なぜ最強の組織なのか? 慶應「三田会」の全貌
同窓会組織でも“王者”の風格を見せる慶應大 (撮影/吉崎洋夫)
「慶應三田会」の全貌図 (週刊朝日 2018年12月28日号より)
10月21日。横浜市の慶應義塾大学日吉キャンパス。日曜日のこの日、夜も明けやらぬうちから次々と人がやってくる一角があった。
普段は何もない校舎と校舎の間に、たくさんの長机とイスが並べられている。到着した人は、人の身長くらいの旗を組み立てては空いた机に立てかけていく。長机に直接、貼り紙をする人も。旗や紙には「団体名」が書かれている。
どうやら「場所取り」をしているようだ。朝5時すぎに駆け付けた50代の男性が言う。
「狙っていた場所は、もう埋まっていました。6時台にはすべての机が埋まっちゃいましたね」
午前1時半に来た団体もあったという情報も流れていた。
「2018年慶應連合三田会大会」
この日は慶應の同窓会の集まりである「連合三田会」の年に1回のお祭りの日なのだ。外国車が当たる福引、OB加山雄三のライブ、飲食の模擬店……。朝早くから続々と「塾員」(慶應ではOB・OGをこう呼ぶ)らが訪れ、キャンパスは2万人を超す慶應関係者で終日ごった返した。
「場所取り」は、個別の三田会が後からやってくる仲間たちのために行うものだ。旧交を温め合う場所の確保に、多くの塾員が完全ボランティアで未明から駆け付けるのだ。
日本の大学同窓会で最強といわれる「慶應三田会」。三田会の総本山である「慶應連合三田会」の村田作彌事務局長が言う。
「現在、870の個別三田会があります。高齢化などで活動をやめる団体もありますが、新設される三田会も多く、総数は伸び続けています」
「三田会」の全貌(ぜんぼう)をまとめると、四つのカテゴリーに分けられる。年度ごとの卒業生全員で構成される「年度三田会」。現在、戦前の「1941年三田会」から「2018年三田会」まで、総勢約37万5千人とされる。数が多いのは、勤めている企業ごとに組織される「勤務先別三田会」と、自治体など地域ごとにある「地域三田会」だ(海外にも70以上ある)。「仕事系」ではほかに「職種別三田会」があり、そのほか「諸会」として「学部別」「文化団体連盟系」「体育会系」などがある。
慶應OBのつながりの強さは、ある塾員がしみじみ話す次の言葉に象徴される。
「慶應の卒業生とわかると、初対面でも昔からの知り合いのように思えちゃうんです」
なぜ、慶應に入ると、こう思うようになるのか。
慶應には「先生」は創設者の福澤諭吉しかいない。だから大学教授であっても、学内の掲示板では「○○××君」である。私学らしく、創設者の教えが貫かれている。
同窓会活動とて例外ではない。福澤が慶應を構成する塾生や教職員、塾員らを「社中」と呼び、全員の協力を呼びかけた「社中協力」は有名だ。そのスローガンのもと、福澤は同窓生の集まりを大切にし、各地で開かれる大小さまざまな同窓会に進んで出席していた。東京では広尾の別邸に大勢の塾員を集めて、大園遊会を開いてもいた。
「同窓会重視の姿勢は、慶應が明治10年代に深刻な経営難に陥ったことと大きく関係しています」
こう話すのは塾員で慶應義塾福澤研究センター客員所員の曽野洋・四天王寺大学教授だ。
「当時の塾生は士族が多くを占めていました。士族の不満は高まる一方で、西南戦争に共鳴した塾生も大勢いました。しかし、士族が食えなくなると、授業料が入らなくなるなど慶應は困ります。入学者も減り、福澤は一時、塾を閉じることも検討した節があります」
しかし、塾員ら社中が反対し、教員が自主的に給与の一部を返上したり、塾員らの寄付金が増えたりして危機を乗り越えていった。
福澤没後も、慶應の同窓会重視は揺らがなかった。大正時代に入ると同窓会は次第に「三田会」と呼び名を変え、地域以外の各種三田会も生まれていった。連合三田会ができたのが1930年、ホームカミングデーである秋のお祭りは60年代に入って始まった。
実は、このホームカミングデーの行事こそ、三田会を維持、発展させる大きな原動力の一つになっている。卒業40年、30年、20年、10年にあたる年度三田会が「当番」として協力して実行委員会を作り、大会の運営にあたるからだ。
年度三田会の幹事経験者が言う。
「10年に1回、同期が結束を確かめ合うための機会が与えられているのです。役回りも決まっています。卒業30年がお祭り全体を仕切るメイン当番で、20年は30年のお手伝い、10年は見習いみたいな感じ。40年は名誉職ですね」
これに学校主催の行事が絶妙に絡む。卒業25年になると卒業式に招かれるのだ。
「それに合わせて、年度三田会は大同窓会パーティーを都内のホテルで開きます。同時に慶應のために寄付金も集める。つまり、この時期に年度三田会が再整備されるわけです」(幹事経験者)
再整備とは「名簿の穴」を埋める作業にほかならない。別の年度三田会経験者が言う。
「20年の当番が終わると同時に、『25年には大パーティーがある』という告知を口コミで広めます。3年ぐらい前に名簿整備のための組織を立ち上げ、住所が実家のままになっていたりする『行方不明者』を一人ひとりつぶしていきます。最終的にかなりの現住所がわかります」
塾員の住所判明率は約82%。その高さは、この時期の名簿整備が大きく貢献しているに違いない。
ともあれ卒業20年から30年にかけて3回、大きなイベントが続く。社会の中核を担うのと同じ時期に、同期会の結束を強める機会が与えられるのだ。
もちろん、その機会を生かすには年度三田会が機能していなければならないが、それもまた「慶應システム」とでも言えるものが働く。鍵を握るのは「22.4%」(「2019大学ランキング」)と、高い内部進学率である。
多くの塾員が年度三田会の原動力として小中高からの内部生の存在をあげる。
「代表になるのは幼稚舎出身者が目立つ」「人を集めるには、やっぱり内部生が強い。慶應生活が長く、知り合いが多いですから」「慶應女子出身の専業主婦で仲間づくりにマメな子を選ぶと、うまくいく」……。
連合三田会の当番には数百人単位の実行委員が必要だ。25年の大パーティーには1千人を超える同期が集まる。広く人を集めようとすると、内部生の力が必要になるのだ。もちろん、外部生で重要な役割を担っている人も大勢いるが、中核部隊に占める内部生の比率は内部進学率よりはかなり高いようだ。
こうして基盤が固まった年度三田会は、もはや揺るがない。卒業50年には大学から入学式に招待され、25年のときと同様、寄付金を集める。功成り名を遂げた後だから金額も多くなる。今年50年を迎えた「1968年三田会」は、例年より多い約6500万円を集めた。会を率いるのは、佐治信忠・サントリーホールディングス会長だ。
10年ごとの当番がある年度三田会が先輩後輩をつなぐ「縦糸」とすれば、全国各地で塾員がつながっていく「横糸」の役目を果たすのが地域三田会だ。「参加者の半分が65歳以上」と高齢化を指摘する声も聞くが、塾員たちが挙げるのは大学側の「面倒見の良さ」である。名簿管理などを行う「塾員センター」が、さまざまな支援をしてくれるのだ。
「新たに三田会を作る場合は、守秘義務契約などを結べば対象地域に住む塾員リストを出してくれます。規約のひな型も用意されているし、組織強化やイベント開催など運営面での相談にも乗ってくれます」(地域三田会関係者)
縦に横につながって結束力を強める三田会。創設者の教えを守り、同窓会を強くする、これだけの「インフラ」が整っていると、年齢が上がるほどに「慶應愛」が強まることもうなずけるのではないか。現在の「慶應→三田会」コースは、「『慶應愛』自動再生産システム」といってもいいほどである。
こうした構図を基礎にさまざまな分野に進出していく各種三田会の姿は、まさに百花繚乱(りょうらん)の感がある。
9月1日土曜日、帝国ホテル「富士の間」。一つの三田会としては異例の340人の大人数を集めたパーティーが開かれた。いま最も勢いのある三田会として知られる「不動産三田会」の30周年を祝う会だ。
不動産三田会のすごさは親睦に「実利」を加えた点にある。不動産業は「情報、人脈が命」の割には、どこか相手を信用しきれない面が業界に残っている。その「信用しきれない部分」を慶應の信用で埋める。つまり三田会の仲間同士で取引をするのである。
毎月の例会での「情報交換会」がその場になる。会員は「これは」という物件を持ち込み、売り込む。興味を持てば、懇親会などで詳細を聞き込んでいく。
取引が成立すると、義務ではないが例会で「成約報告」をすることができる。利益の一部を慶應に寄付する慣例もある。
「20年以上、成約報告は途切れず続いています」(事務局の佐藤正人氏)
会員は増え続け、現在約870人。例会の参加者は70~80人にもなる。
新しい三田会も次々に生まれている。昨年できた「ファイナンシャル・プランナー(FP)三田会」も、その一つ。三田会結成を望む長老の声に加藤惠子代表が応えた。テレビ出演で知られる藤川太さんが中心メンバーの一人だ。
44人と小所帯で、人集めが大変なようだ、会社勤めの企業内FPは大勢いるはずだが、だれが資格を持っているかは調べようがない。設立時も独立系FPのホームページを調べて塾員を特定、勧誘していった。
親睦と学びが二本柱。FP力向上のための勉強会を今月から始めた。会員の営業強化に役立てばと、ホームページには自己PRできるコーナーも設けている。
連合三田会には登録していないが、会員数約4500人と大勢力を誇るのは「Facebook三田会」だ。今月7日には、塾員ならだれもが知っている三田の「つるの屋」で忘年会が開かれた。
「つるの屋閉店」の情報を聞き「最後」と思って選んだが、店主によると「噂を信じないでください。変わらず営業を続けます」。
幹部の松延健児さんによると、ネットらしい「フラットさ」が特徴という。
「皆が『さん』づけで呼ぶなど先輩がいばらない三田会です。有名人の会員もいますが、特別扱いはしません。昔の話が出ないところが他と違います」
会員のみの非公開ページ。「なりすまし」が多く、入念な入会審査が行われる。投稿は「慶應関係」に限られる。野球やラグビーの慶早戦(慶應では「早慶戦」とは言わない)になると、観戦中の会員による「実況中継」で盛り上がるという。
自分のタイムラインには流したくない「慶應ネタ」を流せるのがいい、と語る会員がいた。
「月曜日に会社を休んで慶早戦を見に行くときでも、気兼ねなく発言できます」
改めて三田会全体を眺めると、「三拍子」そろった強さに気づく。創設者の教え、集まるための「インフラ」、そして「継続は力なり」で長年かけて築かれたシステムが「慶應愛」あふれる塾員を「再生産」していく……最強の組織は、まさに盤石なようだ。
※週刊朝日 2018年12月28日号
週刊朝日
2018/12/20 06:30