AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。
路面電車がみつめた50年前のTOKYO
世界的な不況下で生まれた鉄道や自動車「流線形」デザイン 東京、大阪、仙台を走った路面電車
世界的な不況下で生まれた鉄道や自動車「流線形」デザイン 東京、大阪、仙台を走った路面電車 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は1930年代に世界的流行となった「流線形」に呼応して、各地に出現した流線形路面電車の話題だ。
都心の渓谷「お茶の水」の坂道を走る51年前の都電 江戸期から続く名所の変貌
都心の渓谷「お茶の水」の坂道を走る51年前の都電 江戸期から続く名所の変貌 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は本郷台地から外濠通りを水道橋に下るお茶の水坂と、坂下で交差する白山通りを走る水道橋線の都電だ。
いまとはまるで違う56年前の「二子玉川」 世田谷南西部を支えた路面電車「玉電」と「砧線」
いまとはまるで違う56年前の「二子玉川」 世田谷南西部を支えた路面電車「玉電」と「砧線」 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京急行電鉄(現東急電鉄)玉川線が走っていた1960年代、都民の憩いの地だった二子玉川園界隈の憧憬を紹介する。
路面電車は「坂道」こそ最大の見せ場! 50年以上前に都電が駆け上がった美しき名所
路面電車は「坂道」こそ最大の見せ場! 50年以上前に都電が駆け上がった美しき名所 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、渋谷「宮益坂」や麻布「土器坂(かわらけさか)」など山手の坂道を上り下りする都電だ。
51年前の日本橋を走る都電6000型 ファン歓喜の「金太郎の腹掛け」デザインとは?
51年前の日本橋を走る都電6000型 ファン歓喜の「金太郎の腹掛け」デザインとは? 前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、都電の主力で290両の大所帯だった6000型と、その影響を受けて各地に登場した「同系車」の話題だ。
美しく雪化粧した53年前「八丁堀」の都電 高画質の「二眼レフカメラ」での撮影
美しく雪化粧した53年前「八丁堀」の都電 高画質の「二眼レフカメラ」での撮影 前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は雪景色の桜橋交差点(中央区)と八丁堀(桜川)に架かる桜橋を行き交う都電だ。
5 6 7 8 9

特集special feature

    この人と一緒に考える

    カテゴリから探す