狩野学監督は「もっと早く代える予定だった」そうだが、初回に1点を先制したあと、チャンスを併殺で潰したり、相手の好守に阻まれるなど、なかなか追加点を奪えなかったことから、継投のタイミングが遅れたのだという。主将を務める渡辺久も「チームワーク優先だから」と納得しての降板だった。

 リリーフ・渡辺和は後続2打者を三振、二ゴロに打ち取り、2投手の継投によるノーヒットノーランが達成されたが、チームは決勝の太田工戦で渡辺久が押し出し四球を許してサヨナラ負け。あと1歩で甲子園を逃した。

 プロ入り後、渡辺久は西武時代の90年5月9日の日本ハム戦でも9回まで無安打に抑えながら、味方の援護なく、延長11回に初安打を許し、またしても快挙ならず。96年6月11日のオリックス戦で、ようやく“三度目の正直”のノーヒットノーランを達成している。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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