翌3日、現地時間午前10時から始まった公開練習。コンディションが整ってきた芳家は、練習時間残り30分になったところで、技をかけてみようと、板を踏み込んで走らせた。少し風があったが、それほど強くはない。「いける」と思い勢いをつけてジャンプした瞬間、パーンっと予想以上に高く宙に舞ってしまった。

「やばい、これで終わった……。もう転倒を回避しようがないほど飛び過ぎてしまって、一番(体を)やられないコケ方って何だろうと、考えながら落ちていきました」

 ドッス。脚から落ちたくないと思い、お尻から丸まった姿勢で雪上に着地。脳震とうを回避するために頭を上げたままにした。

「受け身はまだ良かった方だったと思いますが、コンクリートの上に叩きつけられた感触がありました」

 落ちた直後、背中の痛みを感じた。呼吸ができなくなって、苦しさのあまり、自分でヘルメットのあごひもを外した。すぐに北京大学の病院に運ばれた。中国人の医師からは「君はラッキーだ!」と言われた。それを聞いた芳家は「大丈夫なんだ」と安堵したが、結果は背中の骨を折る脊椎損傷だった。

 医師の言った「ラッキー」という言葉は、下半身にまひが残らないことを意味していた。手術が必要だったが、背骨を固定するために入れるボルトが中国内で使用しているものしかなかった。それだと日本での取り外しが困難になるため、日本でも使われているボルトを発注し、届くまで、3日間手術を待つことになった。

「手術前と術後の2~3日は、不安よりも痛さに耐える方がつらかったです。点滴に痛め止めと栄養剤を交互に入れていたのですが、痛め止めが切れる時が痛くて。痛すぎて1度けいれんを起こしました」

 術後3日で立ったり、座ったりすることができるようになった。術後4日目までは、背中から管が2本飛び出た状態だった。回復は良好だったが、痛みが引いてくると、次第に不安がこみあげてきた。

「病院でみんなの試合を見て『やっぱりいいなあ』と思いました。でも、ケガをした瞬間の記憶があるので、舞台に立ったら、怖くなってしまうかもしれない。立って無理だったら諦めようと思うかもしれません。でも今は、再び立つまでは絶対に諦めたくないんです」

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「技が決まった時のうれしさは恐怖を上回る」