芳家は、松井選手と同じ「ハーフパイプ」からはじめ、後に「スロープスタイル」も滑るようになった。15歳の時、全日本選手権(15年)に出場し、「スロープスタイル」で優勝を果たす。経済的に余裕はなかったが、「大会に出ることで自分の経験の無さがわかるから」と、自費で海外の大会へ遠征してきた。そうして積み重ねた努力が実り、2021年に北京五輪の国内強化指定選手に選ばれた。

「強化指定選手としてチームで一緒に大会を回ることができるようになって、やっとオリンピック出場が見えてきたんです。それでも私はギリギリまで出られるかわからなくて、やっとのことで夢の舞台に立てることになったのに……」

 芳家は「スタートさえ切ることもできなかった」と、悔しさをにじませた。「ここまで来るのが大変だったのに、あんな一瞬で終わってしまうなんて……」。

 悲劇が起きる前、芳家は日本で10日間の隔離期間があり、スノーボードでの練習ができなかった。できることは、家の中で行うトレーニングだけ。万全とは言えないコンディションだった。

 隔離が明けた1月30日に日本を出国して北京入り。翌2月1日にコースチェックで会場に行くものの、コース内に入ることはできなかった。これも誤算だった。コースは大会ごとに異なっているため、北京五輪でも見たことのない形状のセクションがあった。

「1セクション目のジャンプセクションが初めて見る形で、滑る前から不安と恐怖はありました。いつも大会ごとに全く違うので、コースを見てから本番までの2~3日で、どれだけ合わせられるかが勝負の分かれ目だと思っていました」

 2月2日の公開練習で、約2週間ぶりに雪上での練習に臨んだ。雪の感触は「硬い」。人工雪といっても日本は柔らかい方だが、北京は「建造物のコンクリート」の上を滑っているような感覚だった。板で雪が削れると線が付くほどで、つるんという滑りやすさもあった。

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「また舞台になったら怖くなってしまうかも…」