引退を決意した松坂大輔 (c)朝日新聞社
引退を決意した松坂大輔 (c)朝日新聞社

 西武の松坂大輔投手(40)が現役を引退することが7日に発表された。日米通算170勝をマークした右腕は波瀾万丈の野球人生だった。数字を見れば立派だが、SNS、ネット上では「体調管理をしっかりすれば200勝はできた」、「近年の状態を見たらもっと早く辞めるべきだった」など辛らつな声も少なくない。

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 かつて西武担当だったテレビ関係者は、松坂引退の一報に対する世間の反応に複雑な表情を浮かべる。

「メジャーから戻って中日で光り輝いた時期もあったが、ソフトバンク、西武では故障でマウンドに立つことすらできなかった。ファンは期待が大きかった分、辛辣な意見が多いんでしょうけど、もう少しねぎらう気持ちがあってもいいのではと…。社会現象になるほどの活躍をした投手です。『松坂世代』と世代の冠になる選手は今までいなかった。責任感が強い男です。西武に戻ってきて恩返しできなかったという申し訳なさを感じていると思いますが、よく頑張ったと思います」

 1998年に横浜高のエースとして甲子園で春夏連覇を達成。ドラフト1位で西武に入団し、新人から3年連続の最多勝と史上初の快挙を成し遂げた。WBCでも2大会連続MVPを獲得。レッドソックスでも1年目の07年に15勝、08年に18勝と20代のシーズンで145勝を積み上げた。だが、30代に入ると暗転する。股関節痛を皮切りに故障に悩まされ、下半身を使った粘りのあるフォームが消えてしまう。上半身の力に頼った投げ方で故障を誘発する悪循環に。メジャーの後半は思うように投げられず、ソフトバンクに移籍した15年からの3年間でわずか1試合登板のみ。入団テストを受けて中日で18年に6勝を挙げたのが最後の輝きだった。昨年に14年ぶりに古巣の西武に復帰。7月に首の痛みと右手のしびれを抑えるため、脊椎内視鏡頸椎手術を受けたが状態は思わしくなかった。今年も1、2軍登板なしに終わり、シーズン半ばの7月に引退を決断した。

 数字だけを見れば、松坂は「早熟」だったと言えるだろう。20代の輝きはまばゆかったが、30代で積み上げた白星は25勝にとどまった。日本球界に復帰後、満足に投げられない状況で、「太りすぎ。体調管理がなっていない」、「努力をしなかったからこの体たらく」など批判的な意見が大半を占めるように。松坂の耳にも当然入っていただろう。同世代のある選手はこう話す。

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