イエローカードを頻繁にもらうような子に関しては、「激しいプレーはいい。キミの闘争心は評価するよ。でも、1人減るとチームはどうなるかな?」というアプローチをする。この時の伝え方は、試合直後がいいのか、翌日がいいのか、チームメイトが見ている前で話すのか、あるいは二人きりになった時に告げるのか、といった内容の講義を受けた。

 また、貧しさに喘ぎ、食べ物欲しさに盗みを働こうとした選手には、希望を持たせて脇道にそれないように指導することが求められる。

「キミは貧しいようだが、クラブを代表して闘う人間だ。今後、大きなチャンスを掴めるだろうから、しっかりやりなさい。早くお金を稼いで親に楽をさせてあげなさい」

 クラブに掛け合って、食事のサポートを受けられるように計らう。その時の切り出し方も、講義の題目に入っていた。

 我が国のスポーツ現場に目を向けると、今日も暴力を使用する指導者が目に付く。鹿児島県の私立、出水中央高校のサッカー部監督は、2019年10月10日に行われた練習試合中に選手を呼び止め、左太股に蹴りを、その直後に右頬に平手打ちを放った。被害を受けた少年は、腰からグランドに崩れ落ちている。が、同監督が暴行・傷害罪で逮捕されることはなく、自ら辞表を出す形で収まりがついた。

 バスケットボール界でも、大阪市立桜宮高校のキャプテンを自殺に追い込んだ体罰事件から何も学習せず、プロの世界で次から次へと暴行が発覚している。哀しいかな、日本バスケットボール界は、大したペナルティも与えずに、この類のコーチたちを復職させてしまう。よって、懲りない連中が同じことを繰り返すのだ。

 日本という国は暴力指導に寛容だ。「熱が入ってしまっただけで、実はいい監督だ」等の理屈を述べ、彼らを擁護する社会である。教師、及び、スポーツの指導者が手を上げる行為は、紛れもない犯罪であり、世界の常識で考えれば、傷害事件として扱われるのが当たり前なのだ。

次のページ
暴力指導がまかり通る日本