「ウマ娘」でも競馬ファンを騒然とさせたサイレンススズカ
「ウマ娘」でも競馬ファンを騒然とさせたサイレンススズカ

 数多くの名馬、そして名勝負が歴史に刻まれている競馬だが、その陰にはレース中の故障による予後不良という悲しい現実があるのも事実。競走馬として全盛期を迎えたところで悲劇に見舞われたり、未完の大器と呼ばれたまま逝ってしまった馬たちを思い返してみる。

【写真】武豊騎手が乗りこなした「ウマ娘」モデルの名馬たち

 活躍馬のレース中の事故と聞いてオールドファンが思い出すのはキーストンやテンポイントだろう。1965年のダービー馬キーストンは、その2年後の阪神大賞典で左前脚を脱臼。致命傷だったにもかかわらず、投げ出された山本正司騎手を気遣うように顔を寄せにいき、山本騎手も相棒の顔を抱きしめた光景には、スタンドのファンも涙をこらえきれなかったという。

 TTGと呼ばれた三強の一角を占め、77年に天皇賞(春)と有馬記念を制したテンポイントは、海外遠征前の壮行レースとして翌78年1月の日経新春杯に66.5キロの酷量ハンデで出走して左後肢を骨折した。

 本来ならば安楽死処分が不可避なほどの重傷だったが、アイドルホースの命を助けてほしいと願うファンからの声が殺到したこともあり、陣営も手術による延命措置を選択した。

 しかし願いもむなしく、テンポイントは約2カ月後に蹄葉炎のため死亡。致命傷を負った馬の苦痛を長引かせる結果となった一連の騒動は、ハンデ戦における斤量の再考や、後の競走馬たちの安楽死の判断に大きな影響を残している。

 あの故障さえなければ大活躍を続けたのでは…と競馬ファンの間で長く語り継がれているのは、サクラスターオーとサイレンススズカ。前者は1987年の皐月賞を快勝し、ダービーこそ直前に繋靭帯炎を発症して回避を余儀なくされたが、皐月賞からぶっつけ本番となった秋の菊花賞を勝ってクラシック二冠馬となった。

 だがファン投票1位で出走した有馬記念で馬場の穴に脚を取られ、左前脚繋靭帯断裂および第一指関節脱臼の重傷を負う。予後不良と診断されたサクラスターオーは陣営の要望により延命治療を施されたが、その甲斐なく5月に安楽死処分となった。

次のページ
「ウマ娘」でもファンを騒然とさせたサイレンススズカ