5月9日)。11年12月16日、当時の野田首相が出した「収束宣言」が現場に与えた影響も予想を超えている。  まず賃金の問題。〈原発事故の「緊急作業」は名目上終了した事になり、作業員単価や危険手当の金額が大幅に下がってしまったんだ〉。次に契約や書類の問題。すべての作業に事故前と同様の契約書や仕様書が必要になり〈作業が後手後手になっていったんだよね〉。そして東電のコストカット。収束宣言以降、競争入札が増え、原発での経験や実績がなくてもギリギリのコストで処理を請け負う会社が増えた。その結果は〈工事の品質も含めて、後からいろんな部分に悪影響として出てくるんだ〉。 〈トラブルの多くは、十分予測出来た事なんだ〉と著者はいう。〈予算削減、設計簡素化、工期短縮、行き当たりばったりの対応・対策のツケが、今になって露呈してきてる感じなんだよね〉〈今のままじゃ40年後の廃炉とか、絶対に不可能だよ〉。  この人を原子力規制庁のスタッフに加えなさいよ、といいたくなるような鋭くもゾッとする指摘の数々。ツイッターは現在も継続中。鎌田慧『自動車絶望工場』(73年)や堀江邦夫『原発ジプシー』(79年)の系譜に連なる第一級の証言だ。
史上最強の内閣
史上最強の内閣 消費増税を決めても、集団的自衛権の行使に意欲を見せても、支持率50%超の現内閣。「いったい何なのこの国は?」と思いつつ、遅ればせながら今年春に文庫化された室積光『史上最強の内閣』を読んだ。  北朝鮮が日本に向けた中距離弾道ミサイルに燃料注入をはじめたところから物語ははじまる。手に余ると判断した自由民権党の浅尾一郎首相は緊急記者会見を開く。「大変長きにわたり、皆様をたばかって申し訳ありません。私たち内閣はいわば二軍でありまして、日本国には実は最強の『影の内閣』があるのです」。  かくて姿を現した非常時だけの期間限定内閣は、首相の二条友麿、官房長官の松平杜方、外務大臣の坂本万次郎、防衛大臣の山本軍治、国家公安委員長の西郷利明ら、どこかで見たような名の人物ばかり。ここに記録係として指名された朝地新聞の半田記者と東亜テレビの小松記者が加わって、硬軟とり混ぜた対北朝鮮外交が繰り広げられるのだ。  といっても、そこは奇想天外なエンターテインメント。東京ネズミーランドで拘束された、シン・チョンイル将軍の長男のシン・ジャンナムはバラエティ番組で引っ張りダコになるわ、工作員として送り込まれた4人の男性は「エージェント・フォー」の名で歌手デビューして人気アイドルになるわ、物語は予想外の方向に……。つまりドタバタ喜劇である。  それでもこの小説に多少の意義があるとしたら、右も左も軽く蹴飛ばし、北朝鮮にも日本にも米国にも批評的な目をむけている点だろう。6カ国から米ロを外した中日韓朝の4カ国協議のために平壌に向かう途中、二条首相は口にするのだ。  「もともと、150年前からこの当事者だけで話し合えばずっと平和だったですからなあ。(略)住んでるもんだけで話そうやおへんか」  単行本が出版されたのは2010年11月。3年後、内閣は日本版NSCとやらとセットの特定秘密保護法案なんてものまで持ち出してきた。二条内閣の次の出番は間近かも。
何のために生まれてきたの?
何のために生まれてきたの? 10月13日に94歳で亡くなったやなせたかしさん。訃報と同時に新聞には多くの賛辞が載り、書店でも既存の著書はのきなみ売り切れ。もっか増刷待ちの状態だ。NHK「100年インタビュー」をまとめた『何のために生まれてきたの?』は13年2月刊。やなせたかしの思想を知るには好適な一冊だ。  「アンパンマン」に託された、やなせたかしの「正義の思想」は次の言葉にあらわれている。〈いろいろなヒーローがいる中で、アンパンマンは一番弱いね。ちょっと雨に濡れれば弱る。ちょっと泥がついても弱る。顔が曲がっても弱る。だから「助けて!」と叫んで、ジャムおじさんに顔をつくり直してもらわないと戦えないヒーローなんですよ〉  だけど、ヒーローだけいても、世の中は成立しないのだ。〈悪い菌を全部殺してしまうというのはダメなんです。/世の中もこれと同じで、例えば、反対派を全部やっつけてしまうと、ファシズムになるんです。全体主義になってしまうと、その国家はいずれ滅亡していく〉  一強多弱といわれる現在の政治状況が重なって見えてきません? 野党のばいきんまんも必要なのさ。  マンガやアニメがこれだけ批評の対象になっているにもかかわらず、「アンパンマン」論は「ドラえもん」論に比べても極端に少ない(っていうかほとんどないに等しい?)。が、次の言葉を読めば、批評の可能性はまだまだありそうである。 〈アンパンマンは、絶対に武器を持ちません。何とか光線とか、そういうのも出しません。必ず素手で戦う。逆に、バイキンマンはいろんなものを持ちます〉〈ばい菌というのは、やられるとまた次の新しい型が出てくるんです、絶えずね〉  どうですか。アンパンマンは戦後の平和憲法を忠実に、というか愚直に体現したヒーローだったのだ。  自己犠牲の精神で自らの顔をさしだすアンパンマンと、善玉菌としての機能を果たすばいきんまん。これ、外交のアナロジーに使えないかしら。
原発ホワイトアウト
原発ホワイトアウト 若杉冽(れつ)『原発ホワイトアウト』。現役のキャリア官僚が原子力行政の裏を描いた小説として、もっか話題の本である。正直、小説として出来がいいとはいえないが、一読の価値あり。なんたって原発の再稼働をめぐっていま起きている霞が関の動きが手にとるようにわかるのだ。  関東電力の元総務部長で、いまは日本電力連盟の常務理事として保守党の幹部と太いパイプを持つ小島。経済産業省資源エネルギー庁次長で、やはり保守党の幹部を裏で牛耳る日村。自分こそが日本の未来を担っていると信じる、悪代官みたいなこの二人を中心に物語は進行する。  日村に再稼働はどうするんだと尋ねられた原子力規制庁の審議官はいう。〈原子力規制委員会の本委員の任期はよう、5年もあるから、懲戒事由がない限り、交替はさせられないけどよう。専門審査会の委員の任期は2年、ワーキング・グループの委員の任期は1年だからよ、問題児は、ワーキング・グループ・レベルから一人ひとり替えていきゃいいんだよっ〉  一方、日村は「大衆」について考える。〈大衆は、きれいごとには賛同しても、カネはこれっぽっちも出さない。原発を再稼働させないと電力料金がどんどん上がる、という構図を示し、大衆に理解させれば、徐々に、アンチ原子力の熱は冷めていく〉。そのためには〈電力会社の連中を逆さ吊りにして、鼻血も出ないくらい身を切らせた、という公開処刑のショーを大衆に見せてやらないと〉。  「左翼のクソども」とツイッターでつぶやいた復興庁の参事官や「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいい」と匿名ブログに書き込んだ経産省のキャリア官僚なんて、ワハハ、氷山の一角なのさ。 〈現在の大衆は、原始人よりも粗野で愚かで短絡的だ〉とは日村の実感。後半では再稼働に抵抗する新崎県の伊豆田知事(モデルはもちろん新潟県の泉田知事)が失脚させられ、新崎県の原発は恐ろしいことになるのだが、それでも彼らが懲りないのがまたリアルなんだ。
大地のゲーム
大地のゲーム 楳図かずおの漫画『漂流教室』なんかを連想させるSFっぽい設定。綿矢りさ『大地のゲーム』は21世紀末を舞台にした近未来小説だ。 〈あの夏の日、未曾有の大地震が私たちを襲った。そして、また一年以内に巨大な地震が来ると政府は警告している〉。7万人の命を奪った大地震。大学では語り手の「私」や「私の男」をはじめとする大勢の学生が寝泊まりしている。防災法の規定で学内での待機を命じられ、〈混乱と余震の続くなか、私たちは大学のなかに閉じ込められた〉のであった。  原子力エネルギーはすでになく、蓄電技術の発達で国の機能は保たれているものの、国力は落ち、貧富の差も寒暖の差も激しくなり、平均寿命は70歳前後まで落ちている。  非常事態下のキャンパスには「反宇宙派」という政治団体とも新興宗教ともつかぬグループが生まれ、「リーダー」と呼ばれる男子学生のアジテーションが視線を集める。〈私たちが今回、痛切に学んだのは、誰も何も知らなかった、ということです。(略)でも対策を取れなかった指導者に対して怒り、絶望しても、命が助かるわけではありません〉  政治的無関心のなれの果てか、これが究極のサバイバル術なのか。怒らない若者たちの物語なのだ。こんな状況下でも学生たちは学祭の準備に余念がなく、「私」の興味が向いているのは「私の男」とリーダーとマリという女子学生をめぐる四角関係的な恋愛である。同世代の男女しかいない大学という閉鎖空間。  ひとつ印象的だったのは〈私たちはもともと“明るすぎる街”を知らない〉というフレーズである。何万ドルの夜景などが売り物だった「明るすぎる街」は何世代も前の話であり、「私」が見慣れた夜景はほとんどが夜の闇に支配された世界。〈貧相だともさびしいとも思わず、とにかくそれが普通だった〉。  繁栄を知らない時代の子どもたちは可哀想。こうなるのがイヤで、みんな経済発展に血道をあげているのか。そういう意味ではリアルかも。

この人と一緒に考える

おら、「あまちゃん」が大好きだ!
おら、「あまちゃん」が大好きだ! 9月28日放送の156話でついに幕を閉じたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。その人気ぶりは、放送終了後の「アイ・ミス・ユー」な状態を示す「あまロス症候群」なんて新語まで生むほどだった。  そんな「あまロス」状態のアマラーたちの心を癒やすのが、スナック梨明日ならぬ「あま本」の数々である。『あまちゃんメモリアルブック』(NHKサービスセンター)では5人の演出家が裏話をまじえて全26週の物語を掘り下げ、『おら、「あまちゃん」が大好きだ!』ではディープなファンの面々が「あまちゃん」への熱い思いを語る。本誌「マガジンの虎」の亀和田武さんも巻頭を飾っています。題して〈2013年、『あまちゃん』は最大最強の国民的関心事となった。〉。2冊読破するとさすがに食傷気味になるものの、「じぇじぇじぇバブル」は当分続くかも。  そんな中、スタッフともファンとも異なる立場から「あまちゃん」を語って異色なのが達増拓也岩手県知事である。薬師丸ひろ子(1964年生まれ)と同い年という知事は東大法学部卒。外務官僚を経て衆議院議員を4期務め、07年に知事に就任して現在2期目というエリートだが、そのツイートやインタビューの本気度たるやかくのごとし。 〈ドラマの中で、海女さんたちが地元の海に潜ってウニを獲り、それを弁当に加工し、ローカル鉄道の車内で販売していますが、これは、第一次産業(漁業)、第二次産業(食品加工)、第三次産業(流通・販売)を総合した「第六次産業化」です〉  これを指して「アマノミクス」と知事は称する。「あまちゃん」のようなやり方で地域の資源を発掘し、アキとユイの動画のようなやり方でネットを活用する。〈岩手から日本全体が元気になるよう、「アマノミクス」で「じぇじぇじぇ改革」を進めるように取り組んでいます〉  「じぇじぇじぇ改革」って何なんだ。世界遺産も経済、五輪も経済、ドラマも経済。自治体が大河ドラマや朝ドラの誘致に動くはずだよ。
オリンピックの身代金
オリンピックの身代金 1964年8月22日、オリンピック最高警備本部の責任者である警務部長の自宅で爆破事件が起きた。2日前、警視総監宛てに届いた脅迫状の内容は〈小生 東京オリンピックのカイサイをボウガイします 近日中にそれが可能なことをショウメイします ヨウキュウは後日追って連絡します 草加次郎〉。  奥田英朗『オリンピックの身代金』は、オリンピックの開催を間近に控え、東京中で突貫工事が行われていた64年の夏を舞台に、ひとりのノンポリ学生がテロリストに変わっていく過程を描いた長編小説だ。  犯人を追う刑事、テレビ局に勤務する警務部長の息子など、物語は複数の視点から語られるが、最大の特徴は爆弾テロを企てる学生・島崎国男がある種の共感をもって描かれることだろう。国男は東大の大学院でマル経を専攻する24歳の青年。秋田の貧しい農村の出身で、東京に出稼ぎに来ていた15歳上の兄は首都高速の建設現場で異常な長時間労働の末、不審な死をとげた。〈肉体労働を経験しなければ、自分は堕落してしまう〉。突然そう思い立った国男は自らも建設現場に身を置くが……。 〈ここ一年、国民全員が日本人であることを強く意識していた。町内会では、町をきれいに見せるために洗濯物を軒下に干さないよう話し合われ、傷痍(しょうい)軍人の物乞(ものご)いたちも、外人に恥ずかしいからと自発的に擦り切れた軍服を脱ぎ捨てた〉  華やかなイベントの陰には、そうだよね、こういうことが必ずあるんだよね。〈おめみたいなエリートに、おらの気持ちはわからん。おらには、繁栄なんか関係ね。オリンピックも関係ね〉とは、やはり東京に出稼ぎに来た、国男と同郷の男が吐く台詞。今ならさしずめ「おもてなしなんか関係ね」ですかね。  単行本が出版されたのは08年。格差社会という言葉が盛んに使われはじめた頃だった。60年代の作品かと錯覚しそうな臨場感。猪瀬都知事に読ませたい。読んでも「国家に反逆する犯罪者」としか思わないか。
原子力のサバイバル〈1〉
原子力のサバイバル〈1〉 子ども向けの原子力教育ツールはバイアスがかかったものが多い。昨年まで稼働していた原子力教育支援情報提供サイト「あとみん」(主催/文科省。運営/日本原子力文化振興財団。2012年3月末で閉鎖)など、原発の安全PRが目的であることが見え見えだった。福島第一原発の事故後、この種のキャンペーンはしばらく鳴りをひそめていたが、最近また復活しつつある。  なので「科学漫画 サバイバルシリーズ」36巻『原子力のサバイバル〈1〉』も半ば疑心暗鬼で読みはじめた。少年ジオ、発明好きの科学者ノウ博士、博士の助手のケイらを中心に展開する人気シリーズ。今回、博士が発明したのは人間が乗って操作する耐放射線作業用の巨大ロボット、アインシュタイン号だ。一行はロボットのお披露目のためS島の放射線研究所にやってきたが、実演の最中に大地震と津波が島を襲い、原子力発電所でも水蒸気漏れが。キャーッ!  物語はここで終わり。その後の展開は「次号に続く」らしいので、この段階で評価はできない。ただ、放射性物質に対して異様に呑気なノウ博士と、異様に心配性のケイの対比がこの巻の見どころと見た。「心配いらん。放射線はもともと自然界にあるものなんじゃ」と語る博士に「博士、それは自然放射線でしょ。別の問題ですよ」と突っ込むケイ。博士の失敗を知るジオの懸念に対しても「確認したけど心配だよ。何せ、放射能だからな! 何で博士は自信満々でいられるんだか……」。  こういうツッコミ役を用意しただけでもだいぶマシ。科学者が微妙にバカに描かれているのが現実とかぶって見える。じつはこれ、韓国の漫画の翻訳版なのだ。福島を経験した日本とはやや異なる距離感が保たれているのはそのせいだろう。  にしても、こんなロボットが現実には存在しない以上、一行がサバイバルに失敗してはじめて原子力への理解が深まるはずなのだ。はたして結末やいかに。ハッピーエンドでもバッドエンドでもこわいよな。
気候で読み解く日本の歴史
気候で読み解く日本の歴史 全国的な猛暑、異常な集中豪雨、その逆に極端な少雨となった地域。気象庁も今年の夏(6~8月)を「異常気象」と位置づけた。  とは申せ、異常気象はもちろん過去に何度も起こっていたわけで、田家康『気候で読み解く日本の歴史─異常気象との攻防1400年』を読むと、為政者は常に天候との戦いを強いられていたことがわかる。  たとえば奈良時代。当時の為政者を悩ませたのは干ばつによる飢饉である。そのために取られた最大の施策は、寺社による雨乞い!   干ばつと飢饉は天然痘その他の疫病の源ともなる。飛鳥時代から奈良時代にかけ、200年間に21回もの遷都が繰り返されたのは、厄災続きの都市から去りたいという願望に加え、巨大建造物の建立ラッシュによる森林破壊が影響していたという。山林は保水力を失い、畿内は恒常的な水不足の状態にあった。  干ばつに悩んだ古代とは逆に、中世は冷害との戦いの時代だった。大雨、洪水、台風、あるいは寒波。大飢饉の中で治安も悪化。日本では応仁の乱(1467~77年)がはじまる40年ほど前から冷夏と長雨による飢饉が多発するようになる。  でも、なぜそうなった? 地球的な規模で見ると、古代は温暖期、中世は寒冷期(小氷期)に当たり、さらにその原因を探ると、太陽の活動の強弱と火山の噴火による「火山の冬」が重大な影響を及ぼしていたという。西暦1300年頃を境にした温暖期から寒冷期への移行。〈地球規模で気温は温暖化と寒冷化を繰り返している〉のである。  今般の地球温暖化には人為的な要因もそりゃあるだろうが、それだけともいいきれない。太陽活動は21世紀に入って低下しており、ここしばらく大規模な火山噴火もない。いずれまた寒冷期が訪れないという保証もないのだ。江戸時代から今日まで、日本は40~50年サイクルで飢饉に見舞われている。直近の凶作は1992年。すると次は……。温暖化より寒冷化のほうが私は怖いな。
黙つて働き 笑つて納税
黙つて働き 笑つて納税 「進め一億 火の玉だ」「欲しがりません 勝つまでは」。だれでも一つ二つは知っている戦時中のスローガン。里中哲彦『黙つて働き 笑つて納税─戦時国策スローガン傑作100選』は、著者が〈どうにも可愛げがない〉うえに〈老人の落ち着きもなければ枯淡の風情もない〉と評する主として昭和8年~18年(1933年~43年)の国策標語を集めた異色の本だ。傑作選であるからには気の利いたのが少しはあるかと思いきや、見事につまらん。著者のせいではもちろんない。この時代の連中の頭の中身のせいである。  まず目につくのは贅沢をいましめる標語の数々だ。〈飾る体に 汚れる心〉〈美食装飾 銃後の恥辱〉〈飾る心が すでに敵〉。読む人の精神につけ入って、罪悪感や恥の意識に訴えるあたりがいやらしい。  女性に向けた「産めよ殖やせよ」系の標語も戦況が悪化すると妙な迫力を帯びる。〈強く育てよ 召される子ども〉〈産んで殖やして育てて皇楯(みたて)〉〈初湯から 御楯と願う 国の母〉。死なせるための子を産み育てる!?  日本人、もうヤケッパチ。みんな狂ってたとしか思えません。 〈お上が音頭をとるスローガンは、どうしてあんなにも具体性に欠け、その場しのぎであり、責任をとる気がなく、漠然としたことをもっともらしく表現するのだろうか〉と著者はいう。私が特にゾッとしたのは笑顔を強いる標語である。  表題にもなった〈黙つて働き 笑つて納税〉は税務署の標語だからまだわかるが〈働いて 耐えて笑つて御奉公〉〈笑顔で受取る 召集令〉〈りつぱな戦死とゑがほの老母〉までくるとほとんどホラーだ。  そういえば、最近もこれに似た文言を見たな。7月の参院選時の自民党のキャッチである。女性局が出した冊子の表紙は「つながる笑顔を、取り戻す。」。子ども向け冊子は「日本の笑顔をつくる。自民党」。  よし、こっちも標語で対抗してやる。「あなたのおかげで笑顔も凍る自民党」「笑顔の強制 すでに敵」。
ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!
ドキュメント 深海の超巨大イカを追え! この夏の流行はイカだった。イカはイカでもダイオウイカ。国立科学博物館で開催中の特別展「深海─挑戦の歩みと驚異の生きものたち─」も連日盛況。ブームのきっかけはもちろんあれ、「世界で初めて超巨大イカの撮影に成功した!」とNHKが大はしゃぎするテレビ番組だ。  NHKスペシャル深海プロジェクト取材班+坂元志歩『ドキュメント深海の超巨大イカを追え!』はそれまでの10年以上にわたる足跡を追った自画自賛本。〈その姿は、怪物というよりも、海の深淵から現れた知性をもつ崇高なものにさえ感じる〉。〈ダイオウイカが現れた時間は、わずか23分間。誰も成し得なかったことを、やりとげてしまった23分間。この物語は、その23分間のために10年の歳月と情熱を捧げた人々を追ったものだ〉。気分は完全に書籍版「プロジェクトX」である。  なかなか通らない企画。成果が出ない撮影の日々。削られる予算。ダイオウイカ専用に工夫した撮影機材「イカメラ」。通称「イカ工船」での過酷な労働。「プロジェクトX」な箇所は多々あるが、私がおもしろかったのはここだった。 〈アカイカを食べようとしていたことからも、ダイオウイカは仲間のイカが好きなのかもしれない〉  縦縄に「イカ化け」と呼ばれる疑似餌をつけて海中に垂らす。と、まずアカイカがそこにアタックし、ついでダイオウイカがアカイカを食べに来る。フェロモン作戦と称し、空輸した冷凍ダイオウイカをジューサーにかけた「イカジュース」にも大小さまざまな種類のイカが集まってくる。イカはイカが好きなのだ。  小笠原沖、水深630メートルの深海でついに動画の撮影に成功したときも、いい仕事をしたのはイカだった。餌となるソデイカを縦縄に付け、潜水艇で待つ。〈ダイオウイカは獲物のソデイカに対して、傘を開くかのように後方から腕をパッと広げて襲いかかってきた〉  イカでイカを釣る。いや、イカでイカを撮る。イカしてない?

特集special feature

爪と目
爪と目 このところの芥川賞は、クロウト好みの作品を選んできた。今期芥川賞受賞作・藤野可織『爪と目』も分類すればその類いだろう。 〈はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った〉という書き出しからして面食らう。文章のつながり具合が、なんだか変。が、やがて気がつく。〈わたしは三歳の女の子だった〉。これは成長した娘の視点から父の愛人である「あなた」の行状を語った小説なのである。  「わたし」の父と「あなた」は父の単身赴任中に知り合い、関係を続けていたが、父の妻すなわち「わたし」の母が死に、「あなた」は「わたし」の家に来た。亡き母とは対照的に「あなた」はよい主婦とはいいかね、一方「わたし」もおとなしい子で何の反抗もしなかったが……。  「純文学的恐怖作(ホラー)」と宣伝されている作品。本格ホラーを期待した向きには物足りないでしょうね。とはいえ死んだ母が残したブログにハマって母の真似をはじめる「あなた」も、けっして本心を明かさない「わたし」も十分不気味。  ホラーっぽいのはラストシーンだが、意外にこれはミステリー小説かもしれない! 「わたし」の母の死の真相は最後まで伏せられているのである。作中で唯一まともなのはおそらく「あなた」の母親である。彼女は娘にアドバイスする。〈カウンセリングに通わせなさい、ね。それから、ベランダに出るときにはかならず携帯電話を持って行くこと。ね〉。そう、〈もはやわたしは、ふつうの子どもではなかった。不吉な傷を負ってしまった子どもだった〉。  母の死後「わたし」はなぜ爪を噛み始めたのか。なぜ異様にベランダを嫌うのか。単に母の遺体を見てしまったからだけだと思います?  母を亡くし、父と娘だけになった家庭に別の女が入り込む。それを娘が観察する。前回芥川賞の黒田夏子『abさんご』と同じ構図の物語だが、『爪と目』の「わたし」は「信用できない語り手」だ。ご用心!
愛ふたたび
愛ふたたび 渡辺淳一『失楽園』(1997年)は不倫カップルが全国の名勝地を旅して美食やセックスを楽しむ、それでも一応恋愛小説だった。それが10年近くたった『愛の流刑地』(2006年)になると、主役の2人はほぼ性行為しかしなくなり、必然的に小説はベッドシーンばかり。『失楽園』が名作に思えてきたですよ。  で、新作の『愛ふたたび』。主人公は73歳の整形外科医。病院を退職し、妻も亡くしたいまはマンションの一角で「気楽堂医院」を営んでいる。その彼がある日突然「不能(ED)」になった。気楽堂には殿村夫人(52歳)と楓千裕(かえでちひろ)(29歳)という2人のガールフレンドがいるが、どちらとの性行為もうまくいかない。絶望した彼は「不能の男」のための性交の研究に励むが……。さすがナベジュン先生。これに比べりゃ『愛るけ』も名作だった。まだ人間が主人公だったから。『愛ふた』の主人公はもはや人ですらなく性器である。  失笑ポイントは何十カ所もあるのだが、とりあえず3つだけ。  その1。気楽堂の性器の知識が中学生レベル。〈これから女の性器、女性器を根本から調べ直してみよう〉とかいって〈気楽堂の学ぶ意欲は、さらに広がっていく〉のはいいけれど、その内容がこ、これ!? とてもお医者さんとは思えない。  その2。性交に対する認識が高校生レベル。研究の末、気楽堂は〈不能だからといって、嘆き、悲しむことなんかないんだよ〉という境地に達するが、その方法論がそ、それ!?いままでどんな性生活を送ってきた人なのか。ポルノ小説もAVも見たことがないのかな。  その3。女性に対する勘違いが犯罪レベル。有賀弁護士(46歳)という新しいガールフレンドを手にいれた気楽堂。その迫り方は完全なセクハラである。不能であってもなくても、こんなスケベジジイを受け入れる女性は、ふつういない。百歩譲ってベッドをともにしたとしても、それは恋愛じゃないから。ボランティアだから。お間違いなく。
水彩画で楽しむ漢詩紀行
水彩画で楽しむ漢詩紀行 民主党・海江田万里代表のもうひとつの顔は玄人はだしの漢詩愛好家である。昨年の衆院選大敗後、新代表に選ばれた際にも「将軍功盡萬兵斃/粉骨砕身全此生」(将軍は功が尽き、万の兵が倒れた。この上は粉骨砕身、生を全うしたい)という自作の漢詩を披露して満場のため息(だと思う)を誘ったという。  そしてまた今度の参院選敗北。代表自身は「改革は道半ばで、まだまだ泥水をすすらないといけないのかなという思いだ」(このへんの言い回しも漢詩っぽい)と続投を表明するも、もはや満身創痍の民主党。特に計ったわけでもなかろうが、氏の選詩と解説による『水彩画で楽しむ漢詩紀行』(画家の王昭氏との共著)を開くと、いまの民主党と重なるフレーズばかりで泣けてくる。  以下、読み下し文だけで行きますが、〈日月忽(にちげつこつ)としてそれ淹(ひさ)しからず/春と秋とそれ代序(だいじょ)する〉(月日は過ぎてじっと留まることはない/春と秋は交互にやってくる)(屈原(くつげん)「離騒(憂いに遭う)」)は作者の屈原が失脚して憂いに沈んでいたときの作品。たしかになあ。6年前の参院選は我が世の春だったのに(涙)。 〈黄沙百戦金甲を穿(うが)つ/楼蘭(ろうらん)を破らずば終に還(かえ)らじ〉(黄沙が飛び交う戦場で重なる戦に身に着けた金(かね)の鎧もぼろぼろになった/しかし 楼蘭を打ち破らなければ国には決して還らない覚悟だ)(王昌齢「従軍行(遠くの戦いへ行く)」)は漢軍の戦を詠んだ作品。雄々しい詩だが大見得を切っているのが逆に痛々しい(涙)。 〈落紅はこれ情なき物にあらず/化して春泥となり更に花を護る〉(道に落ちた赤い花は情がないわけではない/春の泥となってやがて咲く花を守るのだから)(●自珍(●は龍の下に共、きょうじちん)「己亥(きがい)雑詩(己亥の年に思う)」)は悲憤の歌。落紅とは老いゆく自分のこと。春泥となって次代の養分になれって、わっ、これは菅直人元首相に贈る歌?  2008年、党が政権奪取を狙っていた頃の本。人生の黄昏を憂えた作多し。微妙に「潔くない詩」が多い気がするのは私の偏見でしょう。
政権交代とは何だったのか
政権交代とは何だったのか 若者の投票率の低さが問題になっている。昨年12月の衆院選の投票率は59.3%で戦後最低だったが、中でも20代は37.9%、30代は50.1%。20代の3人に2人、30代の2人に1人は選挙に行かなかったことになる。今参院選の投票率も劇的に上がってはいまい。でも、どうして?  山口二郎『政権交代とは何だったのか』を読んで、忽然と理解した。本書自体は09年の政権交代の功罪を論じた民主党論だが、注目すべきは民主政治について書かれた第5章。そこで著者はいいきるのだ。 〈投票率が低い若者に対する啓発は滑稽ですらある。学校教育では政治の争点に踏み込むことはタブーである〉。これでは〈二〇歳になったら選挙に行きましょうという宣伝はうるさく響くだけである〉。  その通り! というしかない。若者たちが選挙にも政治にも無関心なのは「ひいきのチーム」も「ひいきの陣営」もないからだ。「巨人阪神戦? なーにそれ」という人が野球場に足を運ぶだろうか。「なぜ選挙に行かないのか」と問う人には「なぜあなたはAKB48の選抜総選挙に参加しないのか」と問うてみよう。関心のない人は前田敦子と大島優子と高橋みなみと篠田麻里子と指原莉乃の区別がつかず、投票のしようがないだろう。それと同じ。 〈市民が民主主義を担うに足るだけ成熟するということは、それぞれ価値観や信念を持ち、それに照らして政治家や政党を評価する能力を身につけるということである。つまり、党派性を自覚することが、市民として成熟する条件である〉  山口さんはそこまでいわないが、要は「あんたは右か左か」という話である。55年体制の中選挙区制下では「保守/革新」「右派/左派」の対立軸が目に見えやすく、党派性も自覚しやすかった。「右だ左だはもう古い」という声もあるけど、ほんとかな。今日の低投票率は若者から政治性を剥奪し続けてきた結果なのよ。イベントとして投票だけしたって政治参加とはいわないでしょ。
内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ
内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ 表題だけでも興味津々な『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』。8人の論客によるメッセージ的論考集である。  企画の契機は、尖閣諸島をめぐる中国の強硬な外交姿勢への反発などから〈こうした関心を利用し、極端な意見を述べて興味を惹こうとする政治家やメディアが頻繁に現れるようになった〉こと。勇ましい発言をする人をどう説得するか、お悩みのあなたは必読である。  まず、あなたが知るべきは「戦争は損な選択だ」という事実である。 〈経済の停滞が地球規模で膨らんでいる時代であれば手負いになるリスクは何が何でも避けるべきですが、日本はまるで率先してリスクを背負い込もうとしているようです〉(富坂聰)。〈中国がいま気にくわないからといって、いたずらにお互いの国民感情を挑発し合う言動をくりかえすことは、戦争への危険の皮膚感覚を失った「右からの平和ボケ」以外のなにものでもない〉(東郷和彦)  戦争好きな人は概して軍事音痴なことも知っておいたほうがいい。軍事衝突がいま起こったら、日本は壊滅的なダメージを被るだろう。〈なぜなら日本は、「戦争」を想定した国づくりをこの六十八年間、まったく行っていなかったからだ〉(保阪正康)。〈日々、与野党の政治家と付き合う中で私が思ったことは、「こんな日本の政治家のレベルでは、自衛隊を海外に送ってオペレーションするのは危険すぎる」ということだった〉(江田憲司)  そして沖縄である。普天間基地の辺野古移設、オスプレイの配備、「主権回復の日」。〈長年、沖縄にまつわる問題を取材し続けてきた経験から顧みて、今ほど息苦しい思いをすることはない〉(金平茂紀)。沖縄では民意の地殻変動が起きている。〈基地受け入れの代償として振興策をあてがう「補償型の基地維持政策」は、もはや力を失っている〉(松元剛)  さて〈内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなた〉とは誰か。もしかしてあの人か?
「世界遺産」の真実
「世界遺産」の真実 富士山(正式には「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」)がユネスコの世界文化遺産に登録され、地元もメディアも祝賀ムード一色である。  しかし、そもそも世界遺産って何なのか。佐滝剛弘『「世界遺産」の真実』は原点に戻って「猫も杓子も世界遺産」なニッポンをふりかえるのにちょうどいい本だ。副題は「過剰な期待、大いなる誤解」。  たとえば富士山はかつて、ゴミの山のために世界遺産になれない、といわれていた。だがそれは間違いだと著者はいう。当初、富士山は世界自然遺産を目指していたが、富士山には貴重な動植物が多数生息しているわけでもなく、世界規模で地質学的な重要性があるともいえない。姿は美しいが、世界に目を向ければ同様の独立峰は多数ある。トルコのアララト山も、アメリカのマウント・レーニエも富士山よりはるかに標高が高く見事な山容を持つが、世界遺産でない。富士山は〈ごみがあろうがなかろうが、少なくとも自然遺産としての登録基準を満たしていなかった〉のである。  世界遺産待望論ばかりが渦巻く中で、むしろ見識を示したのは山形県の例だろう。山形では「最上川の文化的景観」の世界遺産登録を目指していたが、2009年に知事が交代し、登録推進事業を中止した。事業の継続を望んでいたのは市町村長35名中6名。〈なるほど、県は住民の意向を無視して、世界遺産登録に邁進していたんだな、ということがくっきりわかる〉例である。  平泉の世界遺産が「延期」になった後の2009年の本ながら、事情はいまもほとんど変わらない。  行政トップの独断による登録運動。結果が特定できない事業に行政が使う多額の税金。しかもそれはコンサルタント会社に丸投げだったりする。〈世界遺産は崇高な理念を掲げた原点に戻るべきだ〉と著者はいう。商業主義にまみれたオリンピックの轍を踏まないためにもと。そう、世界遺産登録活動は五輪誘致活動ともよく似ているのである。

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