女子にとって、日本というのは実に生きづらい国である。仕事に打ち込みたいと思えば男並みの働きを期待され、そんなの無理だと思って結婚しても、産みやすくも育てやすくもない環境が待っている。それを愚痴れば「おまえの努力が足りないだけ」と、自己責任論で押さえつけられてしまったりする。
 本書は、この国が抱える女子の働きづらさ=生きづらさについてのレポートだ。戦前から現代までの女子労働史が、さまざまな資料の数珠つなぎによってまとめられている。かなりみっちり書かれているので、慣れるまで読むのに苦労するかも知れないが、がんばって欲しい。この国が女子をいかに軽視してきたかが分かるから。
 著者によれば、日本は「メンバーシップ型」の社会だという。どのような技能を持っているかということ以上に、どのようなメンバーであるかが重視される社会だ(ほとんどの新入社員が入社後に配属先を告げられるのもそのためだ)。対する欧米は「ジョブ型」の社会。企業が求める技能を持った者に適切なポストが与えられる。後者の方が労働の形としてシンプルなのは明らかだ。
 メンバーシップ型社会は、女子という存在を正しくカウントしない、という過ちを繰り返し続けている。体力がないから、結婚したら辞めるから、出産したら休むから、という理由でたとえちゃんとした技能を持っていても女子を仲間はずれにする。この理屈が恐ろしいのは、アレンジすれば、男子にも使えること。この不況下で増え続ける非正規雇用者の扱いを見れば、今や仲間はずれが女子だけじゃないのが分かるはずだ。
 男女雇用機会均等法が施行されてから30年。本当に変えるべきは、法律ではなくメンバーシップ型社会の方である。だが、それが一番難しい。著者も、働く女子の運命は「濃い霧の中にあるようです」と語る。この暗澹たる現実がある以上、一億総活躍なんて、到底ムリだろう。

週刊朝日 2016年2月12日号