阿部サダヲさん(撮影/写真部・戸嶋日菜乃、ヘアメイク/中山知美、スタイリスト/チヨ〈コラソン〉)
阿部サダヲさん(撮影/写真部・戸嶋日菜乃、ヘアメイク/中山知美、スタイリスト/チヨ〈コラソン〉)

 舞台「ドライブイン カリフォルニア」、映画「死刑にいたる病」、ドラマ「空白を満たしなさい」と、今年も話題作への出演が続いている阿部サダヲ。1992年に大人計画に参加し、俳優としてのキャリアをスタートさせた阿部に、「30歳までに芽が出なかったら辞めようと思っていた」という20代を振り返ってもらった。

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――日本総合悲劇協会「ドライブイン カリフォルニア」は、大人計画を主宰する松尾スズキさんの作・演出による作品。初演は1996年ですが、当時、阿部さんは俳優として活動しはじめて4年目でした。

阿部サダヲ(以下、阿部):まだ役者では食べていけなかったですね。「ドライブイン カリフォルニア」の初演は舞台の仕込みやバラし、荷物を運んだりもしてました。

■ステージ出演後にトラックで運搬をする日々

阿部:大道具も小道具も、当時はすべて役者がやってたんですよ。宮藤さん(宮藤官九郎)もガチ袋を腰に付けて、なぐり(金槌)でトントンやってましたから。皆川くん(皆川猿時)は小道具を作ってたんだけど、ぜんぜんダメでしたね。ある舞台のために、皆川くんが古地図を作ったことがあって。がんばってコーヒーとかで汚してみたらしいんだけど、それを見た松尾さんが「なんだこれ」って呆れてました(笑)。僕も先輩の役者に「小道具係をやって」と言われたんだけど、「イヤです」って断っちゃったんです。だって、出来ないものは出来ないですから。

――役者をやるために「大人計画」に入ったんだから、と?

阿部:そうそう。ただ、僕は「大人計画」に入る前にトラックの運転手をやってたから、トラックの運転は苦にならなかったんですよね。グループ魂(阿部サダヲがボーカルをつとめるバンド)が1997年に初めて赤坂BLITZでライブやったときも、ステージをバラして、トラックで運んでました。ライブのゲストで深津絵里さんが出てくれたんですが、打ち上げの席に俺がいなかったから「ボーカルがいないんですか?」ってビックリしてたらしいです(笑)。当時はそれが普通だったんですけど、いまは裏方の仕事をやってくれるスタッフがいるし、小道具などは外注もしていて。自分が「イヤです」と言ったことで、少しは流れが変わったのかもしれないですね(笑)。

――96年の阿部さんは、ドラマ「キャンパスノート」、映画「トキワ荘の青春」、舞台「ファンキー!」「ナオミの夢」などに出演し、役者として注目されはじめた時期。もちろん「役者としてやっていく」というのは決めていたんですよね?

阿部:いやいや、そんなことないですよ。96年って、26歳ですから。役者に対してそんなに強い気持ちはなかったし、親や周囲の人にも「30歳までに芽が出なかったらやめる」と言ってました。

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森朋之

森朋之

森朋之(もり・ともゆき)/音楽ライター。1990年代の終わりからライターとして活動をはじめ、延べ5000組以上のアーティストのインタビューを担当。ロックバンド、シンガーソングライターからアニソンまで、日本のポピュラーミュージック全般が守備範囲。主な寄稿先に、音楽ナタリー、リアルサウンド、オリコンなど。

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