下半身の使い方にもこだわっていた。軸足のヒザの向き、重心のかかり方。そしてステップする前足の着地タイミングなど、数えきれない。

「軸足の『ヒールアップ』は神経質なほど気にしていた。1球ごとに軸足の動きが変わっていることもあった」(前田)

『ヒールアップ』とは足を上げた際に、軸足カカトも同時に上げること。軸足に乗る重心と重心移動までの勢いがともに増して、球威を出すことができる。

「ハマれば爆発力を生み出せる。しかしタイミングを合わせるのが難しいとともに、負担も大きい。引退の原因となったヒザ痛も長年の『ヒールアップ』が原因の1つ」(伊良部)

 現役晩年はヒザ痛との戦いでもあった。前田は米国時代の伊良部から相談を受けたこともあったという。

「ヒザの痛みがひかない。誰か良い人知らないか、と国際電話がかかってきた。当時の所属球団ドクターやトレーナーに探してもらったりもした。その後は連絡はなかったけど、ずっと痛みを引きずっていたらしい」

 03年の阪神入団後が最もひどい状態だった。ヒザの軟骨がすり減り、残った部分にも亀裂が入っていた。プロで投げられるレベルではなく、05年に1度は現役引退する。

「日常生活にも影響があるほどだった。その後、米国で少年野球コーチをやっている時に、基本的な投げ方の『ヒールアップ』しない方法で投げた。痛みもなく納得できる球が行ったので、現役復帰を考えた」(伊良部)

 09年米国・独立リーグで復帰を果たし、同年8月にNPB再復帰を目指し四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスへ入団する。しかし今度は右手首腱鞘炎に悩まされ9月に本人の希望で契約解除、退団。翌年1月、自身のブログ上で2度目の現役引退を発表した。

 1度はヒザ痛で引退するも、基本に戻ることで再びプロ復帰という夢を追い求めることができた。伊良部の投球ベースは基本だったということだ。

 自らの技術を追求する孤高の男。

 本来の伊良部は、世間で言われているような人間ではなかった。

「周囲は先入観にとらわれ過ぎていた。扱うのが難しい人間、と勝手に思い込んでいる人も多かった。でもラブさんと技術論などを語り合った人は多い。食事をしても必ず投球論になった。ロッテ時代、牛島和彦さんの自宅に宿泊してまで、フォークボールなどを教えてもらったのも有名。向上心の塊のような人だった」

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指導者としての夢も…