松本:何らかのディスアドバンテージをもっているだけで、技術によって新たな負荷を与えられるというのが私は理解できなくて。障がいの定義に照らせば、何かができないことイコール障がいなのではなく、できないことにより社会で生きづらくなるということが障がいなんですね。だからたとえば、目が見えなくても、それによって社会で生きづらさを感じなかったら障がいではなくなる。なので私は、障がいを包摂して不便さを感じさせなくする技術を研究したくて、その一つとして、触覚を通じた相互インタラクションを実現するハードウェアデバイスを開発したいと思っています。

松野:松本さんが直接的にマイノリティーの人を助けようとしている一方で、私は少し広く見たいと思っています。もともと理系で航空工学が好きだったのですが、素晴らしい技術ができても、それが正しくオペレーションできなければ意味がない。とくに日本の学校では文系理系が分けられていて、その二分法が社会でもそのまま固定されているから、誰かが技術を開発したとしても、国が理解しておらず、結局無駄になってしまうケースがあると思っています。じゃあ自分はこれを正しく使う側に立つんだ、と思ったのが政治や政策づくりに関心をもった理由の一つでした。

 僕と松本さんは同じ方向を向いているけれども、2つの違ったアプローチをしているということですね。

松本:文理の壁は感じますね。私は自分で高校生向け研究プログラムを立ち上げて社会に出すことができましたが、社会ではこうしたプログラムは分業されていて、自分ひとりではできないのが現状。市長秘書のインターンをしていたときに思ったのですが、行政や政治が関わるプロジェクトは、いろんな人が関わることもあって柔軟性があまりないですよね。文理で壁を作らず、相互にインタラクションしていくことを考えるのが今後大事だと思います。

<<前編『茨城からハーバード、徳島からスタンフォードに合格した18歳が語り合う 東京との「格差」』から続く>>

(構成/白石圭)