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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中
書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者 がんと闘う記者
難治がん患者として生きる自分を導く、言葉の「ニンジン」とは
難治がん患者として生きる自分を導く、言葉の「ニンジン」とは 野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中 強風にも負けず、24日朝に花開いたアサガオ。読売新聞の記者だった知り合いにもらった苗を、配偶者が庭先に植えた  うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、めぐる季節に思う、変化していくことの意味について。
「難治がんに思い知らせてやる」 ウーマン・村本の誘いで記者が“コメディー”に初挑戦 はじまりは2年前…
「難治がんに思い知らせてやる」 ウーマン・村本の誘いで記者が“コメディー”に初挑戦 はじまりは2年前… 野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中 舞台に立った筆者とウーマンラッシュアワー村本大輔さん(撮影/写真部・小原雄輝)  うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、ウーマンラッシュアワー村本大輔さんに誘われて挑んだ初舞台の様子をお伝えする。
「専門家」でも漏らす…人工肛門をめぐる医療従事者と難治がんの記者の攻防
「専門家」でも漏らす…人工肛門をめぐる医療従事者と難治がんの記者の攻防 野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中 人工肛門のあるところに貼り付ける袋。真ん中のドーナツ型のゴムは、袋がおなかに接する面につけて漏れにくくする。左側のバンドをおなかに回して固定する  うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「人工肛門」について。
抗がん剤治療で味覚障害や口内炎も… 難治がんになってわかった「食べる」ということの意味
抗がん剤治療で味覚障害や口内炎も… 難治がんになってわかった「食べる」ということの意味 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「食べること」について。
難治がんの記者が経験した「三つの苦難」 底なし沼のような3カ月を脱するのにしたこと
難治がんの記者が経験した「三つの苦難」 底なし沼のような3カ月を脱するのにしたこと うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は2度目の手術の1カ月後から経験した「三つの苦難」について。
難治がんの記者 この連載を始めるきっかけとなった棋士の“言葉”
難治がんの記者 この連載を始めるきっかけとなった棋士の“言葉” うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回はこのコラムを書くきっかけとなった、棋士・先崎学九段について。
疲労感、髪の毛がごっそり抜け… 難治がんの記者が10分間の舞台でも震えそうな理由
疲労感、髪の毛がごっそり抜け… 難治がんの記者が10分間の舞台でも震えそうな理由 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「体調」について。
難治がんの記者が“資金受領”報道の細野豪志氏に苦言「今度は自分が励ます側だ」と思ったのに…
難治がんの記者が“資金受領”報道の細野豪志氏に苦言「今度は自分が励ます側だ」と思ったのに… うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は5千万円の資金受領について報道された、細野豪志氏について。
難治がんの記者が考えた、政治家が「握手」をする理由
難治がんの記者が考えた、政治家が「握手」をする理由 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「握手」について。
自分の涙声で気づく…難治がんの記者が「人には憐れみがある」を実感した夜
自分の涙声で気づく…難治がんの記者が「人には憐れみがある」を実感した夜 うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は「むすんでひらいて」。
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