宝泉薫
〈うたコンきょう出演〉なぜ「工藤静香」は今でもすべてを手に入れられるのか 完璧に妻と母をこなして歌手としても重宝される理由
工藤静香
23日放送の「うたコン」(NHK総合・火曜午後7時30分)は、パリオリンピック直前応援ソングSPだ。小林旭、石川さゆり、TUBE、工藤静香、大黒摩季、ももクロら豪華ゲストによる生放送の拡大版。ゲストのひとり工藤静香の過去の人気記事を振り返る(「AERA dot.」2023年8月19日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)。
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工藤静香(53)の新曲「勇者の旗」が8月2日に発売された。8月16日から始まったドラマ「科捜研の女 season23」(テレビ朝日系)の主題歌としても流れる予定だ。工藤がテレビドラマの主題歌を歌うのは16年ぶりとなる。
ちなみに、彼女が「禁断のテレパシー」でソロデビューを果たしたのは、1987年8月31日。ただ、歌手活動のスタートは85年1月、3人組アイドル・セブンティーンクラブの一員としてだった。ここでは売れなかったものの、おニャン子クラブに入ってブレーク、派生ユニットのうしろ髪ひかれ隊のメンバーとしても人気を博すこととなる。
「科捜研の女」も24年間に及ぶ長寿シリーズだが、彼女の歌手活動歴はじつに38年間。おニャン子クラブ出身者で他に、今も現役の歌手なのは演歌を地道に歌い続ける城之内早苗くらいだろう。いや、80年代を彩ったアイドルのなかにも工藤のような人はひと握りしかいない。
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ではなぜ、彼女にそれができているのか。
よく言われるのは、2000年に結婚したキムタクこと木村拓哉の存在だ。昨年開催された「ぎふ信長まつり」では46万人もの観衆を集めた国民的スターであり、その妻としての注目度はやはり高い。さらに、長女も次女も芸能の道に進んだことで、家族全員の話題も尽きない状況だ。
とはいえ、木村を射止めたのも、娘たちがそこそこ成功しているのも、彼女が「特別な何か」を持っていたからこそだろう。
まず、木村との関係でいうと、彼女は年齢で2歳上、芸能界ではかなり先輩にあたる。彼がジャニーズ事務所に入ったころ、彼女はすでにトップアイドルだった。1991年の「NHK紅白歌合戦」では、4度目の出場となった彼女と初出場のSMAPが対決。先攻のSMAPが歌ったあと、紅組司会の浅野ゆう子が、
「白組のぼくちゃんたち、元気ですねぇ。しーちゃんも頑張ってください」
と紹介して、彼女を送り出した。
なお、彼女はいわゆるヤンキー的な男性に人気があり、結婚前には諸星和己や的場浩司、YOSHIKIらとの交際を報じられてもいる。
一方で、木村には長年一般人の恋人がいたが、それが10年近い「永い春」に終わり、工藤とは交際1年余りで結婚するわけで、そこもやはり「特別な何か」のなせるわざだったのではないか。
思うに、それは強さとけなげさのギャップだろう。彼女は小学校時代、片想いしていた同級生の男子に消しゴムか何かをプレゼントして、こんなメッセージを添えたという。
「よかったら使ってね。気に入らなくても使ってね」
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押しの強さと少女っぽいけなげさが入り混じっていて、前者はアネゴ肌っぽい頼もしさに、後者は人懐っこいかわいげにつながるものだ。こういうところが木村に人生をともにする決断をさせ、ジャニーズ事務所を仕切っていたメリー喜多川にも一目置かせたのだと考えられる。
そして、そんなキャラクターは子育てにも反映されている。彼女は娘たちに早くから英語や音楽を習わせた。たたき上げの芸能人にありがちな英才教育だが、彼女らしいエピソードがある。
次女が4歳くらいのとき、都内の公園で友達と虫捕りに興じていて、そこに工藤も参加。大きなサングラスやブーツという芸能人丸出しのファッションでやぶのなかに分け入り、次女が指さした方向を見ながら、
「ホェア(Where)? ホェア(Where)??」
と、大声で、かつ、日本人っぽい発音の英語で尋ねていたという。また、日本の店なのに、店員に英語で話しかけ、娘たちから「やめて」と言われたというお笑いのネタみたいな目撃談も報じられている。
押しの強さが勝ちすぎて、けなげというよりはマヌケな気もしなくはないが、彼女はいたって大マジメ。そうやってふだんから英語で話す習慣を身につけさせようとしていたのだろう。
実際、インターナショナルスクールに通った娘たちは英語を習得。音楽についても、長女はフルート奏者となり、次女は作曲もこなしている。
どうやら工藤には、高尚とされているものへの憧れがあるようで、画家や宝飾デザイナーとしての活動もそこから来ているのかもしれない。ただ、彼女に高尚なイメージを抱いている人はそんなにいないのではないか。むしろ、そこが強みというか、セレブになろうとしてなりきれない庶民っぽさみたいなものが親しみやすい身近さにもつながっているのだ。
これは芸能界のレジェンドというべき美空ひばりあたりにも通じるもので、大金を稼ぎ、豪邸に住み、おしゃれな服を着ても、どこかしら大衆的な雰囲気が抜けないことが大事だったりする。ファンはそこに憧れとシンパシーとをバランスよく抱けるからだ。
歌手としてのヒット曲にも、そんな揺るぎない大衆性みたいなものがある。「MUGO・ん…色っぽい」や「慟哭」をはじめ、その多くは作詞・中島みゆき、作編曲・後藤次利という組み合わせから生まれた。
中島はそれまで、研ナオコや桜田淳子、柏原芳恵らに作品を提供していたが、もっぱら作詞作曲の両方を担当。しかし、工藤のプロデューサー・渡辺有三は中島を起用するにあたり、詞だけを依頼して、サウンドは後藤に任せた。後藤はおニャン子クラブやうしろ髪ひかれ隊、さらには工藤のソロについてもデビュー曲から手がけており、その流れを継承させたかたちだ。この結果、中島のフォーク性と後藤の歌謡ロックっぽさが絶妙に融合。よい意味で歌謡曲的な下世話さを含んだ、独特の味のある世界に仕上がった。
80年代末から90年代初めにかけて、歌番組が減り、歌謡曲が衰退するなかで、彼女はヒット曲を連発。プライベートでのあれこれ以前に、こうした歌手としての実績が、一流芸能人としての証しとなっているのはいうまでもない。
ただ、アンチのなかには歌も嫌いだという人もいる。今回の新曲にまつわるネットニュースのコメント欄にも「『科捜研の女』には合わない」といった書き込みをいくつも見かけた。
また、例によって「生き残れているのはキムタクのおかげ」的な指摘も。だが、こうしたアンチの多さもまた、じつは強みであり「特別な何か」なのだ。
まず、メジャーで身近なものにしかアンチは生まれない。プロ野球でいえば、昔の巨人がそうだ。当時、全国ネットのテレビで見られるのはほぼ巨人戦だけだったので、球場に行くような人以外は巨人に関心を持つしかなかった。それゆえ、アンチ巨人もまた巨人ファンの一部だとも言われたものだ。
なお現在、アンチ巨人が目立たなくなったのは、巨人が昔ほど強くないというのも大きい。憎らしいほど強いという言い方があるように、強すぎるから憎まれるのである。
芸能人もまたしかり。成功すればするほど憎まれやすいし、同情の余地がなければないほど、アンチにとってもたたきやすい。
80年代アイドルにおいては、松田聖子が長年そういう存在だったが、一昨年、ひとり娘の死という悲劇が起き、アンチが影をひそめるようになった。また、中森明菜の根強い人気もかつての悲恋への同情という要素が色濃く、本物の人気とは言い難いところがある。
スターをスターたらしめる条件はやはり、同情ではなく、羨望や嫉妬なのだ。その点、現状では聖子や明菜より、工藤のほうがその条件を持ち合わせている。久々に新曲を出せば、人気ドラマの主題歌に決まるし、夫や娘たちの仕事もまずまず順調。それゆえ、アンチも同情する必要がなく、安心してたたいたりできるわけだ。
もちろん、そこには彼女のキャラやイメージも外せない。気さくで気も強そうで、アンチの存在など気に留めないように見えるところが今はプラスに働いている、ということも最後に付け加えておこう。(文中敬称略)
宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
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dot.
2024/07/23 19:30