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なぜ最強の組織なのか? 慶應「三田会」の全貌
なぜ最強の組織なのか? 慶應「三田会」の全貌
同窓会組織でも“王者”の風格を見せる慶應大  (撮影/吉崎洋夫) 「慶應三田会」の全貌図  (週刊朝日 2018年12月28日号より)  10月21日。横浜市の慶應義塾大学日吉キャンパス。日曜日のこの日、夜も明けやらぬうちから次々と人がやってくる一角があった。  普段は何もない校舎と校舎の間に、たくさんの長机とイスが並べられている。到着した人は、人の身長くらいの旗を組み立てては空いた机に立てかけていく。長机に直接、貼り紙をする人も。旗や紙には「団体名」が書かれている。  どうやら「場所取り」をしているようだ。朝5時すぎに駆け付けた50代の男性が言う。 「狙っていた場所は、もう埋まっていました。6時台にはすべての机が埋まっちゃいましたね」  午前1時半に来た団体もあったという情報も流れていた。 「2018年慶應連合三田会大会」  この日は慶應の同窓会の集まりである「連合三田会」の年に1回のお祭りの日なのだ。外国車が当たる福引、OB加山雄三のライブ、飲食の模擬店……。朝早くから続々と「塾員」(慶應ではOB・OGをこう呼ぶ)らが訪れ、キャンパスは2万人を超す慶應関係者で終日ごった返した。 「場所取り」は、個別の三田会が後からやってくる仲間たちのために行うものだ。旧交を温め合う場所の確保に、多くの塾員が完全ボランティアで未明から駆け付けるのだ。  日本の大学同窓会で最強といわれる「慶應三田会」。三田会の総本山である「慶應連合三田会」の村田作彌事務局長が言う。 「現在、870の個別三田会があります。高齢化などで活動をやめる団体もありますが、新設される三田会も多く、総数は伸び続けています」 「三田会」の全貌(ぜんぼう)をまとめると、四つのカテゴリーに分けられる。年度ごとの卒業生全員で構成される「年度三田会」。現在、戦前の「1941年三田会」から「2018年三田会」まで、総勢約37万5千人とされる。数が多いのは、勤めている企業ごとに組織される「勤務先別三田会」と、自治体など地域ごとにある「地域三田会」だ(海外にも70以上ある)。「仕事系」ではほかに「職種別三田会」があり、そのほか「諸会」として「学部別」「文化団体連盟系」「体育会系」などがある。  慶應OBのつながりの強さは、ある塾員がしみじみ話す次の言葉に象徴される。 「慶應の卒業生とわかると、初対面でも昔からの知り合いのように思えちゃうんです」  なぜ、慶應に入ると、こう思うようになるのか。  慶應には「先生」は創設者の福澤諭吉しかいない。だから大学教授であっても、学内の掲示板では「○○××君」である。私学らしく、創設者の教えが貫かれている。  同窓会活動とて例外ではない。福澤が慶應を構成する塾生や教職員、塾員らを「社中」と呼び、全員の協力を呼びかけた「社中協力」は有名だ。そのスローガンのもと、福澤は同窓生の集まりを大切にし、各地で開かれる大小さまざまな同窓会に進んで出席していた。東京では広尾の別邸に大勢の塾員を集めて、大園遊会を開いてもいた。 「同窓会重視の姿勢は、慶應が明治10年代に深刻な経営難に陥ったことと大きく関係しています」  こう話すのは塾員で慶應義塾福澤研究センター客員所員の曽野洋・四天王寺大学教授だ。 「当時の塾生は士族が多くを占めていました。士族の不満は高まる一方で、西南戦争に共鳴した塾生も大勢いました。しかし、士族が食えなくなると、授業料が入らなくなるなど慶應は困ります。入学者も減り、福澤は一時、塾を閉じることも検討した節があります」  しかし、塾員ら社中が反対し、教員が自主的に給与の一部を返上したり、塾員らの寄付金が増えたりして危機を乗り越えていった。  福澤没後も、慶應の同窓会重視は揺らがなかった。大正時代に入ると同窓会は次第に「三田会」と呼び名を変え、地域以外の各種三田会も生まれていった。連合三田会ができたのが1930年、ホームカミングデーである秋のお祭りは60年代に入って始まった。  実は、このホームカミングデーの行事こそ、三田会を維持、発展させる大きな原動力の一つになっている。卒業40年、30年、20年、10年にあたる年度三田会が「当番」として協力して実行委員会を作り、大会の運営にあたるからだ。  年度三田会の幹事経験者が言う。 「10年に1回、同期が結束を確かめ合うための機会が与えられているのです。役回りも決まっています。卒業30年がお祭り全体を仕切るメイン当番で、20年は30年のお手伝い、10年は見習いみたいな感じ。40年は名誉職ですね」  これに学校主催の行事が絶妙に絡む。卒業25年になると卒業式に招かれるのだ。 「それに合わせて、年度三田会は大同窓会パーティーを都内のホテルで開きます。同時に慶應のために寄付金も集める。つまり、この時期に年度三田会が再整備されるわけです」(幹事経験者)  再整備とは「名簿の穴」を埋める作業にほかならない。別の年度三田会経験者が言う。 「20年の当番が終わると同時に、『25年には大パーティーがある』という告知を口コミで広めます。3年ぐらい前に名簿整備のための組織を立ち上げ、住所が実家のままになっていたりする『行方不明者』を一人ひとりつぶしていきます。最終的にかなりの現住所がわかります」  塾員の住所判明率は約82%。その高さは、この時期の名簿整備が大きく貢献しているに違いない。  ともあれ卒業20年から30年にかけて3回、大きなイベントが続く。社会の中核を担うのと同じ時期に、同期会の結束を強める機会が与えられるのだ。  もちろん、その機会を生かすには年度三田会が機能していなければならないが、それもまた「慶應システム」とでも言えるものが働く。鍵を握るのは「22.4%」(「2019大学ランキング」)と、高い内部進学率である。  多くの塾員が年度三田会の原動力として小中高からの内部生の存在をあげる。 「代表になるのは幼稚舎出身者が目立つ」「人を集めるには、やっぱり内部生が強い。慶應生活が長く、知り合いが多いですから」「慶應女子出身の専業主婦で仲間づくりにマメな子を選ぶと、うまくいく」……。  連合三田会の当番には数百人単位の実行委員が必要だ。25年の大パーティーには1千人を超える同期が集まる。広く人を集めようとすると、内部生の力が必要になるのだ。もちろん、外部生で重要な役割を担っている人も大勢いるが、中核部隊に占める内部生の比率は内部進学率よりはかなり高いようだ。  こうして基盤が固まった年度三田会は、もはや揺るがない。卒業50年には大学から入学式に招待され、25年のときと同様、寄付金を集める。功成り名を遂げた後だから金額も多くなる。今年50年を迎えた「1968年三田会」は、例年より多い約6500万円を集めた。会を率いるのは、佐治信忠・サントリーホールディングス会長だ。  10年ごとの当番がある年度三田会が先輩後輩をつなぐ「縦糸」とすれば、全国各地で塾員がつながっていく「横糸」の役目を果たすのが地域三田会だ。「参加者の半分が65歳以上」と高齢化を指摘する声も聞くが、塾員たちが挙げるのは大学側の「面倒見の良さ」である。名簿管理などを行う「塾員センター」が、さまざまな支援をしてくれるのだ。 「新たに三田会を作る場合は、守秘義務契約などを結べば対象地域に住む塾員リストを出してくれます。規約のひな型も用意されているし、組織強化やイベント開催など運営面での相談にも乗ってくれます」(地域三田会関係者)  縦に横につながって結束力を強める三田会。創設者の教えを守り、同窓会を強くする、これだけの「インフラ」が整っていると、年齢が上がるほどに「慶應愛」が強まることもうなずけるのではないか。現在の「慶應→三田会」コースは、「『慶應愛』自動再生産システム」といってもいいほどである。  こうした構図を基礎にさまざまな分野に進出していく各種三田会の姿は、まさに百花繚乱(りょうらん)の感がある。  9月1日土曜日、帝国ホテル「富士の間」。一つの三田会としては異例の340人の大人数を集めたパーティーが開かれた。いま最も勢いのある三田会として知られる「不動産三田会」の30周年を祝う会だ。  不動産三田会のすごさは親睦に「実利」を加えた点にある。不動産業は「情報、人脈が命」の割には、どこか相手を信用しきれない面が業界に残っている。その「信用しきれない部分」を慶應の信用で埋める。つまり三田会の仲間同士で取引をするのである。  毎月の例会での「情報交換会」がその場になる。会員は「これは」という物件を持ち込み、売り込む。興味を持てば、懇親会などで詳細を聞き込んでいく。  取引が成立すると、義務ではないが例会で「成約報告」をすることができる。利益の一部を慶應に寄付する慣例もある。 「20年以上、成約報告は途切れず続いています」(事務局の佐藤正人氏)  会員は増え続け、現在約870人。例会の参加者は70~80人にもなる。  新しい三田会も次々に生まれている。昨年できた「ファイナンシャル・プランナー(FP)三田会」も、その一つ。三田会結成を望む長老の声に加藤惠子代表が応えた。テレビ出演で知られる藤川太さんが中心メンバーの一人だ。  44人と小所帯で、人集めが大変なようだ、会社勤めの企業内FPは大勢いるはずだが、だれが資格を持っているかは調べようがない。設立時も独立系FPのホームページを調べて塾員を特定、勧誘していった。  親睦と学びが二本柱。FP力向上のための勉強会を今月から始めた。会員の営業強化に役立てばと、ホームページには自己PRできるコーナーも設けている。  連合三田会には登録していないが、会員数約4500人と大勢力を誇るのは「Facebook三田会」だ。今月7日には、塾員ならだれもが知っている三田の「つるの屋」で忘年会が開かれた。 「つるの屋閉店」の情報を聞き「最後」と思って選んだが、店主によると「噂を信じないでください。変わらず営業を続けます」。  幹部の松延健児さんによると、ネットらしい「フラットさ」が特徴という。 「皆が『さん』づけで呼ぶなど先輩がいばらない三田会です。有名人の会員もいますが、特別扱いはしません。昔の話が出ないところが他と違います」  会員のみの非公開ページ。「なりすまし」が多く、入念な入会審査が行われる。投稿は「慶應関係」に限られる。野球やラグビーの慶早戦(慶應では「早慶戦」とは言わない)になると、観戦中の会員による「実況中継」で盛り上がるという。  自分のタイムラインには流したくない「慶應ネタ」を流せるのがいい、と語る会員がいた。 「月曜日に会社を休んで慶早戦を見に行くときでも、気兼ねなく発言できます」  改めて三田会全体を眺めると、「三拍子」そろった強さに気づく。創設者の教え、集まるための「インフラ」、そして「継続は力なり」で長年かけて築かれたシステムが「慶應愛」あふれる塾員を「再生産」していく……最強の組織は、まさに盤石なようだ。 ※週刊朝日  2018年12月28日号
週刊朝日 2018/12/20 06:30
ジョギングよりも「ちんたら運動」 風邪に勝つ免疫力UPの習慣5つ
ジョギングよりも「ちんたら運動」 風邪に勝つ免疫力UPの習慣5つ
シニアには笑顔と「ちんたら運動」がいい (c)朝日新聞社 順天堂大学医学部の奥村康特任教授  しょっちゅう風邪を引く人がいる一方で、風邪にもインフルエンザにもかからない人がいる。病気になりやすい人、なりにくい人。その差は免疫力の差にあるようだ。そこで注目したいのが、ナチュラルキラー細胞(NK細胞)。その鍛え方を解説する。  京都大学の本庶佑特別教授がノーベル医学生理学賞を受賞したことで「免疫細胞」という言葉が注目された。健康は免疫によって左右される。細菌やウイルス、寄生虫などの異物が体に入らないよう、体内には常におまわりさんのような「パトロール」隊(NK細胞)がいて、異物を見つけると、すかさず攻撃、退治する。退治できなかった敵が残っていると、「これは非常事態だ」と、ふだんは休んでいる地上軍隊(T細胞やB細胞)が出る。有効な武器(抗体)を作り、チームで戦う。その司令となるのがヘルパーT細胞で、キラーT細胞とB細胞に攻撃させる。攻撃が終われば、サプレッサーT細胞が、過剰攻撃を行わぬようブレーキをかける。  こう説明をしてくれたのは、免疫学の権威、順天堂大学医学部免疫学の奥村康特任教授だ。免疫力は血液中の白血球が担っているが、白血球の免疫細胞はリンパ球、顆粒球、単球の3種に分かれ、独自の役割がある。NK細胞やT細胞、B細胞などはリンパ球だ。 「ウイルスをはじきとばしたり、日々発生するがん細胞を死滅させたりしているのが、ナチュラルキラー細胞です。これが強い人はがんになりにくく、風邪も引きにくい」  NK細胞は、体外からの異物だけでなく、体内の異形細胞も死滅させる。私たちの体には、日々約1兆もの新しい細胞ができるが、うち5千ほどの細胞は、突然変異を起こした細胞(異形細胞)。これをNK細胞ががんにならぬようにと働いて、やっつけているのだ。  しかし、NK細胞の殺傷力は加齢とともに弱くなる。奥村教授によると、50代になったら、NK細胞を活性させる生活習慣をつけることが望ましいという。  そこで、さっそく今日から免疫力を上げる生活、「免活」を始めよう。まずは生活習慣の基本を奥村教授から学ぼう。 1.ある程度の規則正しい生活を心掛ける  何でもないことのようだが、やはり規則正しい生活を送ることが一番という。太陽のリズムが、「免疫」に大きく関わるからだ。 「60歳を過ぎたら、時差のある国への海外旅行は気を付けたほうがいい」とアドバイスする。  若いうちは、生活のリズムが乱れても何とか修正できるだろう。だが、中高年になると難しくなる。時差のある旅先で体調を崩してしまうのも、昼夜逆転の生活をすることで、交感神経が優位な時間が続き、活性酸素を過剰に発生させて免疫力が下がるから。 2.激しい運動を行うときは気を付ける 「ジョギングなど激しい運動をしているとき、NK細胞は活性化しますが、終わった後は、免疫力がグンと下がり、運動する前よりも下がってしまう。ここで風邪を引く。ランナーに風邪を引く人が多いのもそれが理由です」  ジムで激しい運動をした後は、これからの季節は特に注意したい。 「風邪を引きたくなかったら『ちんたら運動』がいいんです。ちんたら、ちんたらの、テキトーな運動です。この運動なら、活性したNK細胞は、下がりません」  理想的なのは森林浴をしながらの早歩きという。 3.好きなものを我慢せず、楽しい環境で食べる  体に正直に、食べたいものを食べるのが、免疫の面からは良いという。 「人間は体の中で足りないものを補おうと求めます。ビタミンが足りなくなったらビタミンを求める。だから食べたいものを欲求に従って食べるのがいい。だから、食いしん坊さんは病気に強いのです」 4.笑ってポジティブシンキング  これもよく言われていることだが、「笑うこと」。NK細胞は、ストレスでグンと下がってしまうからだ。  ストレスには2種類あり、免疫力を下げるタイプと下げないタイプがあるという。 「避けることのできないネガティブなストレスに弱いのがNK細胞。一方、何かに立ち向かうストレスのときは意外と強いのです」  たとえば、会社でパワハラを受けながら仕事をしている場合。免疫力が下がり、ウイルスにかかりやすい。  一方、大きな課題に向かって集中して仕事をしているときは、病気になりにくい。 「喧嘩しても失敗しても、挑戦して立ち向かうストレス。これは意外と免疫力を下げないのです」  さらに、NK細胞のアップ力の上下は「うつる」ともいう。下がった人の横にいると、隣の人にもうつってしまうので、なるべく「明るい人のそばに行きましょう」。 (本誌・大崎百紀) ※週刊朝日  2018年12月21日号より抜粋
週刊朝日 2018/12/18 06:30
究極の選択 早慶受かればどちらに進む? W合格者の選択を一挙公開
吉崎洋夫 吉崎洋夫
究極の選択 早慶受かればどちらに進む? W合格者の選択を一挙公開
早稲田大学の大隈記念講堂 (撮影/多田敏男) 受験する大学・学部を選ぶポイント (週刊朝日 2018年12月21日号より) 国公立大 W合格入学比率 ※偏差値および入学比率は東進ハイスクールの2018年データ (週刊朝日 2018年12月21日号より)  受験生は志望する大学・学部をもう決めているでしょう。いまは制度改革で併願がしやすくなっています。どちらも合格(W合格)した場合、入学先を自分で決めないといけません。主な併願200パターンを徹底比較してみました。  編集部では、大手予備校の東進ハイスクールのデータをもとに、主な併願パターンを選んだ。国公立&私立大、私立大&私立大と大きく二つに分かれていて、各大学の学部ごとに比較している。  全体的には偏差値が高い大学・学部を選ぶ傾向がある。ただ、偏差値や入学比率が高いかどうかで優劣が決まるわけではない。偏差値が低いほうに入学している受験生もたくさんいる。 「かつては偏差値を重視した大学選びが多かったが、今やそういう時代ではない」  こう話すのは、東進ハイスクールを運営するナガセの常務執行役員で広報部長の市村秀二さん。偏差値の高い大学・学部に進めば「就職も安泰」という考えがかつてあったが、いまは学歴を重視しない企業が目立つ。人物本位で採用されるため、大学・学部だけで就職が約束されるような時代ではない。  受験生も、偏差値による序列にこだわらない人が増えている。やりたい仕事や進みたい分野をイメージし、それに応じた大学・学部を選んでいるのだ。  親が注意しなければいけないのは、自分のイメージだけをもとに、受験生に助言すること。大学・学部の偏差値は毎年変わっている。親が受験生だったころより難易度が高くなったところや、逆に低くなったところもある。  授業の内容も多様になっていて、文系でも情報技術(IT)など理系分野を学べるようになっている。国際教養大(秋田)の国際教養や横浜市立大の国際総合、早稲田大の文化構想や国際教養、慶應義塾大の総合政策や環境情報といった、学際的な学部も広がってきた。 「大学を巡る環境は目まぐるしく変わっており、親世代の受験事情とはかなり異なっています。親は子どもが判断するための情報を集め、一緒に考えてあげるというスタンスで接するのがいいでしょう」(市村さん)  親が志願先や入学先を押しつけようとしても、実際に受験し学ぶのは子どもだ。 「自分のやりたいことを見据え、そこから将来の職業、学びたい分野、受験する大学・学部を決めていく。いまはやりたいことがわからない場合は、興味を持った分野を大学で学びながら決めていけばいいのです」(同)  親は雑誌やインターネットなどで情報収集し、子どもが悩んでいたら、そっと助言する。東進ハイスクールでは、夏休みに大学の教員を招いて高校生に講義をしてもらい、その内容を冊子で配っている。大学のオープンキャンパスや体験授業などにも、積極的に参加させてあげよう。  入学先では「国公立大」の人気が続いている。  税金が投入されているため私立大より設備が充実し、学生1人あたりの教職員数も多いところが一般的だ。  受験生やその親にとってより切実なのは授業料だ。私立大では施設整備費などを加えると年間100万円を超えるところが珍しくなく、国公立大の倍近くかかる。4年間の大学生活にかかるコストで比べると、評価が高いのは当然とも言える。  国公立大の併願先では、東京大では早稲田大や慶應大、京都大では同志社大や立命館大などがある。W合格した場合は、ほとんどが国立大へ進学している。  ほかでも国公立大を選ぶ受験生が多数だが、そうではないケースも出てきている。 「親は国立大の学費が安いことに魅力を感じていましたが、最終的には早稲田を選びました」  こう話すのは、今年、東京外国語大国際社会学部と早稲田大国際教養学部にW合格した船坂悠馬さん。外国語の分野では東京外大は歴史があって国内最難関として知られ、船坂さんも当初は第1志望だった。  しかし、早稲田大国際教養学部を知るうちに、考えが変わってきたという。2004年にできた新しい学部で、ほぼ全ての授業が英語。学生に占める留学生の割合は約3割と高い。700校以上ある海外の協定校に1年間留学もできる。早稲田大が進める国際化の象徴でもある。 「早稲田のほうが英語力が伸ばせると思いました。総合大学として多様性があり、様々な刺激を受けられる。スポーツも盛んで、校風が合っていると思ったんです。親も理解してくれました。同級生にはすでに就職先を探し始めている人がいて、最近は自分も外資系コンサル会社に興味を持っています」(船坂さん)  こうしたケースは他にもある。北海道/法と中央/法では中央に10%、大阪/法と早稲田/法では早稲田に20%入学している。筑波/理工と東京理科/工では8%が東京理科を選んだ。  こうした動きの背景には、本誌11月30日号でも報じたように、私大の奨学金が充実してきていることもある。  私立大同士の併願パターンは様々だ。同じ学部もあれば、法と経済、文と教育など異なることもある。  関東の私大では、早稲田、慶應など最難関同士の併願が目立つ。かつては“私大トップ”と言われていた早稲田だが、近年はライバルの慶應に追い上げられたと言われている。早慶W合格者の入学比率を見ると、慶應に入学するケースが多い。  早稲田大で頑張っているのが社会科学部。親世代には「夜間学部」のイメージがあるが、09年に授業は昼間のみとなった。志願者や偏差値は徐々に上昇し、慶應義塾/総合政策とのW合格では半数が入学先に選んでいる。就職先も大手企業が並ぶ。社会科学部の入試担当者はこう語る。 「大半の人には夜間学部のイメージはありません。社会の課題に向き合うには視野が広い人材が求められており、政治や経済などを幅広く学べる学部の人気が高まっています」  理系では東京理科大の存在が際立つ。都心回帰などの改革に取り組み、志願者が増えた。入学比率を見ると、偏差値が上位にある上智とはほぼ互角で、明治とは8割以上が東京理科大を選択している。「早慶上理」と呼ばれるようになりつつある。 「実力をつけた人しか卒業させないという『実力主義』を掲げ、学生を伸ばす大学として評価されています。火災科学や光触媒など国立大に負けない研究もある。今後は人工知能(AI)などの分野にも力を入れていく予定です」(東京理科大の渡辺一之副学長) 「MARCH」(明治、青山学院、立教、中央、法政)では明治が頭一つ抜けている。就活の支援が手厚く、高校の教員らの評判もいい。 「ほかの私立大に進んでいた層が、こちらに入学するようになってきました。選ばれる大学になっています」(明治大の入学センター担当者) 「日東駒専」(日本、東洋、駒澤、専修)では東洋の人気が上昇。上位グループとされる「成成明学」(成蹊、成城、明治学院)とのW合格者で、東洋を選ぶ人もいる。 「留学などの国際化で、ほかと差別化できている。ウェブで様々な授業を見られるようにしたことで、『この先生のゼミに入りたくて入学した』という学生が多くなっています」(東洋大の加藤建二入試部長) 「関西大社会安全学部と近畿大国際学部に合格し、近畿大を選びました」  定隼輔さんは昨年、1浪の末、近畿大国際学部に入った。将来は東南アジアで英語を使って働きたいという。同学部は16年にでき、1年間海外留学することが必修になっている。 「親は就職などを理由に関西大を薦めましたが、やりたいことをしたいと説得しました。大学として勢いがある近畿大にかけてみようと思いました」(定さん)  関西では私立大の“序列”に変化が起きつつある。難関といえば「関関同立」(関西学院、関西、同志社、立命館)で、その次に「産近甲龍」(京都産業、近畿、甲南、龍谷)があった。二つのグループ間には大きな壁があるとされたが、延べ志願者数が全国トップの近畿大が攻勢をしかけている。定さんのような人も出てきている。  関関同立では3、4番手のポジションにあった立命館が2番手に上がりつつある。早くからキャリア教育を重視し、国家資格や公務員試験などの対策も取ってきた。 「試験合格後も、その後のキャリアを見据えたサポートを一体的に行っています。入試説明会でもこの点に興味を示す受験生は少なくありません」(立命館大の広報担当) (本誌・吉崎洋夫) ※週刊朝日  2018年12月21日号
大学入試
週刊朝日 2018/12/17 06:30
都心 帰宅時は疲れた体に堪える冷たい空気
都心 帰宅時は疲れた体に堪える冷たい空気
メイン画像 都心の最高気温は1月上旬並みの10度予想。これは昼頃に観測される見込みで、帰宅時間帯は6度から7度台。 帰宅時間帯は6度から7度台 東京都心(千代田区)も、ここ2~3日は厳しい寒さが続いています。きょうも最高気温は平年より2度低い、10度の予想で、お正月の頃の気温です。最高気温が観測されるのは昼頃ですので、仕事帰りの時間帯はもっと空気が冷えていることでしょう。17時から20時頃までは7度台、21時から日付の替わる頃にかけては6度台の予想です。疲れた体に堪える寒さと言えるでしょう。なお、今夜はふたご座流星群を楽しめる絶好のチャンスです。都心はビルの灯りなどで星空が見えにくいかもしれませんが、公園など灯りの少ない場所に移動すると観測できるチャンスです。月が沈むと観測することができるでしょう。東京はきょう(13日:木曜)の月の入りは夜9時42分(21時42分)です。夜空を見上げる際は万全な防寒対策をしてください。
tenki.jp 2018/12/13 00:00
グルメ屋台やイベントも!クリスマスマーケットを楽しもう☆南関東編〈レジャー特集|2018〉
グルメ屋台やイベントも!クリスマスマーケットを楽しもう☆南関東編〈レジャー特集|2018〉
クリスマスマーケットをご存じですか? 立ちならぶヒュッテ(山小屋のような屋台)には、伝統的なお菓子やグリューワイン(ホットワイン)、かわいい雑貨などが所狭しと売られています。大きなツリーに輝くオーナメント、コンサートなどの催しや夜のライトアップも☆ ドイツをはじめヨーロッパ各地に中世から続く伝統的なお祭りで、海外では冬の風物詩としてツアーが組まれるほど人気のイベントなのです。キリストの降誕を皆で待ちながら準備をするシーズンなのですね! 今回は、東京・横浜・さいたま新都心で開催される、おすすめのクリスマスマーケットをご紹介します。日本にいながら、クリスマスならではのご当地グルメを味わってみたり、本場の手づくり雑貨からプレゼントを探してみたり…見てまわるだけでもワクワク楽しい♪ どのスポットも駅から近いので、お仕事帰りにも気軽におでかけしてみてはいかがでしょうか?クリスマスの味☆グリューワイン 冬の風物詩☆ 高さ14mのクリスマスピラミッド/日比谷公園(東京都千代田区) ■日比谷公園 ビジネス街の中心にある癒しの公園です。こちらで開催中のクリスマスマーケットのシンボルは、ドイツ・ザイフェン村からやってきた巨大な「クリスマスピラミッド」! 日本では馴染みが薄いのですが、歴史はクリスマスツリーよりも古く、木のあたたかみが感じられる芸術品です。クリスマスならではのグリューワインやスイーツ、ヨーロッパ風のオーナメントなどのヒュッテが並び、ロマンティックな雰囲気を楽しめます。ステージイベントも予定されていますよ♪ ☆『東京クリスマスマーケット2018』☆ ■期間:2018年12月14日(金)~25日(火) ※雨天時も開催 (荒天の場合、中止する場合があります) ■時間:全日11:00~22:00 (L.O.21:30) ※入場無料(飲食、物販は有料) ■場所:東京都千代田区日比谷公園 噴水広場 ■問い合わせ:03-3524-0890(東京クリスマスマーケット実行委員会) ■HP:https://tokyochristmas.net ■アクセス:東京メトロ日比谷線「日比谷」駅より徒歩約1分 他 ※詳細は公式サイトをご参照ください※画像はイメージです ドイツの古都で☆氷上や船上のクリスマスも/横浜赤レンガ倉庫(神奈川県横浜市) ■横浜赤レンガ倉庫 大正時代の建物が醸すレトロな雰囲気が人気のスポットです。今年のクリスマスマーケットは、ドイツの古都・アーヘンがモチーフ。エントランスでは、ご当地スイーツを模した巨大ジンジャーブレッドマンがお出迎え! ヒュッテが軒を連ねた奥には、本物のモミの木を使用した大きなクリスマスツリーが☆ ヒュッテでは、定番のソーセージやグリューワイン、シュトレンなど本場ドイツのクリスマスを感じられるフードやドリンクが楽しめます。雑貨やクリスマスケーキの販売も。クリスマス音楽の生演奏、スケートリンクやクルーズ船など、ひと味違った港町のクリスマスを楽しんでみませんか? ☆『クリスマスマーケットin横浜赤レンガ倉庫』☆ ■期間:2018年11月23日(金祝)〜12月25日(火) ※荒天の場合、休業することがあります ■時間:【11月24日(土)~12月14日(金)】11:00~21:00/ライトアップ 16:00~21:00(ツリーのみ23:00まで) 【12月15日(土)~12月25日(火)】11:00~22:00/ライトアップ 16:00~22:00(ツリーのみ23:00まで) ※ラストオーダーは営業終了時間の30分前です ※入場無料(飲食、物販は有料) ■場所:神奈川県横浜市中区新港1-1 イベント広場 ■問い合わせ:045-227-2002(横浜赤レンガ倉庫2号館インフォメーション) ■HP:https://www.yokohama-akarenga.jp/christmas/ ■アクセス:みなとみらい線「馬車道」駅より徒歩約6分 他 ※詳細は公式サイトをご参照ください※画像はイメージです 青く輝く☆ベルリンのクリスマス/さいたま新都心 けやきひろば(埼玉県さいたま市) ■さいたま新都心 けやきひろば JRさいたま新都心駅に直結する広場です。埼玉県の木・けやきが植樹されています。クリスマスシーズンには彩り鮮やかなイルミネーションで飾られ、けやきひろばはブルーの森に変身‼︎ クリスマスマーケットも開催されます。今年はベルリンをイメージ。クリスマスグッズやドリンク&フードの販売、ワークショップなどが楽しめます。「ベルリンの壁崩壊30周年カウントダウン」を記念した期間限定のカフェやフォトスポット、オリジナルタンブラーも販売。テディベアとのふれあいや、会場内を運行するイルミネーショントレインもお見逃しなく☆ ☆『さいたま新都心 けやきひろば クリスマスマーケット2018』☆ ■期間:2018年11月23日(金祝)〜12月25日(火) ■時間:平日 15:00~20:00(予定)、土・日・祝 11:00~20:00(予定) ※イルミネーションは2019年2月14日(木)まで開催/点灯時間 17:00〜24:00 ※入場無料(飲食、物販は有料) ■場所:埼玉県さいたま市中央区新都心10 けやきひろば 2F ■問い合わせ:048-601-1122(さいたまスーパーアリーナ) ■HP:https://www.saitama-arena.co.jp/event/illumination2018/ ■アクセス:JR線「さいたま新都心」駅より徒歩約3分 他 ※詳細は公式サイトをご参照ください※画像はイメージです バカラのツリー☆大人の可愛いマルシェ/恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区) ■恵比寿ガーデンプレイス 写真美術館やビールスポットもある複合施設です。時計広場では、ヨーロッパのクリスマスマーケットをイメージした、ヒュッテが立ち並ぶマルシェが開催中。クリスマス雑貨や、マリオネット作家 オレンジパフェによるマリオネット展など、大人っぽさのなかにのぞく可愛さが魅力です。大きな木のクリスマスツリーの向こうに見えるのは、輝くクリスタルのツリー(バカラ製のシャンデリアです)! ふたつを結ぶ赤い坂など、絵になる撮影スポットもいっぱいですよ‼︎ ☆『恵比寿ガーデンプレイス クリスマスマルシェ』☆ ■期間:2018年11月3日(土祝)~2019年2月28日(木) ■時間:11:00〜20:00 ※入場無料(飲食、物販は有料) ■場所:東京都渋谷区恵比寿4-20 時計広場 ■問い合わせ:03-5423-7111(受付時間 10:00〜20:00) ■HP:https://gardenplace.jp/special/2018christmas/marche/ ■アクセス:JR線「恵比寿」駅より動く通路(恵比寿スカイウォーク)で約5分 他 ※詳細は公式サイトをご参照ください いかがでしたか? 今年も思い出に残るクリスマスとなりますように♪ 「おでかけスポット天気」で、お近くの施設もぜひチェックしてみてくださいね! <注意事項> ■写真はイメージです ■各施設の営業日時・料金・イベントなどの詳細は、おでかけ前に公式サイトなどで最新の情報を必ずご確認ください※画像はイメージです
tenki.jp 2018/12/10 00:00
イメクラの原点は川端康成!? 80年代に流行った背景にはAIDSも
イメクラの原点は川端康成!? 80年代に流行った背景にはAIDSも
かつても今も東京・新宿は不夜城。歌舞伎町には店舗型のイメクラが今もある=2018年11月 イメクラは様々な形に進化し、性的サービスをNGとする店舗も。耳かき店も派生した一つかもしれない=2009年、大阪  (c)朝日新聞社  社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく「裏昭和史探検」。  妄想が膨らんでも、実社会でおいそれと実行に移すわけにはいかない。だったら、それを疑似的に実現できる場をつくってみたらどうか。今回は、そんな発想で誕生した「イメージクラブ」について語ってみよう。 *  *  *  川端康成に『眠れる美女』という短編がある。波音が聞こえる海辺の宿。すでに男ではなくなった老人たちの「秘密クラブ」となっており、若い女性が裸のまま眠らされている。そこで、ひと晩添い寝をするという官能的な物語である。  海外でも人気が高く、オペラや映画にもなった。だが、飛びついたのはそればかりではない。「似たような体験ができる」。そんなキャッチコピーを掲げた風俗店が現れた。昭和61(1986)年、東京の鶯谷にできた「夢」という店である。元中学教師が開いたというが、何を教えていたのだろうか。  夕刊紙などの三行広告で客を募ったところ、なぜかインテリ層に受けた。昭和の終わりから平成にかけて口コミで人気がじわじわ広がり、やがて高田馬場に類似店ができたという。  さて、今回は卑猥な想像力を存分に膨らませるイメージクラブ(通称・イメクラ)の話をしよう。 「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」。そう説いたのは劇作家の寺山修司だったが、たしかに人間の想像力は偉大。伝説のAV男優・安田義章さん(故人)も12年前、88歳のときに本誌のインタビューでこう答えていた。 「ここ(下半身を指して)は脳とつながってるから脳の働きがとても大切。実力とか体力は関係ない。想像力があることが大事だ」  アダルトビデオに出演するかのように、自分が主役になって妄想を膨らませるのがイメクラの魅力と言えるだろう。相手の女性との駆け引きを楽しむ心理的要素もある。知的でマニアックでスリリングな遊びかもしれない。  想像力を最大限に働かせるためには、舞台装置(シチュエーション)が欠かせない。たとえば、「秘書付きレンタルオフィス」と銘打ったイメクラ。部屋の中には事務用の机が置かれ、電話も置いてある(回線はつながっていない)。それらしくスーツ姿で待機する秘書。部屋には2人だけ。最後は手や口でスッキリさせてくれたという。  現実の世界では犯罪行為にあたるが、電車のつり革をつるし、本物らしい座席を据えつけ、立席用つかみ棒まで立てて、痴漢行為の雰囲気を楽しむ店もあった。ご丁寧にも、電車が出発する音や「ガタンゴトン……」と列車が揺れる音まで流す演出ぶり。  壁に黒と白の幕を張り、中央に仏壇を作ってお通夜のムードを醸し出す店もあった。やがて女性が喪服姿で現れ、喪服プレイをするのである。懐中電灯を手に、暗い部屋の中に入る「夜這いプレイ」もあった。屋内にキャンプ用テントを張り、寝袋を用意した疑似アウトドアもあった。  幼児プレイ、セクハラプレイ、人妻プレイ……。内容について詳しく書くのは避けるが、聞いただけでも顔が赤くなってしまうような行為が繰り広げられた。たしか伊丹十三監督の映画「お葬式」にも野外での男女の行為を描いた濡れ場シーンがあった。喪服姿だけに背徳的とも見える描写。だが、それが逆に観客の興奮を誘った。  映画の例を引くまでもなく、イメクラでは制服(コスチューム)を身につけてその職種になる設定の店が多い。飛行機の客室乗務員、看護師、女医……。女学生のセーラー服姿も人気が高い。 「制服には『神聖なるもの』というイメージがある。それを犯すことが性的興奮を呼ぶのかもしれません」。そう話すのはSMの精神的世界を表現するパフォーマーであり、元ポルノ女優であり、『性の仕事師たち』の著書がある早乙女宏美さんである。  早乙女さんによると、客の中には自らが書いた台本を持って来店する人もいるそうである。どんなストーリーにするかあれこれ考え、実践するのが楽しいのだろう。「抜く」という行為がなくても十分満足して帰る客もいたという。ほかの風俗産業では考えられないことである。  イメクラは秘密クラブ的な要素を兼ね備えているため、看板や掲示板を表に設けていないところが多い。ひそかに都会のワンルームマンションを借りて、電車の車内や学校の教室、病院の診療室など忠実に再現した店もある。内装にお金がかかるが、完全な個室であることが最大の売りなのだろう。完全予約制を採り入れているところが多いのもイメクラの特徴だ。リピーターが多い。  だが仕事内容は精神的な要素が多いため、働く人にとってはハードと言えるかもしれない。 「S(サド)っ気の強い女性は向かないね。どちらかというと受け身の仕事だから。ストレスは結構たまるよ」  イメクラに詳しい私の友人はそう話す。  もちろん、恋愛は店の中だけ。店外デートは御法度である。個人的な交際にまで発展すると来店する必要がなくなってしまう。経営者は常にそれを心配しているのである。  イメクラが人気を呼んだ背景には「AIDS(エイズ=後天性免疫不全症候群)」があるだろう。厚生省(当時)のAIDSサーベイランス委員会が、神戸市在住の29歳の女性をエイズ患者と認定したのは昭和62年1月17日。翌日付の朝日新聞朝刊は1面で報じている。神戸の盛り場で多数の日本人男性と性的交渉を繰り返していたという。女性は重体だったが、同月20日に亡くなる。世間は大騒ぎとなった。 「トルコ風呂」から名称を変えたばかりの「ソープランド」などと違い、イメクラでは、直接的な性行為がない場合が多い。当時の状況を現地で取材していた風俗ライター(68)は言う。 「エイズパニックは全国の盛り場に波及し、客は激減した。性産業が軒並み大打撃を受ける中、注目されたのがイメクラに見られるような、ソフトなサービスだったのです」  ソープランド業界もあの手この手で安全対策に打って出た。「陰性」という証明書を持つ女性のみを相手にさせる「無菌プレイ」なるものも東京の吉原に登場。客のエイズ検査の費用を負担する店も現れたという。  イメクラは、派遣型、店舗型など複数の形態で、いまも各都市で営業されている。秘密クラブどころか、ファッションヘルスが「イメクラ」と銘打って堂々と宣伝している例もある。女性の年齢層やコスプレの種類など、それぞれの店が特徴を競い合っている。写真撮り放題の有料オプションをつける店もある。  冒頭に挙げた『眠れる美女』。老人の性と死、異常な愛の姿にたじろぐ人も多いだろう。発表されてから50年以上の歳月が過ぎたが、超高齢化社会に突き進むニッポンの未来を暗示するようでもある。男性機能を失った老人たちのためのイメクラが注目される時代が来るかもしれない。 ※週刊朝日  2018年12月14日号
週刊朝日 2018/12/09 16:00
0円タクシーに乗った赤坂の夜 乗り心地は意外にも…
福井しほ 福井しほ
0円タクシーに乗った赤坂の夜 乗り心地は意外にも…
0円タクシー外観(C)朝日新聞社 降車後アプリに表示された会計画面(※画像の一部を加工しています) 降車時に手渡されたカード(撮影/福井しほ)  タクシーはお金に余裕のある人が乗るものだと思っていたのに、ついに「0円タクシー」なるものが登場した。まさか無料の時代がやってくるなんて。 「タダならタクシーに乗ってみたい!」  そう思い立って、意気揚々とタクシー配車アプリ「MOV(タクベル)」をインストールした。登録に最低限必要なのは名前、性別、生年月日、電話番号の4つのみ。しかも、名前はひらがなでOKという“ゆるさ”が今っぽい。  0円の仕組みはこうだ。「MOV」とスポンサー企業が提携し、タクシー会社にお金を支払う。スポンサーはタクシーをラッピングしたり、車内で自社商品のCMを流せるので宣伝効果が見込める。この三者間で契約が成立するため、乗客はタダで乗ることができるのだ。  スポンサー第一弾には日清食品株式会社が名乗りを上げた。5日から31日まで「どん兵衛」仕様のタクシー50台が都内を走り回る。実施時間は朝7時から夜10時までで、配車可能なのは渋谷区、新宿区、港区、中央区、千代田区近辺と限られてはいるが、東京23区内であればどこまででも無料で連れていってくれる。 ■いざ“ゼロタク”を狙うも、最初の壁が……  配車可能区域であることを確かめ、さっそく位置情報を設定してピンを合わせると、近くを走るタクシー情報が表示された。0円タクシーが近くにいる場合、「どん兵衛マーク」の車が現れるようだが、表示されるのは普通の車アイコンのみ。目を皿のようにして探しても、エリアを広げて見ても、どん兵衛は見当たらない。限定50台のハードルを感じながら、しつこく10分ほどタップを繰り返すと、「0円タクシー」が現れた!  慌てて予約し、乗車指定した場所へと向かう。程なくして、アプリに「後6分で到着」の文字が表示された。その間に目的地を入力し、待つこと数分。赤い車体に「どん兵衛」の行灯を付けたタクシーがやってきた。車体には「どん兵衛 天ぷらそば」の写真に「ツキを招く月見そば」のコピーが入っていた。70代くらいだろうか、物腰柔らかな男性運転手と名前の確認をし、0円タクシーの旅が始まった。  記者が乗車したのは8日夜9時過ぎの赤坂見附交差点近く。朝7時から運転し始め、記者はこの日11人目の乗客だという。前の乗客を降ろし、回送マークを外した1秒後にコール(予約)が入ったそうだ。 「回送を外すとだいたい3~4秒くらいでコールが入ります。特に港区はかなりの激戦だと聞きます」(乗車したタクシーの運転手)  秒単位の戦いが繰り広げられていたことを知り、0円への執着を痛感する。この運転手によると、普段タクシーに乗らない20代の利用が多いという。SNSやネットニュースで0円タクシーの存在を知り、試しにと乗ってみた格好だ。 「普段から利用される方は0円タクシーを待つより、近くに停まっているタクシーに乗られるのではないでしょうか」(前出・運転手)  どん兵衛仕様のタクシーへの興奮と物腰柔らかな運転手への安心感からか、「0円タクシー運転手は選ばれし50人なのですか――」 などとついたくさん質問してしまう。 「理由を聞いたわけではありませんが、私の会社で0円タクシーを運転している人を見ると、運転が荒くなく、落ち着いた人が多いような気がします。スポンサーの顔があるのでトラブルは厳禁。丁寧な接客ができるという点を重視したのではないでしょうか。失礼がないように、安全運転で、お客様が写真を撮る場合はご協力するようにと言われています。車を降りてタクシーの前で撮影される方もいます」  タクシー会社に所属しているとはいえ、「どん兵衛」の看板を背負っているも同然。普段の乗務以上に気を使うことも多いのかもしれない。質問を続ける記者に一つひとつ丁寧に返してくれるのも、仕事のうち? 不安になって取り繕うように聞いてしまう。 「珍しいから、同じことをたくさん聞かれてしまうんじゃないですか」  運転手さんは表情を崩さず、 「興味を持ってくださるお客様は多いですね」 切り返しのスマートさに脱帽する。その後も会話を続けていると、ぽつりとこうこぼした。 ■0円タクシー 運転手の意外な喜び 「0円タクシーの特徴ではありませんが、いいお客様ばかりだなと感じています。タクシーはピリッとした方や少し高圧的な方もいて、お乗せする前から『次はどんな人だろう』と緊張が続きます。0円タクシーはそういったお客様がいないので安心してお迎えにいけます」  そんな気苦労があるとは知らず、タクシー運転手の悲哀を感じてしまう。確かに、密室で素性の知れぬ相手と2人きりになることも多いタクシーでは常に緊張を強いられるのかもしれない。いわれのないクレームを受けることもあるのだろう。0円タクシーはドライバーにとっても嬉しい存在になっているようだ。他にこんな利点もある。 「年末は書き入れ時でタクシー運転手は勝負モードです。若いドライバーは『頑張るぞ!』と戦闘態勢なので、1日で6~7万は稼ぎます。でも、もう若くない私のような競争に参加できない者にとっては固定給がもらえる0円タクシーはありがたい。数秒で次の方が呼んでくれますから、日清さんのおかげで穏やかに年末を過ごせています」  おしゃべりすること約30分。気がつけば自宅近くに着いていた。移動距離は約8キロで、値段はもちろん0円だった。 「ご乗車ありがとうございました。こちらどうぞ」  1枚のカードが手渡される。 <この度は「0円タクシー」にご乗車いただきありがとうございました。2019年も皆様にツキのある1年が訪れますようお祈りいたします。2018.12>  ツキというよりは執念で乗車したような気もするが、師走の慌ただしさから離れられる一時だった。(AERA dot.編集部・福井しほ)
dot. 2018/12/09 12:40
まもなく葉室麟さん一周忌 ゆかりの作家3人がしのぶ
まもなく葉室麟さん一周忌 ゆかりの作家3人がしのぶ
葉室麟(はむろ・りん)/1951年、北九州市生まれ。地方紙記者などを経て、54歳のとき『乾山晩愁』でデビュー。以来12年間で約60冊の小説・エッセーを出版。2012年『蜩ノ記』で直木賞。16年『鬼神の如く 黒田叛臣伝』で司馬遼太郎賞。「曙光を旅する」は15年4月から朝日新聞西部本社版に連載。週刊朝日で「星と龍」を連載中だった17年12月に病気のため亡くなった (撮影/加藤夏子) 【左】朝井まかて(あさい・まかて)/1959年生まれ。『恋歌』(直木賞)、『阿蘭陀西鶴』(織田作之助賞)、『雲上雲下』(中央公論文芸賞)など。「グッドバイ」を朝日新聞で連載中 【中央】東山彰良(ひがしやま・あきら)/1968年生まれ。『路傍』(大藪春彦賞)、『流』(直木賞)、『僕が殺した人と僕を殺した人』(読売文学賞)など 【右】澤田瞳子(さわだ・とうこ)/1977年生まれ。『孤鷹の天』(中山義秀文学賞)、『満つる月の如し』(新田次郎文学賞)、『若冲』(親鸞賞)など (撮影/写真部・小山幸佑)  作家・葉室麟さんが他界し、もうすぐ1年になる。<歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を歩きたかった>。そんな思いでつづられた遺作エッセー『曙光を旅する』(朝日新聞出版)が刊行された。眼光鋭く、情に厚い。そんな兄貴分を思い、朝井まかてさんと東山彰良さんが語り合った。澤田瞳子さんも飛び入りし、盛り上がる対談会場は、いっそう熱を帯びた。 *  *  * 東山:葉室さんと初めてお会いしたのは2015年、ぼくの作品『流』が直木賞候補になった頃です。酒席となり、よく呑みました。電車で帰る方向が一緒でしたが、葉室さんはとても遠くまで乗り過ごしてしまった(笑)。 朝井:わたしも初めてお目にかかったのは3年ほど前。「月刊葉室」と言われるほど忙しくされていて、編集者からの電話もほぼ鳴りっぱなしでした。でも、その忙しさを楽しんでおられるような、とても充実しているふうでした。 東山:意気投合したぼくは、福岡久留米界隈で葉室さんと呑むようになりましてね。関西在住のまかてさんや澤田瞳子さんのことをよく話題にしていたなあ。 朝井:あれでしょう。わたしが執筆しているとき、血行を悪うせんよう「しめつけへん」格好しているってこと、知らぬ間にネタにされていた(笑)。でもわたしたち後輩作家にもいつもユーモア交じりで、垣根を構えない人でしたね。 東山:知り合いになり、普段は海外の作品ばかり読んでいるぼくは、『蜩ノ記』から読みました。自分がやろうとしていることが書かれていて、やられたな、と痛感しましたね。 朝井:『蜩ノ記』は、最期の日が決まっている、その日までどう生き尽くすか、という生の美学だと思います。『曙光を旅する』に筑豊の記録文学作家の故・上野英信さんのご長男を訪ねる場面があるでしょう。炭鉱労働者とともに生きた上野さんの姿を、葉室さんはお若い頃から鏡のように見ていたのでは、と感じるんです。自分は何ができるのかと、ご自身に問い続けたのではないでしょうか。 東山:ぼくは年に1、2冊ですが、葉室さんは年に何冊も本を出し続けました。それは自分でも消化しきれない葛藤があったからだと思うんです。新聞記者をされていた頃から、いろんな葛藤が蓄積していたのではないでしょうか。 朝井:『曙光』で小倉を旅したときに、「国破れて山河あり」で知られる唐の詩人、杜甫(712~770)の詩にふれていますね。<時代を詠(うた)う詩人は、今でいうジャーナリストの側面も持っていたのではないか>と喝破しておられるくだりが印象的です。 ■孤独な小説執筆、後輩引き合わせ 東山:葉室さんは新聞記者の目で社会を見ていましたね。いろいろと憤っているお話を聞いていると、作家というよりも、記者の視点だと思いました。2年前に司馬遼太郎賞を取り、ようやく自分がやりたいことができるようになった、ノンフィクションにも挑戦したい、と言っていました。でも実現する前に……。 朝井:記者出身の司馬遼太郎さんを尊敬しておられましたものね。『曙光』は担当の記者さんに触発されたんでしょうか、原稿にも4回、5回と随分と手を入れられたとか。作家のエッセーというのは、どちらかと言えば瞬発力で書くものと思いますが、それを聞いて意気込みを感じました。 東山:『曙光』を読んでいると、葉室さんのことをとても身近に感じてしまいます。思い出すことが多くて、読み進めるのが大変です。 朝井:わたしも読むたびに立ち止まります。作家として生きる、日本に生きるとは……投げかけられることが多い。葉室さんの声や気配を思い出して、胸もいっぱいになるし。 東山:思い出は尽きませんね。葉室さんと対談する機会が結構あって、テッパンのネタがあるんですよ。これを出すと、会場がどっかんどっかん受ける、という。「そろそろパス出すぞ」というサインが来て、ぼくがシュートを決めたものですが、それももうできなくなりました。 朝井:酔ったときのひがみ系のネタもおもしろかった。「ぼくのところにくる女性編集者も女性記者も、みんなニコニコしているけど、本当にモテているんだろうか」とかわたしに聞くんですよ。そんなん、聞かれても(笑)。 東山:それも酔っ払いながら計算ずくで笑いを取っていましたね。 朝井:小説の執筆は孤独だし、しんどい仕事です。だから後輩を励まそう、というお気持ちが強かったのでは。『曙光』で大分の日田を訪れ、儒学者、広瀬淡窓が文化年間から幕末にかけて教えていた私塾を訪問しています。門人を励ました詩の一節「君は川流(せんりゅう)を汲(く)め我は薪(たきぎ)を拾わん」という言葉は、まさに葉室さんらしい。群れたがる人じゃないんです。共に進もうという心。 《ここで、後輩の作家仲間として、会場にいた澤田瞳子さんが促され、壇上へ》 澤田:わたしも3年ほど前に、葉室さんと出会いました。お酒は呑めないのですが、電話魔の葉室さんに突然声をかけていただき、朝の5時までご一緒したことがあります。お酒だけでなくて、甘いものもお好きでした(笑)。 朝井:人と人を引き合わせる方でしたよね。君はあの人に会っておくべきだ、と電話で説得されたことも(笑)。 東山:その強引さでぼくら3人は知り合いになれました(笑)。 澤田:明治150年を深く意識されていたことが、すごく印象深いです。大久保利通や西郷隆盛の話をされ、今という時代の歪みは、明治から始まるものであると。病気で体調を崩され、わたしが葉室さんの代わりに、解説文を書かせていただいたこともありました。あれでよかったのかと思いますが、ぼくの明治維新についての考えは澤田にすべて話しているから、と言ってくださって。 東山:ぼくも機会をいただきました。幕末を舞台にした『夜汐』という、初の時代小説を刊行したのですが、その連載開始の頃、背中を押してもらいました。ぼくの国籍は台湾なのですが、「東山さんみたいな人が日本の歴史を書けば、アジア的な広がりが出る」と。日本の近代や現代を、葉室さんのように歴史の観点から相対化してみたいです。 朝井:わたしも葉室さんに教示を受けて、日本の近代化とは何だったのか、を考え続けています。皆、それぞれ書くべきものを書くだけですが、志を受け継ぐことはできる。昨今、言葉の力が弱くなったと言われますが、葉室さんは(言葉の力を)信じていたし、わたしも信じています。自分なりに書き続けることで、葉室さんと、そして歴史と対話し続けたいと思います。 (構成/朝日新聞文化くらし報道部・木元健二) ※週刊朝日  2018年12月14日号
週刊朝日 2018/12/09 07:00
「眞子さまと小室さんは好きなら結婚したら?」カンニング竹山があえて物申す
カンニング竹山 カンニング竹山
「眞子さまと小室さんは好きなら結婚したら?」カンニング竹山があえて物申す
カンニング竹山/1971年、福岡県生まれ。お笑い芸人。本名は竹山隆範(たけやま・たかのり)。2004年にお笑いコンビ「カンニング」として初めて全国放送のお笑い番組に出演。「キレ芸」でブレイクし、その後は役者としても活躍。現在はお笑いやバラエティー番組のほか、全国放送のワイドショーでも週3本のレギュラーを持つ(撮影/写真部・小原雄輝) 眞子さまと小室圭さん(写真:代表撮影)  代替わりが近づき「平成最後の◯◯」というフレーズも定着し、皇室の動きにも注目が集まっている。即位後は皇位継承一位となり皇嗣となる秋篠宮さまが記者会見で、長女・眞子さま(27)と小室圭さん(27)の結婚について「それ相応の対応をするべきだ」、「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、いわゆる婚約に当たる『納采の儀』を行うことはできません」と話したことに、お笑い芸人のカンニング竹山さんは持論を展開。次の時代に求めることは? *  *  *  眞子さまと小室さんの結婚問題は、詳しい事情はわかりませんが、お互いに好きなら結婚したらいいんじゃないの?と僕は思います。皇室に入るわけじゃないんだから。  婚約が延期されているのは皇室という点に加えて、親御さんの考え方という壁があるんだと思うんですよ。一般家庭でも、年ごろの娘さんや息子さんを持っていたら「結婚はまだダメだ!」ってことはよくある。まだ一人前じゃないからとか。逆に半人前でも結婚しちゃえばいいって考えの人もいる。そこを周囲が憶測ばかりで話していると、尾ひれがついて変な方向に行っちゃうけど、基本的には家庭の問題だと思うんですよね。二人ともまだ若いし、3年ぐらい経って、最終的に一緒になれたらいいんじゃない?って僕は思いますね。  代替わりで皇室のことがいろいろ注目されていますけど、来年は日本で初めて「事前に準備ができる代替わり」になりますね。めちゃくちゃ働いていらっしゃる天皇陛下が退位したいと言うなら、そうしたらいいと思うんですよ。普通の企業も子どもの世代に譲ったほうがいいってなってるしって、子どもの世代とか国民に負担をかけない方法を考えてってことだと思う。その辺がものすごくしっかりされた方たちだなと思いますよね。  雅子さまが皇后になったら、公務ができないんじゃないかと心配する人もいるらしいけど、毎回、ご夫婦揃って仕事に行ってほしいとは誰も思っていないと思うんですよ。体調は個人的にいろいろあるわけですから、大きな行事以外はどちらか行けるほうが行ったらいいんじゃないかとしか思わない。それに、新しい時代になるといろいろなことが変わっていくと思うんですよ。  テレビの仕事も年末や正月の特番には今年活躍した芸人とかタレントがいっぱい出るけど、翌年2月、3月になるとパタっと止まるんですよね。芸人にとっては怖い時期。それは誰が悪いとかじゃなくて「1回けじめです!」っていう、日本人みんなが持ってる感覚からきているんですよね。正月休みが終わって、さあ仕事しようというときに、誰しも「新しいことやろうか」って気持ちになる。だから2018年のスターって言われた人が急に出なくなったりするわけです。  平成から次の時代に変わった瞬間にも「何か変えようか」って気持ちになって、社会が変わっていくのかなと思いますね。そして、昭和生まれという己の古さがちょと出てくるかなとも感じますね。平成になるときの、大正生まれの人と同じ感覚ってこうだったんだろうか……。そう考えると、昭和という時代がいよいよ歴史の一つになったんだなという気がします。  昭和天皇が崩御されたというニュースが流れたとき、僕は高校生ぐらいでした。バンドをやっていたのでスタジオで練習したり、ゲーセンで遊んでいたときにニュースを聞いたと思う。容体がどうなるかわからないという時期もあったし、日本全体がどんより曇っていた感じは覚えています。そのころ、うちの奥さんはデパートで働いていたんですが、夜飲みに行ったらトラブルにあうかもしれないっていう噂も出て、飲みにも行っちゃいけない空気だったと言っていましたね。みんな初めてのことだったので、どうやって受け止めていいのかわからないという感じでした。  振り返ると、平成ってすごく前に進んだ時代でしたよね。平成が始まるときは、パソコンも使えなかったし、スマホなんか頭の中にも無かった。それをいまみんなが手にして、必需品になっているわけじゃないですか。ネットニュースとか、フェイクニュースっていう言葉が出てくるとも思わなかった。自分も時代とともに生きているんだなと感じます。  次の時代はさらに進化していくんだろうと思います。  それと同時に心配になるのは、戦争がない時代の“ロングラン”ってどのぐらい続くんだろうってこと。大きな戦が無かったと言われる江戸時代が260年以上あったけど、明治になって外国と戦があり、第二次世界大戦が昭和20年ぐらいに終わる。それからいままで70年ぐらいは戦争が無い。これを江戸時代より長く、日本の歴史上最も長く続けたいなと思うんですよね。  人類が生まれて、長い歴史の中でどの国もずっと戦争してきて、争い殺し合うということが人間のDNAの中に組み込まれたものなんじゃないかと思うこともあるんですよ。そうじゃないってことが文明の発展によって、できるんだろうかっていう自分の中の疑問であり、新記録ぐらい続けていきたいという希望でもあるんですけど。あと何年ぐらい戦争がない世の中をみんなが作れるんだろうか。それが一番大切なことのような気がするんですよね。自分が心配することじゃないかもしれないけど、次の時代を迎えるにあたって、心配と言えば心配かな。
カンニング竹山皇室
dot. 2018/12/05 11:30
“新・ナンパの聖地”で50代男子がトライ! 「無理」「圏外」と散々で…
“新・ナンパの聖地”で50代男子がトライ! 「無理」「圏外」と散々で…
立ち止まってくれるだけでありがたい気持ちになる(撮影/小原雄輝) 最も賑わうと噂の、泰明小学校近くのレストラン「オーシャンハウス」前。この場所で“検証”をスタート!(撮影/小原雄輝)  まるでバブル時代のような活況だった。  東京・新橋から銀座に抜ける線路沿いの道、全長約400メートルのコリドー街は、金曜になると、一流企業に勤める若い男女の出会いの場になる。そんな噂が噂を呼び、今では「新・ナンパの聖地」になっているという。  「9時すぎくらいからナンパが盛んになる。けっこうな確率で成功しているみたいですよ」(バー店員)  男性は30代、女性は20代が中心というこの“戦場”で、50代男性編集者が若い女性をナンパするという無謀なチャレンジを試みたら……。 *  *  *  編集部の誰もが「勝ち目のない無謀な挑戦」と噂している気がする。何しろ、ここは東京・銀座コリドー街。一流企業の若手エリートとの出会いを目当てに、知性と美貌を磨いた若い女性が集まる人気スポットだ。通称「新・ナンパの聖地」。取材班のミッションは「コリドー街の女性をナンパして取材せよ。身分を明かしてはならぬ」。どう考えてもインポッシブルなミッション。トム・クルーズだって逃げ出すに違いない。いやいや、トムならナンパし放題か。だけどこちらは冴えない50代。しかも低身長、低収入。何より最大の弱点は低毛量。つまりハゲ。高め狙いの女子がなびくとは思えない。  一人では心細いので、同僚の菊地武顕記者に同行を願った。勇気100倍、いや2倍くらいだけど、とにかく出陣。ハゲ隠しのハットに、普段締めないネクタイも着用して、最も女子が集まるとされる泰明小学校近くのダイニングバー「リブハウスオーシャンハウス」へ。時刻は21時15分。食事を終えた女子たちがやってくる時間帯だ。  店の入り口にはすでに順番待ちの行列が。20代後半と思しき2人組女子も2組並んでいる。「これは仕事だ」と言い聞かせ、最後尾の2人組に声を掛けた。 「あの……、僕らと一緒に飲みませんか?」 「え?」と、振り向いた彼女たちの目が一瞬で曇る。 「このまま一緒に入って合流しません?」 「ごめんなさい。ククク~」  何だその笑いは! オジサンにだってナンパする権利はあるのだぞ。  こうなったら勢いだ。もう一組も誘ってみた。 「すいません──」 「あ、聞こえてました。私たち、待ち合わせなんで」 「待ち合わせの人が来るまででもいいんです」 「ごめんなさい!」のユニゾンで断られてしまった。断られた彼女らと一緒に並ぶのがいたたまれない気分だったが、すぐ入店できた。  満員の店の中は思ったより男性2人組が多い。女性3割、男性7割くらい。競争率はかなり高そうだ。ナンパ成功を祈ってビールで乾杯してから、周囲を見渡してみた。女性ペアは4組。まずは隣の席の20代可愛い系女子に話しかける。 「隣り合ったのも何かの縁。一緒に飲みませんか?」  一瞬顔を見合わせた後、うなずき合って、「私たち、もう帰るところなんです」って、まだだいぶ食事が残っているけれどね!  帰り支度を始めた2人に取材で来た旨を告白し、話を聞くと、彼女らは20代事務職で、この店には時々来るという。 「ここがナンパの街だとは知ってますよ。今日はそれ目的ってわけじゃないけど、いい出会いがあればとは思っています」 「希望は背が高い同世代のカッコいい人。今日も3人に声を掛けられたけど、希望どおりの人はいなかった」  コリドー街は2~3年前から「大人の出会いスポット」として話題になっており、人気テレビ番組で取り上げられて広く認知された。この街に飲みに来るハイスペックなサラリーマンと出会うために、若い女子たちがオシャレをして集まるようになった。 「でも今は、ナンパ待ちの女性が集まる場所として、一流とはいえない男たちも集まるようになった。おかげで、毎週金曜の夜になると、歩くのも困難なほどの人だかりになる」(コリドー街のバー店員)  気を取り直して、入店したばかりのいかにも仕事ができそうな2人組に注目。ワインをボトルで注文しているところを見ると、長居するつもりなのだろう。 「すいません。あっちの席で一緒に飲みませんか」  後ろから声を掛けると、オジサン2人組をちらりと眺めて「いいですよ」とニッコリ笑うではないか。 「でも、少し2人だけで話した後でもいい?」 「もちろんです! あちらでお待ちします」  なんと4組目でOKをもらってしまった。席に戻ったオジサン2人はさっそく祝杯。ところが、待てども待てども彼女たちの話は終わらない。手持ち無沙汰になった我々は、他の女子たちに話しかけてみる。  まずは窓際で楽しそうに話しているモデル風の高身長の20代女子2人を誘う。 「え~。何で私たち? 遠慮しておきます」  めげずに、カウンターで食事をしている素朴な感じの20代半ばの2人。 「声掛けていいですか」  アプローチの仕方を変えてみたら、これが失敗。 「もう声掛けてんじゃん!」と突っ込まれ、「無理だから!」と一蹴された。  これで店内にいる女子全員に声を掛けたことになる。でもワインの2人組はまだ楽しそうに女子会の真っ最中。待つしかない。  すると奥から現れた背の高いスーツ姿の男性が、最後に声を掛けた素朴女子たちにアタック。楽しそうに話が進み、素朴女子2人が席を移動して合流してしまった。完敗である。  彼らのあとを追うと、すでに若い男性3人と素朴女子2人が合コン状態になっていた。楽しそうな席に割り込んで取材しにきたことを告白。男子3人は金融関係企業の入社1年目の23歳。男子3人のリーダー格は「一番女子受けするコイツを派遣した。正解だった」。  女子2人は出会いを求めて時々コリドー街にやってくるという。来れば必ず複数の男性に声を掛けられるので、焦らずに好みの男子が現れるまで待つそうだ。でも、恋に発展したことはまだないらしい。男子3人は先輩たちから「コリドー街はいい」と聞いて同期3人で初参戦したという。  話を聞いて席に戻ると、まだワイン女子はお話し中。さすがにしびれを切らせて、「そろそろ合流してくれませんか」と催促。「あ、ごめんなさい」と2人はすぐにやってきて、やっと乾杯にたどりついた。  元同僚の2人は、この日、1年ぶりに会う約束をして近況を話し合っていたという。眼鏡の女性・ユカリさんは独立して自動車関係の会社を設立。友人のサチコさんは転職したばかり。2人とも、コリドー街が“聖地”だとは知らなかった。聞き上手の菊地記者のおかげで約40分のトークタイムを2人とも楽しんでくれたようだ。とはいえ、再会の約束はできずにお開き。  すでに23時近い。終電も近いのに、人だかりは増すばかり。そこらじゅうで“声掛け活動”が繰り広げられている。ガードレールに腰かけて、ナンパ待ちポーズの女子には、次々と男たちが寄ってくる。  我々も声掛け再開。すれ違う女子2人組に次々と声を掛けた。合計9組。返事さえしてくれない女子が4組。小さな声で「ごめんなさい」と拒否した女子が2組。歩きながら話を聞いてくれただけが1組、「圏外!」と冷たく言い放ったのが1組、立ち話にまで発展したのは「ナンパ待ちだよ」と言う20代2人。「高身長高収入男子狙い」「私は社長狙い」とかなり高望みだが、社長狙いの女子はLINEのIDを交換してくれた。翌日メッセージを送ってみたが、既読無視。  15戦14敗。断られ続けてわかったのは、コリドー街に出会いを求めて来た女子にとって50代男子は用ナシ。相手にもしてくれない。しかし、普通に飲みに来た女子ならば、運がよければ一緒にお話くらいはできる可能性もある。同輩諸君、試してみたらいかがか?(本誌・鈴木裕也) ※週刊朝日2018年12月7日号
週刊朝日 2018/12/04 16:00
47歳のデリヘル嬢、キャリアウーマンからマイルド貧困に転落した軌跡
47歳のデリヘル嬢、キャリアウーマンからマイルド貧困に転落した軌跡
※写真はイメージ キャリアウーマンからデリヘル嬢になった櫻子さん(仮名) Photo by Naoki Nemoto 彼女の“職場”は池袋のホテル街だ Photo by N.N.  格差や貧困問題の是正が放置されているうちに、「アンダークラス」が900万人を突破、日本は「階級社会」への道を突き進んでいる。中でも「中間階級」が崩壊、新たな貧困層が生まれてきた。それは、どん底一歩手前の「マイルド貧困」とも呼べる新たな階級だ。そこで本記事では、キャリアウーマンから風俗嬢へと転落し、マイルド貧困に陥った女性の軌跡を追った。(ライター 根本直樹) ●夫の急死、義母の介護で人生が一変  ふんわりとした栗色のパーマヘアに上品な顔立ち。一見セレブな奥様風だが、彼女の職業は「デリヘル嬢」。なかなかの売れっ子だ。  櫻子(仮名・47歳)は現在、埼玉県のベッドタウンにある築二十数年の一軒家に義母(79歳)と2人で暮らしている。今から5年前に飲食店を経営していた夫が心筋梗塞で急死すると、彼女の人生は一変した。  それまでは、宝飾品販売会社の営業課長というキャリアウーマンだったのだが、今度は同居の義母が認知症になってしまったのだ。カルピスサワーを飲みながら、ほろ酔い気分の櫻子は饒舌に語り始めた。 「主人が経営していたレストランは全然ダメ。赤字続きでそろそろ閉めようかと考えていたとき、急死しちゃったの。その整理が大変だったんです。従業員への補償とか、店舗の原状回復とかいろいろ。それで死亡保険金はほとんど消えちゃった。そのあとは、助けてくれる子どももいないから、とにかくお義母さんの世話が大変でした。転んでケガをしたり、徘徊したり、1人にしておくと危ないでしょ。だから、泣く泣く会社を辞めることにしたんです」  営業課長時代は年収600万円を稼いでいたが、そこから長年、夫の店の回転資金を補填するなどしていたため、貯金は400万円程度しかなかったという。 「お義母さんなんて見捨てて一人暮らしでもしておけば、こんなに苦労することもなかったのにと考えるときもあります。でも、私、古いところがあって、そういうことはできないんですよね。お義母さんとの仲も悪くはなかったし、一人にはさせられないなぁって」 ●熟女パブから熟女デリヘルへ 週3勤務で月収50万円  夫が亡くなった当初は、蓄えと義母の年金などで何とか暮らしていたが、自宅の風呂をバリアフリー化するなど介護関連費用がかさみ、次第に経済状況が悪化。今から2年半前、櫻子は夜の仕事を始めた。 「自宅のある駅から近い大宮の熟女パブで、ホステスのアルバイトをはじめたんです。長いこと営業の仕事をしていたので、接客の仕事自体は特に苦もなくこなすことができました。でもね、お義母さんに夜ご飯を食べさせてから出勤するんだけど、とにかくその後が心配なのよ。昼はデイサービスもあるけど夜は1人きりでしょ。あるとき私が仕事中、部屋の中で転んで足首を骨折しちゃったの。それでもう夜の仕事はダメかなって。時給も1500円程度で安かったから、昼の仕事を探すことにしたんです」  半年ほどでパブをやめた櫻子は思い切った決断をする。 「もう風俗しかないかなって。働く時間の融通も効くし、短時間でけっこう稼げるでしょ。お義母さんの介護もできて、ある程度のお金も稼げるはず。そう思ってこの世界に飛び込んだんですが、もう2年も経つんですね」  現在、櫻子はデリヘルの聖地、東京池袋にある熟女専門店で“人気嬢”となっている。日中のみの週2~3回勤務で、平均月収は50万円ほど。1日当たりの売り上げでは店のトップクラスだという。  同店のオーナーに彼女について尋ねると、「清楚な雰囲気なのに体はむっちり。熟女店では一番人気が出るタイプですよ。彼女の場合、ほぼリピーターの指名客だから、指名料もつくし、待ち時間のロスもない。もっと出勤してくれたらうちとしては嬉しいんだけどね」  こうして櫻子の収入は安定したが、彼女はいまも「不安でいっぱい」だと語る。 「介護っていつまで続くかわからないから、精神的にすごくまいっちゃうのよね。夜中にお義母さんのオムツを替えているとき、ふっと絶望的な気持ちに襲われたりするの。今はまだ要介護2だけど、この先もっと重くなれば、自宅での介護にも限界がくるでしょ」  そしてこう続ける。 「だから今は、施設入居用の費用を懸命に貯めているところ。最低でもあと3年はこのお仕事を続けたいけど、その頃はもう50歳。無事にお義母さんを施設に入れることができたとしても、今度は私自身の老後が不安よ。将来のことを考えると、暗くなっちゃうわよね」 ●常連客から求婚され揺れ動く心  義母の介護をしながら、その合間にデリヘル嬢として働く生活には慣れたが、ふとしたときにこみ上げてくる“寂しさ”が辛いと彼女は語る。 「ずっと介護と仕事ばかりで、生活に潤いみたいなものが全然ないんですよ。もうおばさんだけど、1人の人間としても、女としても、まだまだ人生をあきらめきれないのが辛い。ほんの少しだけでいいから、もう1度だけ幸せな生活が送りたい。このまま朽ち果てていくのが怖いんです」  最近、そんな櫻子の心を揺り動かす出来事があった。 「常連のお客さんで、たまに外で食事することもあるお客さんから、“一緒にならないか”って言われたんです。もう還暦を過ぎた小太りのおじさんで、デザイン関係の会社の社長さん。外見は好みじゃないけど、すごく優しいのよね。だから今、どうしようかと悩んでいるところ。やっぱりこの先のことを考えたら、一人じゃ辛いなあと思って」  さまざまな思いを胸に、今も彼女は、義母の介護と風俗の仕事をこなす日々を送っている。
ダイヤモンド・オンライン 2018/12/03 18:35
老後の幸せは「家事」にあり? おちぶれ老人にならないために!
老後の幸せは「家事」にあり? おちぶれ老人にならないために!
大江英樹さん(本人提供) 黒岩典子さん(撮影/写真部・片山菜緒子) 「零落れる」と書いて「おちぶれる」と読む。老後、貯金もゼロ、用事もゼロ、やる気もゼロ……と、すべてが「零」に急落しないようにするためには、どうしたらいいのだろうか。有識者・先達のアドバイスを紹介する。  大江英樹さん(66)は、大手証券会社を定年退職後、経済コラムニストに転身。書籍執筆や講演会等で慌ただしい日々を送っている。 「私の場合、定年前に大がかりな準備はしていないんです。ただ、定年前後に意識的に行ったことはあります。それは『会社以外の友人』を増やすことです」  会社の仕事上のつながりは、あくまでも自分が「社員」でいる間のつながりかもしれない。そこで大江さんはさまざまな場所へ出かけていった。フランス語の勉強を始めたり、ジャズのアルトサックスを習い始めたり。そしてそういう場で親しくなった人たちとのつながりが、実際にいまの仕事に役立っているという。 「定年退職後に自分の事務所を立ち上げたとき、まず私に経済セミナーの依頼をしてくれたのは結局、会社以外の場所(個人投資家の集い)で知り合った方でした。いくら『元・○○勤務』といっても『元』はあくまで『元』なのです。今日に至るまで、現役時代に仕事でつながっていた方々とは新しい仕事のご縁はまったくありません(笑)。世の中ってわかりやすく、シビアにできているんですよ」  できれば50代に入った時点で、自分の人間関係は外に広げていくようにしたほうがいいと大江さんは語る。そして50歳過ぎたらいつまでも出世に固執しないこと。もうあきらめなさい、そんなこと。 「役員になったらエライんですか。社長になったらエライんですか。役員になっても、その後の人生がみじめな人を私はいくらでも見てきました。私は50代向けのセミナーでいつも言うんです。『早く成仏しなさいよ』って。ここで気持ちを切り替えて、セカンドライフを充実させたほうがはるかに幸せです」  そして家事のできない方々よ。定年後を豊かにするには、まず家事がひと通りできるようになることだ。 「配偶者に寄りかかって生きないこと。これは老後の人生の、幸せの基本です」  黒岩典子さん(58)は50代前半で勤め先をやめ、製菓学校に2年通ったあと和菓子店をオープンした。前職はなんとアメリカの有名化粧品ブランドのPRマネージャーだ。黒岩さんは49歳のときに、夫を白血病で亡くした。 「その後、夫がいなくなってしまったショックと仕事のストレスはたまっていく一方でした。体は低体温、頭は円形脱毛症になり、自分は一体どうなっていくのだろうと不安だらけ。これからはたった一人で生きていかなくてはならないのに」  そこで黒岩さんは52歳で会社をやめる決心をする。 「今までの仕事とはまったく別のことをしようと思いました。そして少ない選択肢の中から、“昔から好きだったこと”=お菓子づくりを選んだのです」  退社後、黒岩さんはマクロビオティックの勉強を始め、53歳からは2年間、昼間は都内の和菓子店でアルバイト、夜は製菓学校に通った。  そして自分の和菓子店の場所探しを始めたのは55歳のときだ。自転車でさまざまな場所を巡り、ようやく現在の物件にめぐりあった。 「和菓子屋を営むには中を改装しないといけなかったので、結構かかりました。予算は650万円だったのですが、ちょっとオーバーしてしまいました」  店は56歳のときにオープン。血糖値を上げないように、砂糖を使わずアガベシロップで和菓子を作る。また卵、乳製品、小麦粉、添加物は一切不使用。いまや黒岩さんの店には、全国からオーダーが入る。 「私の場合、会社員時代に貯金をしていたこと、また夫の死後、兄に株式の運用を習ったことがかなり助けになりました。第二の人生でやりたいことを始めるには、やはりある程度の資金を貯めておかないと、行動を起こしづらいと思います。50歳を過ぎてビジネスを始めるということは、確かに勇気がいることです。でも人生の後半戦こそ充実しなければ、生きてきた甲斐がないと思います」  ときどき、黒岩さんは夫の言葉を思い出す。 「車を運転するとき、私は近道を見つけては喜ぶタイプでした。でも夫はいつも『そんな数分早く目的地に着いたからって何になるの。もっとマイペースに行こうよ』と。その言葉を思い出しながら、ひとのために何かできればいいなと思っています。せかせかせずに、心おだやかに」  慶応義塾大学大学院教授で、日本における「幸福学」研究の第一人者である前野隆司さんによると、高齢になっても幸せになれる人はやはり「利他的」で社会貢献に生きている人だという。 「第二の人生は利他的に生きるか、利己的に生きるかで幸せ度は全然違います。しかし普段、会社という組織の中で働いていると、どうしても外とのつながりを作る力が弱まってしまう。でも定年後いきなり地域社会にとけこむのは、とても難しいことです。できれば50代のうちから地域活動やボランティア活動などを始めたほうがいいと思います」  そしてマウンティング合戦の癖を早々にやめること。 「ビジネスの場では勝ち負けがありますが、ひとの幸せに『勝ち』『負け』なんてないのですから」  結局定年前にすべきことは、勤め人の根底にある意識の改革なのかもしれない。(赤根千鶴子) ※週刊朝日  2018年12月7日号より抜粋
シニア
週刊朝日 2018/12/02 07:00
日航再建にも貢献 稲盛和夫氏が経営で「コンパ」を大切にしたワケ
日航再建にも貢献 稲盛和夫氏が経営で「コンパ」を大切にしたワケ
京都市内にある京セラの本社には100畳の和室があり、夜な夜な社員たちがコンパを開いている(撮影/滝沢美穂子) 1985年ぐらいの京セラのコンパ風景。当時社長だった稲盛和夫氏(中央)を囲んで若手社員が身を乗り出しながら語り合っていた(写真:京セラ提供)  飲み会の効果をいち早く経営に生かしたのが、京セラの稲盛和夫名誉会長だ。日本を代表する名経営者が重視した「コンパ」について元側近が語った。 *  *  *  京セラやKDDIを創業し、困難と言われた日本航空の再建をわずか2年で軌道に乗せた日本屈指の経営者、稲盛和夫・京セラ名誉会長(86)。稲盛氏に師事する経営者は多く、稲盛経営を学ぶ「盛和塾」には1万3千人を超える経営者が参加する。  稲盛経営の柱はフィロソフィ(経営哲学)とアメーバ経営(管理会計)。だがもう一つ、これがなければ稲盛経営は成り立たないと言われるのが、実は「コンパ」だ。稲盛氏はかつてこう語っている。 「会社を経営するうえで、心の通じ合う関係を大切にしてきました。こうした人間関係を築くために、コンパと称する飲み会を京セラでは盛んにやってきました。上司と部下でも、信頼関係があれば、言いたいことをはっきり言えますからね。人との絆を強めるには、お互いを知り合うことがスタートです」(週刊朝日2013年11月8日号)  コンパといえば、学生や若者が使う「新歓コンパ」や「追いコン」(追い出しコンパ)などのイメージがある。稲盛経営哲学の重厚なイメージに対して似つかわしくないような気もするが、稲盛さんが大切にしてきたコンパは単なる親睦のための飲み会ではない。経営陣から新入社員まで胸襟を開いて本音で語り合い、みんなで目指すベクトルを合わせていく場なのだ。  京都市内にある京セラの本社ビルには、社員同士が飲み会を開く100畳敷きの大広間がある。稲盛イズムを具現化した空間だ。  稲盛氏は「コンパ」にどう向き合ってきたのか。1991年に稲盛さんの秘書になり、約25年間すぐ近くで仕事をしてきた京セラ元常務の大田嘉仁さん(64)はこんなエピソードを教えてくれた。  あるとき、やや業績の悪い部署でコンパを開いたときのことだ。稲盛さんも参加し、席を回ってビールをついでいた。社員一人ひとりから本音を聞き出し、「お前にはこういう役割がある」と励ましていくうち、参加者の熱気は高まり、大盛会となった。  お開きになって帰る途中、大田さんが「今日は盛り上がりましたね」と言うと、稲盛さんは「俺はしんどかった」と一言。 「一般的な飲み会といえば、下の人間が気を使うものですが、リーダーである稲盛さんが一番気を使うんです。社外でもそう。盛和塾の世界大会で参加人数が1千人ぐらいのときでも、稲盛さんはボランティアなのに各テーブルを回って酒を酌み交わしていました」  日本航空の再建の過程でも、コンパは頻繁に開かれた。ただ、当初は日航側に抵抗感もあったという。大田さんはこう振り返る。 「最初の頃は『コンパは勘弁してほしい。社員が一生懸命仕事をしているのに社内でお酒を飲んでいると士気にかかわる』と言ってきた人もいたんです」  再建でまず初めに取り組んだのが経営幹部へのリーダー教育。稲盛さんの講義の後には毎回コンパもセッティングされた。  もちろん京セラのようなコンパ用の部屋などない。会費1500円を徴収し、会議室のテーブルに缶ビールやスーパーで買ってきた寿司、柿の種やするめを並べて開会だ。最初の頃はぎくしゃくして盛り上がらなかったが、会を重ねるうちに打ち解けて本音の議論が始まった。その後、コンパの輪は会社全体に広がり、非正規雇用社員も含めた全社員が受講した「JALフィロソフィ教育」を行い、幹部も整備スタッフもキャビンアテンダントも、みんなが輪になって酒を酌み交わした。 「フィロソフィ教育で学び、コンパで本音で話す。それを繰り返す中で、全社員が一体感を高めていけたのだと思います」(大田さん)  大田さんはその過程を著書『JALの奇跡』にまとめた。  京セラ広報によると、コンパは部署ごとに定期的に開かれるもののほか、研修後やプロジェクトのスタート、目標達成祝いなど頻繁に開かれるという。コンパの開催が決まると、幹事は社員食堂に料理やお酒を注文。献立は鍋料理が多い。稲盛氏はこう語っている。 「座敷で車座になって鍋をつつきながら酒を飲むという感じです。ビールでも飲んで、『オイ、○○君』と話しかけると、相手は『オレの名前を覚えてくれている』と急に親しみが増します。締めの雑炊は私がよく作ります。鍋のダシがおいしいので、塩と味の素で少しだけ味付けします。入れる順番が大事で、誰かが間違えようものなら、叱りますよ」(前出の週刊朝日)  会費は鍋なら1人3千~4千円ほど。役職や年齢などで傾斜配分し、給料から天引きされる。  同社東京広報課責任者の杉内伸路さん(47)は、8年前に中途採用で入社し、コンパ文化に驚いたという。 「どんちゃん騒ぎや愚痴をこぼすのではなく、熱っぽく語り合う。部署や世代を超えて交流するので『君も同じ悩みを持っているのか』と共感し、自分も頑張ろうと思えたこともありました」  稲盛経営を研究する青山敦・立命館大学大学院教授は言う。 「従業員が命令の通りに動く、給料に比例して頑張るのならコンパは必要ないでしょう。稲盛名誉会長には、人の心の弱さへの洞察があると思います。だからこそ、役職や組織の壁を越えて一人ひとりの従業員に自分の考えを伝え、何を考えて仕事をしているかを聞き、本音で議論できるコンパを大切な機会としています。コンパを繰り返すことで心を一つにしようとしているのです」 (編集部・深澤友紀) ※AERA 2018年12月3日号
働き方
AERA 2018/11/29 07:00
ゴーン追放の背景は? 鍵を握る“イエスマンたち”の存在
亀井洋志 亀井洋志
ゴーン追放の背景は? 鍵を握る“イエスマンたち”の存在
日産自動車の株主総会で話すカルロス・ゴーン会長(当時)=6月、同社提供 カルロス・ゴーン氏を巡る主な疑惑(週刊朝日 2018年12月7日号より) カルロス・ゴーン氏の語録(週刊朝日 2018年12月7日号より) 日産自動車の従業員の状況(週刊朝日 2018年12月7日号より) ルノー・日産自動車・三菱自動車の関係(週刊朝日 2018年12月7日号より)  日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が逮捕された。自分の報酬を少なく装い、会社を長年私物化していたとされる。それを許してきた日本人のイエスマンたちが、今回は周到な準備で事実上の“クーデター”を成し遂げ、スピード解任。逮捕をひそかに待ち望んでいた人たちとは……。 「海外では数十億円の役員報酬は珍しくありません。ゴーン前会長は『日本企業の役員報酬はライバルより少なすぎる』と繰り返し訴えていました。仕事が大好きで、自分の評価のモノサシとしてお金にこだわった。でも、虚偽記載は投資家らをあざむく犯罪。私的な費用を会社につけ回すのも、特別背任や横領の罪になる可能性があります」(ゴーン前会長を知る全国紙記者)  11月19日午後4時35分ごろ、機体記号「N155AN」のビジネスジェット機が羽田空港に着陸した。遠くから見ると「NISSAN」の文字にも見えるこの機体に、ゴーン前会長が乗っていた。東京地検特捜部はすぐに任意同行を求め、横浜市の日産本社や都内の自宅マンションなどに捜索に入った。  逮捕の容疑は金融商品取引法違反。2010~14年度の5年間に役員報酬が計約100億円だったにもかかわらず、計約50億円に見せかけていた。上場企業が毎年提出しなければいけない「有価証券報告書」に、うその記載をした罪(10年以下の懲役か1千万円以下の罰金)に問われた。  虚偽記載はゴーン前会長が、側近のグレッグ・ケリー前代表取締役にメールなどで指示したとみられる。ケリー前代表取締役は実際の対応を部下に命じていたとして、ゴーン前会長とともに逮捕された。  19日午後10時過ぎに本社で緊急会見した西川広人(さいかわひろと)社長は、会長に権力が集中していたことを批判し、虚偽記載以外にも資金の私的流用など重大な不正行為があったことを明らかにした。  会社側は具体的な内容を公表していないが、複数の疑惑が浮上。私的な費用を会社側に負担させていたとみられる。  ゴーン前会長は、仏自動車大手ルノーから1999年に日産に乗り込んできた。“コストカッター”として合理化を進め、これまでにグループで4万人を超える人員を削減。いまや日産グループの従業員は、国内より海外のほうが多い。  経営危機を救ったカリスマの信頼は、今回の事件で一気に失墜した。日産は22日夜の臨時取締役会で、会長の役職解任を全会一致で決めた。20年近く経営トップとして君臨してきたが、最後の日は東京拘置所で迎えた。数々の「語録」があるが、今の心境は言葉では表しにくいだろう。  会社を私物化したトップの責任を追及するのは当然だが、今回の事件の背景は単純ではない。日産は経営危機を乗り切るためルノーから資金を得たが、43.4%の株式を握られてしまう。日産は自動車会社の中でも異例に高い配当金を出し、ルノーに“上納”してきた。その額は今年度分を含め1兆円近くに達する。  自動車の販売台数を見てもわかるように、ルノーが企業規模でより大きい日産を支配する関係が続いてきた。さらに仏政府はルノーを通じて日産への影響力拡大を狙っていたとされ、ルノーと日産の「合併」も取りざたされていた。 「このままでは完全に乗っ取られると危機感を強めたのが、日産の一部の経営陣です。ゴーン前会長は当初は合併に反対だったが、仏政府の圧力もあって賛成に変わったとみられていました」(前出の記者)  つまり今回の事件は、一部の経営陣の“クーデター”の側面があるのだ。実際、西川社長は会見でこう認めた。 「本件は内部の通報があり、社内調査の結果、ゴーン氏らの複数の不正が確認された。事案の内容を会社から検察当局に説明し、捜査に協力してきた」  いつから社内調査を始めたのかは定かではないが、動き出したのは今春ごろとみられる。西川社長を含め数人の幹部だけで情報を共有し、検察側に提供した。特捜部はひそかに内偵を進め、10月には応援も呼んで捜査を本格化させた。捜査に協力する見返りに刑事処分を軽くする「司法取引」も用いて、証言も引き出した。  西川社長ら幹部はXデーに備えて、会長の行動予定などを教えるとともに、“追放”の実現に備えた。逮捕は大半の社員にとって寝耳に水だったが、西川社長らにとっては、数カ月にわたる隠密作業が報われた瞬間だった。  西川社長は周りからイエスマンと見られており、17年4月に社長を引き継いだのもゴーン前会長の信頼が厚いからだった。その変心ぶりに、仏メディアでは古代ローマでカエサルを裏切った「ブルータス」になぞらえる記事も出た。  西川社長以外の役員らも、前会長を最後まで守ろうとする人はいなかった。05~13年に最高執行責任者(COO)としてゴーン体制を支えた志賀俊之・元副会長も、解任に賛成している。(本誌・浅井秀樹、亀井洋志、多田敏男) ※週刊朝日  2018年12月7日号より抜粋
週刊朝日 2018/11/28 06:30
「世界のナベサダ」はコンプレックスと憧れから始まった
「世界のナベサダ」はコンプレックスと憧れから始まった
わたなべ・さだお 1933年、栃木県生まれ。秋吉敏子のコージー・カルテットをはじめ、数多くのバンドに参加。バークリー音楽院への留学を経て、日本を代表するトップミュージシャンに。ジャズの枠にはまらない独自のスタイルで世界を魅了。今年10月にはアルバム「Re-Bop The Night」と「LOVE SONGS」を2枚同時発売した。12月にはライブ「SADAO WATANABE with strings Christmas Dreams」が、兵庫県立芸術文化センターや大阪市中央公会堂、札幌文化芸術劇場など全国6カ所で開催される(撮影/横関一浩) 撮影/横関一浩  もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。昭和から平成と時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回はミュージシャンの渡辺貞夫さんです。転機は米国留学時代。耳がオープンになり、音楽の幅を広げるきっかけになったといいます。 *  *  *  僕の人生はね、ほとんど憧れとコンプレックスから始まりました。ずっといい音楽とリズムを求めてきました。  10代でジャズを知りましたが、上京後のあの時代、ジャズ音楽を聴くにはLPレコードぐらいしかなかった。もちろん高くて自分では買えなかったので、有楽町にあったジャズ喫茶「コーヒーコンボ」に通い詰めた。毎日、仕事の前に寄って、帰りにまた寄って、そして仲間とセッションをする。  妻ともコーヒーコンボで出会いました。よく、僕と結婚してくれたと思います。当時、バンドを組んで音楽を仕事にするのは「楽隊」というイメージです。妻に結婚してくれた理由を尋ねたら、「本当に音楽が好きで、よく練習していたから」と。  当時の僕は音楽の理論を習ったこともなければ、譜面の読み方も知らなかった。朝から晩までとにかく練習するしかなかったんです。 ■2年間だけ好きにやらせて ――12歳のとき、故郷の宇都宮市で終戦を迎えた。戦車を先頭に行進する米軍兵の姿を目の当たりにして、軍国少年はすっかり圧倒された。  戦時中、学校でやっていたのは軍事教練です。終戦間際の入学試験の問題は「特攻精神とは何か」でした。海外の音楽を聴くどころか、外国人を見たこともありませんでした。  それが終戦後、実際に目にした、ゲートルを巻いたGI(米国軍人)がかっこよくて。ラジオからは米軍放送が流れてきて、ポップミュージックはもちろん、美しいハワイアン、踊りだしたくなるようなラテンミュージック……。明るいリズミックな音楽を聴きたくて、毎日ラジオにかじりついていました。  15歳のとき、親にねだって、初めて楽器を手にしました。3千円の中古のクラリネットでした。といっても、ボディーはドイツのベークライト(樹脂)製で、ベルの部分はアメリカのエルクハート製、マウスピースは日本製っていう、まあ、寄せ集めでしたが(笑)。  買ったはいいけど、吹き方もわからない。駄菓子屋のおじさんが昔、無声映画の映画館でクラリネットを吹いていたと父から教わり、店先で3日間、1回10円で指の使い方や音階を教えてもらいました。楽譜も読めないから、ひたすら耳で覚えて練習。映画館のおじさんがタンゴバンドのリーダーをしていて使ってもらえることになり、週末には米軍に接収されていた日光のホテルにも行きました。一晩で300円もらえました。 ――高校を卒業後、上京。昼間は銀座のダンスホールで、夜はキャバレーで演奏する毎日だった。  高校時代は、まさかプロのミュージシャンになるなんて思ってもいませんでした。父親の本職は琵琶師でしたが、電気修理業で生計を立てていました。いずれ自分も電気修理を継ぐだろうからと工業高校に進みました。でも音楽に夢中で。それで、高校卒業後、親に「2年間だけ、好きにやらせてほしい」と頼み込んだのです。  東京での生活は、昼夜の給料を合わせると、月給は1万7千円にもなった。高卒の初任給が7千円くらいでしたね。持っていた楽器を下取りに出して、4万円の米国製のサックスを買ったところ、警察が怪しんで自宅まで来たんです。「どうしたんだ」と。それくらい、未成年ながら、ちゃんと稼いでいました。  いつも帰りは深夜。タクシー代がもったいないから、六本木の仕事場から世田谷区三宿のアパートまで歩きました。渋谷の道玄坂を上がったところに「フォリナーズ」という外国人クラブがあって、日本のトップミュージシャンのたまり場になっていたんです。テナー・サックスの松本英彦さんやドラムの清水閏さんなどが、夜な夜なジャムセッションを繰り広げていました。  中と外を隔てているのは、窓ガラス一枚。いつも外に立って、先輩たちのサウンドに浸っていました。でもあるとき、よく知っている曲が始まったんです。いてもたってもいられなくて、楽器を吹きながら中へ飛び込んじゃった。  びっくりされましたけど、すごく褒めてもらえて、歓迎された。そのあと近くの中華料理屋でチャーハンおごってもらったっけ。おいしかったなぁ。そこで榎本兼保さんというベーシストのバンドに入れてもらって、厚木や立川の米軍キャンプをまわり、箱根の富士屋ホテルに1年ほど仕事で滞在したりもしました。 ――転機は29歳のとき。日本のトップピアニスト秋吉敏子の勧めで、米国留学のチャンスをつかんだ。  秋吉敏子さんと出会って、1953年には秋吉さん率いるコージー・カルテットに参加。そのうち、秋吉さんがボストンのバークリー音楽院(アメリカ・マサチューセッツ州)に留学することになったんです。僕は彼女のあとを継いでバンドリーダーになったんですが、それが経済的に厳しくてね。何とか食いつないでいたところへ、彼女が日本へ凱旋公演に来て「私がフルスカラシップ(全額奨学金)をとりつけてあげるから、あなたも留学なさい」と。  うれしい一方、迷いましたね。僕はそのときすでに結婚していて、子どももいた。それで妻に相談したんですよ。そうしたら彼女「あら、ゴキゲンじゃない! 行っといで行っといで!」ってね。妻はきっぷがよくて、僕が持っていない気質をすべて持っている女性でした。 ■耳がオープンに 心が開かれた ――アメリカでは、文字通り音楽漬けの毎日となった。入学後は、昼は理論の勉強や学友たちとのセッション。夜は恩師、ハーブ・ポメロイとバンドを組んでジャズ・クラブでの演奏に明け暮れた。今ではブラジルやアフリカの音楽も積極的に取り入れることでも知られる渡辺貞夫だが、その音楽の幅を広げるきっかけの一つは米国留学だった。  4年間ボストンにいるつもりが、途中でニューヨークでの仕事が始まりました。ニューヨークにいるミュージシャンから、サックスとフルートのできるやつを探していると恩師のところへ打診があって、僕が推薦されたんです。  そこで出会ったのが、ビブラフォン奏者のゲイリー・マクファーランド、同じバンドにいたギタリストのガボール・サボでした。  ブラジル音楽を最初に聴いたときは「ダルな(dull:鈍い)音楽だな」とピンとこなかったのですが、ゲイリーの「ソフトサンバ」というアルバムがヒットして、ウェストコーストを10週間のツアーで一緒にまわるうちに、「ブラジルのリズムやテイストも面白い」と感じ始めたんです。それで、耳がオープンになったというか。それまで僕はジャズ以外の音楽に耳をふさいでいるようなところがあったんですね。留学前の7年間、日本フィルハーモニー交響楽団の創立時のメンバーで首席奏者だった、フルートの林リリ子先生の元でクラシックを学んだことも大きかった。  少しずつ、いろんな音楽へと心が開かれていきました。ジャズも、僕が日本で追い求めていた演奏スタイルとは違う。のびのびと、心底演奏が楽しい。音楽の聴き方も、感性の幅が広がりました。  でもね、渡米から3年半後、ニューヨークのイーストコーストで大停電が起きた。ブラックアウトですね。そのときは家族を日本に帰していたものだから、ホームシックで急に日本に帰りたくなってしまった。 ■再来年分まで予定が決まってる ――多くの仲間たちから引き留められながらも65年に帰国。だが、オープンになった耳は閉じることなく、世界の音楽を貪欲に吸収していく。  米国から帰国して2年ほどがたってから、68年にニューポート(アメリカ・ロードアイランド州)のジャズフェスティバルに出演しました。ボサノバ歌手の小野リサさんのお父さんの小野敏郎さんから「その帰りにブラジルに来ませんか」と誘われていたので、そのままブラジル・サンパウロへ。しばらく滞在し、現地のミュージシャンたちと毎日セッションしました。  72年にはテレビ番組の仕事ではじめてケニアを訪問。人間がおおらかで、自然もダイナミックでしたね。さらに、それとは別件で74年に、建国10周年のタンザニアも訪れました。  このときの感動が、2005年の「愛・地球博」で企画した、リズム・歌・踊りの祭典につながりました。ブラジルやポルトガル、アメリカ、セネガルから集まった子どもたちとステージを作り上げました。 ――「世界のナベサダ」と呼ばれる存在になった今でも、自らのジャズを磨き続け、ライブにレコーディングにと精力的な活動を続ける。12月には、「SADAO WATANABE with strings Christmas Dreams」を全国6カ所で開催。東京・オーチャードホールはソールドアウトだ。  もしプロになれなかったら宇都宮に帰って、電気修理店を継ぐ予定でした。それでも音楽は続けていたと思います。  今年も例年通り、12月15日には渋谷のオーチャードホールでクリスマスコンサートを行います。26年目になるこのコンサートは、再来年分まで予定がもう決まっています。  僕はね、仕事で生かされているんです。待っていてくれるお客さんのいる限り、ステージに立ちたい。観客と共有できる時間から元気をもらっています。(聞き手・浅野裕見子) ※週刊朝日  2018年11月30日号
週刊朝日 2018/11/25 11:30
発達障害なのに「愛情不足」の烙印… 子育てに悩んだある主婦が伝えたいこと
発達障害なのに「愛情不足」の烙印… 子育てに悩んだある主婦が伝えたいこと
加藤照美さん(撮影/金城珠代)  発達障害の息子(13)とその傾向がある娘(8)。2人の子育てを経てある主婦がたどり着いたのは、同じ境遇にある親たちが支え会える居場所づくりだった。静岡県に住む加藤照美さん(41)が4年前にフェイスブックで立ち上げた非公開グループ「発達障害の子を持つ親の会~話してみませんか?~」には、いまでは約8000人が集う。今年、コミュニティリーダーを支援するためフェイスブックがトレーニングやサポート、資金提供を行う「フェイスブック コミュニティ リーダーシップ プログラム」で、日本から唯一の受賞者に選ばれた。加藤さんが発信するのは「障害ではなく個性として認めてほしい」という親たちの声だ。 <こんな朝食を作ってみました> <想像の斜め上をいく子どもの言動に笑ってしまった> <診断を聞いて泣いた> <子どもが暴れて家の窓ガラスを割ってしまった>  加藤さんが運営するグループでは、日々の投稿が10件ほど、多い日ではコメントを含めて100件以上のやり取りがされている。書き込まれる内容は子どもの食事や学校選び、友達とのトラブルなど多岐にわたる。春になると卒業や入学の報告も飛び交うという。 「互いに支え合うということをみなさんがやってくださっていて、安全な場所なら吐露したいこと、聞きたいことがたくさんあるんだろうなと思います」 加藤さん一家  そう話す加藤さん自身も子どもたちの個性と向き合い、それに合わせた付き合い方を試行錯誤してきた。子どもが中学生になってから理解できるようになった言動もある。いまでは凸凹のある子との接し方を学ぶペアレント・トレーニングの講座も開く加藤さんも、支えてくれる人も無く、情報さえ遮断し「子育ては苦行だ」と思っていた時期があったという。  最初に"違和感"を持ったのは、上の子を出産してから2、3日目だった。産院の部屋で休んでいても「赤ちゃんが泣いているので授乳に来てください」と呼ばれる回数が明らかに他の子より多かった。自宅に戻っても授乳間隔が1時間も空かず、グズグズと泣き続ける状態が1歳ごろまで続いた。地域の子どもたちが集まる支援センターや育児サークルに行っても、息子だけ円陣の中心にいたり、癇癪を起こして泣き止まなくなったり……。居づらさと行き帰りの大変さから足が遠のいた。  離乳食もほとんど口にせず、幼児食になっても極端に偏食だった。家で口にするのはフライドポテトとうどん、唐揚げ、人参とブロッコリーだけ。手作りの野菜のポタージュやふりかけは好んで食べてくれることもあったが、何度も食事を床に投げ付けられ、泣き崩れたこともあった。  子育ての専門家から「少し距離を取ってみたら」とアドバイスを受け、保育園に通わせてパートで働き始めたが2歳のころ。でも生活は好転しなかった。息子は夕方に迎えてから2時間は泣き続け、寝かしつけにも2時間かかり、夜中も2~3時間おきに起きて泣き叫んだ。これ以上何ができるのかわからず、臨床心理士に相談したのが3歳のころだった。 「とにかく、どうすれば彼に通じるように話ができるか、どうすれば生活をスムーズにできるかを知りたくて、『このままだと虐待してしまいそう。発達障害ではないですか?』と聞いたんです。でも専門家の間でもまだその言葉を知らない人もいる時期で、『愛情を注いでください』と言われました。絶望しました」  専門家の"診断"は「愛情不足」。発達障害は否定されたのだからと、関連する情報を遮断し、みんなと同じことができるはずだと息子を責め、自分自身も責めた。親子ともにつらい時期だった。 加藤さんと長男。「この時期のことは、数年経った後に息子に謝りました。しんどいことは今もありますが、理解できることが増えています」と話す  それを抜け出せたのは、理解してくれる人の存在があったからだ。小学校に入って、教師やスクールカウンセラーが理解してくれ、仕事で寝に帰るだけだった夫も転職し、子育てに協力してくれるようになった。小学1年の冬に改めてADHD(注意欠陥・多動性障害)とアスペルガーという診断を受け、夫婦でペアレント・トレーニングを受けた。そこで出会った親同士で話していると愚痴で終わらず、前向きな気持になれた。  友人づてで、子育てに困っている地域の人の相談を受けたことをきっかけに、困っている人もはもっといるかもしれないとフェイスブックで「発達障害の子を持つ親の会」、地域で「道しるべの会」を立ち上げた。  ここ数年で発達障害について、知られるようになった。しかし、差別を感じることもまだまだあるという。 「子どもたちを見ていると、小学校低学年ぐらいまでは凸凹のある子に対しても『あの子はいつもそうだよ』と当たり前のように受け入れています。それが大きくなると大人たちの偏見によって、差別する子が出てきたりするんです。"障害"というと重く受け止めたり、手伝ってあげなきゃと考えたりすることもあると思いますが、個性として認識してほしいなと思っています。  誰しも新しい職場で緊張して、慣れるまで時間がかかりますが、それが人より長かったり、丁寧な説明が必要だったりするので、それによって困るシーンが出てくるだけなんです」 「道しるべの会」で定期的に開催しているお茶会で(※写真の一部を加工しています)  凸凹ある子たちがいやすいように環境を整えていことは、実は多くのメリットがあると加藤さんは言う。  例えば、ある公立小学校では、黒板の脇にある時間割や掲示物を、授業中だけカーテンで隠すようにしたところ、クラスみんなが授業に集中できるようになった。加藤さんの息子が通った学校でも、教師が授業中に机の上をプロジェクターで映し、教科書のページやノートの起き方などを目で見てわかるようにしたら、座って授業を受けられるようになり、減らしていた宿題も「みんなと同じ量をやる」と言うようになったという。  いままさに子育てに悩んでいる親たちに伝えたいことは? 加藤さんに、そう聞くと「自分ができたことに◯を付ける意識を持ってほしい」と、力を込めた。 「先日もフェイスブックのグループで、スーパーで子どもが騒いでしまって、周囲の人に『静かにさせろ』と怒られたという投稿があり、自分が悪かった、次からできるだけ子どもを連れずに買い物に行こうと思うと書かれていました。私も当時、自分にずっと×を付けていましたし、ペアレント・トレーニングに来る方も自分の失敗やできなかったことをたくさん挙げます。でも1日の中でやれていることもいっぱいあるはず。  ご飯を作りたくないと思ったけど、子どものためと思って作ったり、朝、起きたくなくても、子どもの支度をしなきゃと起きたりする日がありますよね? 自分1人だったらやらなかった、子どものために頑張っていることは、一つひとつに◯を付けていいと思います。それはどの親もみんなそう。そして、子どもの個性も認めてあげられたらいいのかなと私は思います」 (AERA dot.編集部・金城珠代)フェイスブック コミュニティ リーダーシップ プログラムの受賞者は46カ国から115人。先日、アメリカで開かれた研修や交流イベントに参加した加藤さん(後列右から2人目)。「全員が自分の望みを高すぎるほどの位置に置いていて、私も無謀なことを望んでいるような感覚がなくなった」と話す。今後はオンラインでのグループ運営と、地域活動を一つにまとめ、更にニーズに合った活動を提供することを目指して活動するという(提供:フェイスブック ジャパン)
出産と子育て夫婦
dot. 2018/11/23 07:00
ゴーン逮捕は勇み足? 日産のクーデターに加担した東京地検特捜部の受難
ゴーン逮捕は勇み足? 日産のクーデターに加担した東京地検特捜部の受難
カルロス・ゴーン容疑者 (c)朝日新聞社 ゴーン容疑者逮捕後の会見で一度も頭を下げなかった西川広人日産社長(撮影/西岡千史)  “異変”があったのは、今年の初夏だった。  日産自動車(横浜市)は5月18日、「役員人事について」と題したプレスリリースを発表した。その内容は、最高財務責任者(CFO)のジョセフ・ピーター氏が退任し、専務執行役員の軽部博氏が昇格するというものだった。ピーター氏は、兼任していた子会社の日産フィナンシャルサービスの会長も退任した。退社の理由は明らかにされていない。季節外れの人事に、「社内で何かあったのか」と関係者で話題になったという。  それから約半年。衝撃のニュースが日本中を駆け巡った。日産会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が、有価証券報告書に自らの報酬を過小に報告したとして、金融商品取引法の容疑で11月19日に逮捕された。ゴーン容疑者は、日産の子会社を通じて会社の資金を私的に流用し、その額は約50億円にのぼるとされる。    冒頭のピーター氏の辞任とゴーン容疑者の逮捕が、どう関係しているかは不明だ。だが、日産社内では、ピーター氏の辞任の前後から疑惑の社内調査が始まっていた。関係者はこう話す。 「日産の中では、ごく限られた人物が内部告発を把握し、ひそかに調査をはじめた。そこで重大な違法行為がわかった」  金融商品取引法の最高刑は懲役10年。しかし、この逮捕には疑問がのこる。まず、有価証券報告書の虚偽記載はゴーン容疑者の単独で実行できるとは思えない。一緒に逮捕されたグレッグ・ケリー容疑者(62)も日産の代表取締役。有価証券報告書の改ざんには、外国人である2人だけでなく、総務部や財務部など他の社員の協力があったと考えるのが自然だ。  ところが、逮捕されたのは2人だけ。それでも日産の西川広人社長は19日夜の緊急会見で、不正に関する内部調査はすでに終了したと説明した。そのうえで、調査結果を「検察当局のみなさんとシェア」したという。前出の関係者はこう話す。 「検察への情報提供のなかで、日産と東京地検特捜部は司法取引をした」  司法取引──。これが今回の事件を読み解くキーワードである。日本版司法取引は、今年6月に導入された。贈収賄や談合などの経済犯罪のほか、薬物や銃器犯罪などの組織犯罪がおもな対象だ。司法取引が国内で適用されるのは、今回で2例目。司法取引によってゴーン容疑者の逮捕が実現したことから、前向きに評価する声も出ている。  しかし、今回の司法取引の手法は正しかったのか。元東京地検特捜部検事の郷原信郎氏は、こう話す。 「日経新聞によると、『過小』と判断された役員報酬は、株価に連動した報酬40億円を有価証券報告書に記載していなかったとのことです。日産関係者が記載するよう指摘したところ2人は拒否したとのことですが、これが事実だとすると、ゴーン氏とケリー氏の報酬は日産から現金で支払われていたことになる。最終的には会社が組織で不記載にしていたということです。2人の刑事責任が重いのは当然としても、他の日産幹部も刑事責任を問われることは避けられません」  それでも他の日産幹部が逮捕される気配はない。そこには、日産社内外の複雑な政治力学がからみあっているようにみえる。  西川社長は、会見で繰り返し「ルノーのトップが日産のトップを兼任するのは、ガバナンス上問題があった」と説明した。ルノーは、日産の株式の43%を保有していて、日産の経営に強い影響力を持つ。さらに、経営不振が続くルノーは、日産との提携強化を望んでいる。一方、日産の経営陣には、ルノーが送り込んだ外国人の役員が多くいる。この現状について、会見で西川社長は「ゴーン会長に権限が集中していた」と説明。現在の体制を「負の遺産」と表現して、断罪した。  事件発覚後の行動もすみやかだった。ゴーン容疑者の逮捕が明らかになったのは、19日夕。同日22時には西川社長による記者会見が開かれた。翌20日午前には、日産の川口均専務執行役員が首相官邸を訪問。菅義偉官房長官に、騒動を起こしたことを謝罪した。22日には取締役会議が開かれ、ゴーン容疑者とケリー容疑者が解任される見通しだ。  すべてが計算されているかのような展開に、会見でも記者から「クーデターではないか」との質問が出たほどだ。西川社長は即座に否定したが、額面通りに受け止める人はいない。前出の郷原氏は言う。 「問題は、日産社内で通常のガバナンスに基づいてゴーン氏を追い落とすことができないので、特捜部の力を借りてクーデターを起こし、特捜部もそれに加担したように見えることです」  ただ、ゴーン氏を逮捕しても、特捜部が裁判で有罪に持ち込める見通しは立っていない。捜査関係者は言う。 「特捜部は、ゴーン容疑者とケリー容疑者のどちらにも調べができていないようだ。先進国では、取り調べに弁護士が同席するのは当たり前。それができないのは日本ぐらいだ。今後もほとんど取り調べはできないのではないか」  さらに、「人質司法」の問題もある。日本は、外国に比べて身柄拘束の期間が長い。森友問題では、籠池泰典氏と妻の諄子氏が約10カ月にわたって勾留された。外国からは時代遅れの捜査手法として批判されている。特捜部もこのことを認識しているはずだ。ある特捜部OBは「人権問題に敏感なヨーロッパから批判を浴びるような長期勾留はできないだろう」と話す。また、今回の事件は「特別背任罪」での立件も視野に入っているが、海外の子会社を通じて資金が流れており、捜査の難航も予想される。  ゴーン容疑者については、かつて一緒に仕事をした人からすら「金に執着のある人。逮捕はさもありなんだ」と言われるほど、批判も多かった。ヴェルサイユ宮殿での結婚式など、派手な生活についても報じられている。一方、ルノー・日産・三菱自動車という自動車メーカー3社の調整役で、日本とフランスの間で敵が多かったのも事実だ。今回の逮捕によって、ルノーと日産の提携にも影響が出ることは避けられず、事件の背景はさらに複雑なものになっている。  東京地検特捜部は、前例のない「大物外国人の逮捕」と「役員報酬の虚偽記載」という、これまでに通ったことのない“いばらの道”を歩もうとしている。そもそも、ゴーン氏が釈放された後、日本から離れたらどうするのか。公判すら開けない可能性もゼロではない。郷原氏は言う。 「はたして今回の問題に検察が関与したことは正しかったのか。司法取引が活用されたと言われていますが、虚偽記載の事実は客観的に明らかで、司法取引の対象となる『捜査協力』が考えられないので正式の司法取引はできません。日産の経営幹部との間で『ヤミ取引』が行われた可能性があります。22日には取締役会議でゴーン氏の解任が決議されるとのことですが、検察との関係いかんでは特別利害関係人に当たる可能性があり、解任決議に加われないことになります」  特捜部からと思われる情報が次々に報道機関にリークされているが、真相は明らかになっていないことが多い。ゴーン容疑者は、釈放後に何を語るのか。特捜部の行動が“勇み足”だったかどうかは、その時にわかるだろう。(AERA dot.編集部・西岡千史)
dot. 2018/11/21 18:51
田根剛「新国立競技場コンペ、未だに悔しい」と吐露
熊澤志保 熊澤志保
田根剛「新国立競技場コンペ、未だに悔しい」と吐露
AERA 2018年11月19日売り表紙に俳優の建築家・田根剛さんが登場  現在東京オペラシティで個展を開催中の建築家、田根剛さんがAERAに登場。建築の過去と未来について、その想いを聞いた。 *  *  * 「自分のイメージ通りになるかどうかに興味はなくて、最後まで考え続けたい」。  開催中の個展では、オープン直前の深夜まで展示を作り込んだ。  エストニア国立博物館のコンペに優勝したのは、26歳の頃。負の遺産だった軍用滑走路に注目したとき、「建築は場所の記憶を未来につなぐことができる」という、いまのコンセプトが生まれた。  博物館の完成までに10年。完成直後の館長の言葉が忘れられない。 「エストニアには旧ソ連の支配を受け、重く苦しい民族の歴史があった。この博物館ができて、その重荷から解き放たれ、自分たちの未来ができた」  意図して広く設けたパブリックスペースでは、週末ごとに音楽祭やパーティーが行われる。かつてに比べ、エストニアの人々の表情が明るくなったという。 「うれしいな、と。建築は未来をつくることができると改めて実感できたんです」  華やかな経歴だが、素顔は温和な好青年。わかりやすい言葉で話すのは、海外で活動する中で「言葉に苦労してきたから」。仕事は独断専行ではなく、チームプレーがしっくりくるという。  現在、2カ所で開催中の個展は、これまで建築家として考えてきたことの集大成。壁面を埋め尽くすイメージは、その場所で過去に起こったこと、いま起きていることを集めては読み解いた思索の痕跡だ。膨大な情報が、直観的に飛躍するバネになる。  新国立競技場のコンペで最終選考に残り、斬新な発想で注目された「古墳スタジアム」もその賜物だ。高校時代はサッカーに明け暮れ、ユースチームにも所属していた。サッカーの聖地だからこそ、自分で作りたいと情熱をかけて臨んだプロジェクトだけに、落選は「外苑前を通ると、いまだに悔しいんです」と笑った。 (編集部・熊澤志保) ※AERA 2018年11月26日号
AERA 2018/11/20 07:15
「朝立ち」しないはヤバい? 原因不明の体調不良にホルモン補充療法
「朝立ち」しないはヤバい? 原因不明の体調不良にホルモン補充療法
写真はイメージです (c)朝日新聞社 熊本医師が考案した健康調査質問表(週刊朝日2018年11月23日号から)  最近、何となく気分がすぐれないが、原因がよくわからない。高齢になると、言葉で言い表しにくい体調不良に悩む人も多いだろう。「年のせい」と片付けがちだが、原因はもしかすると、男性ホルモン「テストステロン」の減少と関係あるかもしれない。そんな研究や治療が近年進んでいる。  午後になると、体がだるい。仕事への集中力が続かない。夜はよく眠れない。  東京都内の60代会社員男性は数年前、そんな症状に悩まされていた。思い当たる原因がなく悩んでいたところ、知人の言葉から、ホルモンバランスが乱れているのでは、と考えた。  泌尿器科の医院を訪れると、医師が男性ホルモン「テストステロン」の量を測ってくれた。値が低いとわかり、男性ホルモンを月1~2回ほど注射する補充療法を受けるように。2~3カ月経つと数値が上がり、体のだるさなどの症状も改善。仕事にも打ち込める生活へ戻った。  閉経期の40代後半~50代前半に、女性が更年期障害になることはよく知られている。ただ、男性も同様な症状を訴えるケースがある。「男性更年期障害」とも呼ばれるが、50歳前後でなる女性に対し、男性は60代以降を中心に幅広い年代に現れるのが特徴だ。  男性と女性に差が出る理由の一つが、加齢に伴うホルモンの減り方の違い。女性ホルモンは50歳前後に急減するのに対し、男性ホルモンはじわじわと減る。更年期を過ぎた60~80代(熟年期)に、男性ホルモン減少の症状が現れる人も多い。  こうした症状に悩む人を「熟年期障害」と名づけて警鐘を鳴らすのが、男性医学の先駆者で札幌医科大学名誉教授の熊本悦明医師。男性ホルモンを車のエンジンオイルにたとえ、不足すると車が動かないように体も活力が生まれない、と説く。  近年話題の高齢者の心身の衰え「フレイル(虚弱)」についても、ホルモンに関連があるとの見方を示す。自著『熟年期障害』(祥伝社新書)で、こう説明する。 <更年期後の熟年期に大きな医学的問題があるのです。多くの人が経験している更年期や熟年期の体調不良・フレイルは、男性ホルモン低下による男性力の衰退が大きな原因だからです>  熊本医師は89歳の今も現役だ。東京都心の銀座と丸の内にあるメンズヘルスクリニックで患者を診察している。自宅のある札幌と東京を隔週で行き来。元気のひけつを「男性ホルモンのコントロール」と説明し、70歳から補充を続けているという。  テストステロンは男らしい筋肉質の体格に欠かせない。冒険心・闘争心・決断力・行動力・積極性・責任感・指導力などにもかかわるホルモンだ。  減少すれば、やる気が失せて集中力が続かず、判断力や記憶力が鈍る。イライラや不安に襲われる。何事にも関心がなくなる。政治家や芸術家ら自己主張の強い人は一般の人より数値が高い傾向という。  熊本医師のクリニックには、大手企業の経営者らも訪れる。経営トップは通常の人より男性ホルモン値の高い人が目立つが、ストレスの多い生活などから体調を崩し、ホルモン補充療法を受ける人もいるという。  ある経営者は熊本医師の診療で元気を回復。「昔みたいに怖い人になった。あまり元気にしすぎないようにしてください」。随行秘書がそんな冗談を言うほど体調が一変した。  別の経営者は、ゴルフ場でカートを使わず歩いて移動するようになった。プレー後の入浴時、不思議がる仲間に「なぜ元気になったのか」と問い詰められ、「男性ホルモンを補充している」と明かしたという。  年をとると、心身の様々な衰えを加齢によるものと片づけがち。一方で、それ一辺倒だと、体調の変化を見落とすことになりかねない。熊本医師が特に注意を呼びかけるのは、男の「朝立ち」がなくなることだ。  これはテストステロン分泌量低下の兆候であるとともに、血管の老化を示す。陰茎の血管は直径1~2ミリメートルと体内で最も細い。動脈硬化は細い血管から始まり、朝立ち消失は動脈硬化リスクの表れという。月経が女性の健康のバロメーターであるように、朝立ちは男性の健康の指標だ。  年配の男性はテストステロン低下とともに、ストレスへの抵抗力が弱まり、うつ症状が進みやすい。医者にうつと診断され、抗うつ剤を処方されるが、薬を飲んでも症状が良くならないことがある。この場合、テストステロン低下を疑い、泌尿器科など男性向け外来の医師の診察を受けると、改善するケースがある。  診療の現場では、採血をして患者のテストステロン値を測り、そのデータや症状に応じて補充療法などを始めるのが一般的だ。正式な病名は「加齢男性性腺機能低下症候群(LOH症候群=LOH:late‐onset hypogonadism)」と呼ばれる。  日本泌尿器科学会と日本メンズヘルス医学会が2007年にまとめた診療の手引きによると、この病気の研究の歴史はまだ浅く、発症のしくみなどもよくわからない。<加齢にともなう一般現象と理解され、医療行政からも顧みられることなく、診療の対象にならなかった>という。  補充療法も、治療の効果や根拠などのデータ蓄積がまだ十分と言えない。診療の手引きによると、睡眠時無呼吸症候群の患者は症状が悪化するなど、副作用も報告されているという。  かつての人生50年時代は、生殖のために盛んに分泌される“ホルモン寿命”と、寿命との間に大きな開きがなかった。しかし、今や人生100年時代を迎え、その差は開くばかりだ。  熊本医師は「これからの時代は高齢者がいかに元気に生きるかが重要だ」と話す。テストステロンを定期的に測り、健康管理にも生かすべきというのが持論。病気を見つけて治す「疾患医学」から、元気に長生きできる「健康長寿医学」へと軸足を移す必要性を訴える。男性ホルモン補充も、その一つというわけだ。 <生殖医学や女性内分泌学を中心に、女性医療の進歩は男性医療より半世紀は先行している。(中略)ところが男性側は、これからようやく男性内分泌学を中心とした臨床男性医学の基礎固めと、それに基づく医療体系創りが始まったばかりで、なんとも心もとない状況にある>  前出の手引きの中で、熊本医師はそう述べている。(本誌・浅井秀樹) ※週刊朝日2018年11月23日号より抜粋
週刊朝日 2018/11/20 05:15
日産のゴーン会長を追放「クーデターではない。権限集中で負の遺産に」西川社長【会見全文】
日産のゴーン会長を追放「クーデターではない。権限集中で負の遺産に」西川社長【会見全文】
会見した日産の西川広人社長兼最高経営責任者(撮影・西岡千史) 報道陣が続々と集まった日産本社(撮影・西岡千史)  日産自動車のカルロス・ゴーン会長が有価証券報告書に報酬を過少に記載した金融商品取引法違反の疑いで逮捕された事件で、日産の西川広人(さいかわひろと)社長兼最高経営責任者(CEO)は19日夜、横浜市の本社で会見した。  報道関係者が200人以上集まる中の緊急会見で、西川社長は弁護士なども伴わず、一人で出席。ゴーン氏に経営の権限が集中していたことについて「実力者として君臨してきたことの弊害」「負の遺産」と繰り返し、謝罪会見というよりも、ゴーン氏の「追放」を強く印象づける会見となった。    西川氏は冒頭で「ゴーン氏について重大な不正行為を確認した。内容について細かく説明できないが会社として断じて容認できない。解任することを決断した」と述べた。正式には22日に取締役会を招集して手続きするという。  その上で西川氏はこう謝罪した。 「本件は内部の通報があり、社内調査の結果、ゴーン氏らの複数の不正が確認された。事案の内容を会社から検察当局に説明し、捜査に協力してきた。株主や関係者の皆様に不安を与えたことを謝罪する。カルロスゴーン率いる日産の信頼を大きく裏切ることになってしまった。大変残念で申し訳ない。私自身、経営会議のメンバーとして力を合わせてきたが、こういう重大事案になったのは、残念という言葉を超えて強い憤り、落胆している。従業員の中にもいったい何が起きているんだという状態で、私が感じていることが従業員にも広がっていくのではないか。社内の動揺を安定させ、取引先との影響を出さないように集中していきたい」  不正の内容については捜査中として説明を避けた。今後の経営の進め方について、社外取締役を中心に第三者も入れて調査するという。  仏ルノーや三菱自動車との関係については、変更が必要になれば調整していくとした。 「ルノーへの影響は大きいが、ルノーや三菱とのパートナーの関係に影響はなく、緊密に連携していく。将来に向けては、極端に特定の個人に依存した形の見直しの機会になる。43%の株を持つルノーのトップが日産のトップを兼任するのは、ガバナンス上問題があった。ゴーン統治で一人の個人に権限が集中したことは負の遺産で、時間を置かずに明確に手を打っていく」(西川氏)  ゴーン氏と一緒に逮捕された同代表取締役のグレゴリー・ケリー氏については「ゴーン氏を背景に影響力を持ってきた」と話した。  記者との主な質疑応答は以下の通り。 ―日産のファンにどう説明するのか。 「私も大きなショックを受けている。重大事案で不安を与えて申し訳ない。多くの日産ファンにとにかく申し訳ない。できることはガバナンスについて猛省する。一人に権力が集中し、長年実力者として君臨してきた弊害は大きい。目に見える形で問題を解消していく。これを見ていただくことしかない」 ―いつごろ内部通報があったのか。 「そこも含めて検察と連携しているので、現時点では答えを控える。いずれ話せるようになる」 ―不正の中身は? 「開示の問題と私的な目的で投資資金を使ったこと、会社の経費の不正使用です」 ―不正の行為者は逮捕された2人だけか。 「この2人が調査の結果、首謀であることは確認している。役員らの反応については、知ったのがつい先ほどなので、彼らも一体、何があったんだという感覚。取引先も大きな不安を抱えているので、そこを不安定にしないように全力を尽くす。役員が先頭に立って、日常の業務に影響が出ないようにする」 ―解任する理由は。 「どの事案を見ても、会社としてみれば当然許容できない。虚偽であったり、支出が私的なものだったり」 ―不正がいつごろから行われてきたのか。 「そこについてもいまは内容を申し上げられない。長きにわたってということ」 ―ゴーンさんは日本で納税していたのか。 「私は回答できないが、当然日本で納税していたと思う」 ―会社としてゴーン氏を告発し、損害について訴えないのか。 「それに値する事案であることは認識している」 ―100億円近い報酬があったのに50億円しか公表していなかったとされるが、どういう処理をしていたのか。 「そこは確認をしている部分もあるが、今の段階では答えを控える」 ―長期政権の弊害と言うが、どういう形で権力が集中したのか。クーデターのようなことが起きたと見られるが。 「今回の件は事実として見た場合、不正が内部通報で見つかりそこを除去するのがポイント。クーデターではない」 「ガバナンスの面では権力が集中したことが誘因なので、公正なガバナンスをつくる。権力の集中は長い間で徐々に形成されてきたとしか言いようがない。ルノーと日産のCEOを兼務していたのが無理があった。ケリー氏はゴーン氏の側近として仕事をしてきた。ゴーン氏の権力を背景に社内をコントロールしてきた。これが実感であり実態」 ―取締役会の招集は22日でいいのか。 「招集して2日あけるので22日木曜日」 ―今回の話を知っていたのは西川氏のほかに何人か。 「数名の単位と思っていただいていい」 ―ゴーンさんはカリスマでリストラをし、剛腕を振るってきた。暴君だったと言えるのではないか。報酬の記載が無いのは粉飾決算ではないのか。 「記載は適正ではなかったので瑕疵(かし)を認めて是正はする。正直言って私もいまに至るまで、当面の対応に追われじっくり考えることをもう少ししたい。事実として初期に、ほかの人間ができなかった改革を実施した実績がある。その後は功罪、両方ある。それは私の実感です。積み上げてきた全部を否定できないが、最近の状況を見るとやや権力の座に長く座っていたことに業務の面で弊害も見えた。私も意見を言うことがあったが、こういう事態になったので、従業員にも目に見える形で手を打っていきたい」 ―一緒に逮捕されたケリー氏はどういう影響力を与えたのか。ゴーン氏は日産の顔だが、ブランドへのダメージやアライアンスへの影響は。 「ケリー氏はもともと日産出身で、専務執行役員という立場で仕事をしていた。幅広い仕事をして、絶えずゴーン側近として動いていた。そういう意味で影響力が大きい。近年は会長へのサポート以上のものはないので、影響力は徐々に落ちてきていた。ゴーン氏と日産を重ねる人は多いが、日産は日産。日産ブランドをそのものとしてご愛顧いただく。今回の事案で大きなショックがあり、影響がないとは言わない。できる限り努力していく。ルノーや三菱自動車とのアライアンスの関係には影響せず、より緊密に議論して決めていく。日常の運営面では、3社の責任者が集まって方向性を話し合って決める」 ―どういう調査を継続していくのか。 「社内調査はほとんど終わっている。状況把握はできている。後は捜査の進展もあるので、そこを見ていずれみなさんに話ができる」 ―ゴーンさんの高額報酬について正当だったのか。権力の過度な集中を許した責任は。 「報酬については、日本全体でいろんな議論があるが、日本だから低いとか、欧米だから高いということは是正されていくべきだと個人では思う。権力の集中は、振り返ってみると後付けだが反省すべき点はある」 ―検察当局と司法取引をしているのか。今回社長として責任をどうとるのか。 「司法取引については全くコメントできない。日産のファンもいればサポートしてくれたみなさんに、おわびをしたい。猛省すべきところもあるが、事態を安定化させることが私の責任。様々なことをスピードを上げてやっていかなければいけない。その先を考えることが来るかもしれないが、まずは集中してやっていく」 ―アライアンスのメンバーとの反応は。ルノーや三菱の人はどう反応したのか。仮にルノーがゴーン氏を退任させない場合の対応は。 「私の方から報告してから時間がたっていないので、具体的な反応はない。後はそれぞれの会社で対応していく」 ―内部調査は終了したと言うが、ゴーン氏からは話を聞いているのか。ゴーン氏がケリー氏に指示をしていたのか。 「ここは私から話しにくい。つかんでいる事実はあるが、そこの最終的な判断は捜査当局でする。ただし、2人が首謀なのは間違いないと見ている」 ―後任の人事は。こういう不正をどうして見抜けなかったのか。 「ある部分、会社の中の仕組みが形骸化し、透明性が低かった。ガバナンスに問題があっても必ず不正が起きるわけではないが、この集中という部分でいろんなことが起きてもわからない弱点があった」 ―社内で知っている人がいたのにゴーン氏に言えなかったのでは。 「不正について、なかなか表面化をしなかった。仕事をするときにぶつ切りにすれば、全体が見えない」 ―日本市場を軽視していたのでは。 「全く軽視はしていない。日本初のブランドの価値は、いまの経営陣は十分認識している。日本のマーケットの重要性を見ているが、過去にその部分が十分に会社の中で認識されていなかった時期がある。なので商品投入には時間がかかるので、挽回(ばんかい)しにくいことがあった。ここは断言は避けたいが、ある意味偏った意見で商品投入された時期があり、結果としてお客様に訴求できなかったことがある。ここは事実だという実感だ」 ―ルノーとの関係は。 「ルノーとのアライアンスの会社のCEOをゴーン氏が兼務しているのは変わりない。ルノーの取締役のみなさんと協議をして決めていく。今のとこをそれ以上の協議はしていない。これからそこを含め相談していく」 ―後任については次会の株主総会まで決めないのか。 「取締役会にはかるので、いま話すのは時期尚早。2人の取締役は解任できないので、どの段階で株主総会を招集するのか、ガバナンスをどうするのか、社外取締役を中心に提言してもらう。総会の決議が必要なことも含め、対策していく。当面は22日に相談して、短期の対応と時間のかかる対応を提言してもらう」 ―ゴーン氏から話を聞いていないことでいいのか。 「私は聞いていない。動機については控えさせてください。調査は十分にできている」 ―ゴーンさんへの権限の集中の弊害と言うが、なぜこのような事態になったのか。振り返ってみて、それを許した原因は。 「なぜそうなったのかは非常に難しいが、人も入れ替わるなかで、私自身どういうことができたか反省しないといけない。2005年にルノーと日産のCEOを兼務することになった。私たちは日産にとっていいことではないかと思って、その時、将来どのようなことが起きるのか議論していなかった。一人個人に依存するのは将来を見通せないという質問もあるが、それが転機となった。私たちも十分分からない中で権力が集中していった」  西川社長は会見の最後まで頭を下げることはなかった。最後の言葉は「ありがとうございました」だった。 (本誌・多田敏男 AERA dot.編集部・西岡千史) ※週刊朝日オンライン限定記事
週刊朝日 2018/11/19 22:42
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