イベントでの小川哲さん
イベントでの小川哲さん

小川哲さん(以下、小川):僕はスポーツが好きで、サッカーとか野球をよく観るんです。スポーツを小説にすると、身体の動きとか美しさみたいなものは損なわれてしまいます。スポーツに限らず音楽もですが、小説に変換するという行為は、何に対してもできるわけではないんですね。小説に向く変換の仕方と、向かない変換の仕方があるんです。

杉江:五感のうち視覚に拠るものは比較的楽でしょうけど、聴覚や味覚の場合は大変でしょうね。

■信者でもファンでもない、という感覚

小川:話が少し飛びますが、『ドライブ・マイ・カー』という村上春樹原作の映画がありますね。この映画が公開された後、僕が濱口竜介監督に仕事でインタビューさせてもらったことがありました。

 これは僕の好みの問題でもあるのですが、村上春樹原作の映画の中には、「さほど面白くない」ものが多いような気がしています。どうして面白くないかっていうと、これは僕の解釈ですが基本的に監督が村上春樹という作家をリスペクトし過ぎているわけです。村上春樹作品の、小説の中で面白かったポイントや描写、セリフとかを、そのまま映画に輸入してしまう。「いかに村上春樹の作品を映画の中で再現するか、実現するか」というところが1つポイントになっているんです。

 もちろん、例外もあります。映画ではないんですが「海辺のカフカ」の舞台ってすごく面白いんですよ。世界的にも評価が高い。演出家の蜷川幸雄が、村上春樹作品を演劇にちゃんと翻訳しているからです。翻訳の作業が必要なんですね。濱口監督は、村上春樹をリスペクトしていて映画化したのではなく、小説『ドライブ・マイ・カー』を読んだら、「これ、映画としていけるな」って思って映画化しているんです。

杉江:村上春樹信者じゃない、わけですね。

小川:信者じゃないし、熱心なファンでもない。濱口監督ご本人も、そういう話をしていました。でもちゃんと映画になっている。それは『ドライブ・マイ・カー』という小説が持っているテキストの奥側にあるマグマみたいなものに1回突っ込んで、それを映画っていうメディアに翻訳して、作品になっているから面白いわけですよ。だから、良くも悪くも、原作をリスペクトしていないというか、原作の根っこの部分にある「作品が持つ本質」みたいなものを映画として撮っている。だから、映画として素晴らしいものになっているんです。

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小川哲さんが考える「小説の強さ」とは?