“替え玉事件”を起こした都留は2007年に21世紀枠としてセンバツに出場※画像は2007年当時のメンバー (c)朝日新聞社
“替え玉事件”を起こした都留は2007年に21世紀枠としてセンバツに出場※画像は2007年当時のメンバー (c)朝日新聞社

 大会初日の開幕試合に先発予定の投手が、直前に行われた開会式の入場行進で、替え玉を立てて参加していなかったという、「そんなのあり!?」の珍事件が発覚したのが、1992年の山梨大会だ。

【写真特集】あの伝説のマネージャーも登場! 増刊『甲子園』の表紙を飾った美少女たち

 この年の山梨は、都留・小林雅英、山梨農林・網倉雅人、山梨学院大付・牧野塁の3投手が“三羽烏”として注目を集めていたが、いきなり開幕試合で、小林vs網倉のライバル対決が実現した。

 ところが、試合前に行われた開会式で、4番目に入場行進を行った都留の背番号1は、明らかに小林とは別人。小林がいないことに気付いた農林側は、開会式終了後、県高野連の篠原滋美会長に抗議した。篠原会長は当初「背番号1なので、(登録されている)小林選手以外の選手は考えられない」と否定的な見解だったが、試合開始直前に農林側が再度抗議すると、都留側も“替え玉”の事実を認めた。

 同校の長田敏夫監督によれば、「開会式直後から開幕戦まで約30分しかないため、小林投手には室内の投球練習場でウォーミングアップをさせていた。暑い中の開会式は疲労が出ると思い、万全で登板させたかった」というのが理由だった。また、この試合に勝った場合、日程の都合で早くも翌日に2回戦の試合が組まれていたことも、「体力を消耗させたくない」の思いに拍車をかけたのかもしれない。

 だが、網倉を入場行進に参加させた農林側としては、当然収まらない。「開会式終了直後に試合をする条件は同じ。身代わりを出してまで勝ちにこだわるのは、フェアではない」と批判した。もっともな言い分である。

 最終的に高野連は「開会式とゲームは別」という判断から、大会規定に抵触する行為とはせず、都留側に「今後二度とこうしたことのないように」と厳重注意し、農林側に謝罪させたうえで、両校に納得してもらった。

 渦中の小林は、試合前にそんなトラブルがあったにもかかわらず、延長12回を6安打7奪三振で完封し、勝利投手に。後にロッテの守護神としてチームを日本一に導いた“幕張の防波堤”は、高校時代から強心臓の持ち主だった?

 今度は同じ開会式でも、勘違いによる遅刻が原因で、チーム全員が入場行進できなくなった話である。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら
次のページ
「雨で順延」を確認した場所が…